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怪盗ニック全仕事6/E.D.ホック

The Complete Stories of Nick Velvet: Vol.6/E.D.Hoch

2019年刊 木村二郎訳 創元推理文庫201-19(東京創元社)
「コロンブスの首を盗め」

 あまりに大物なので、クレーンや大型トラックを使った大がかりな盗みになるのはやむを得ませんが、コロンブスの首と同じ大きさの気象観測気球を偽物に仕立てて、クリスティーの目の前で海に沈めるという、大胆不敵な陽動がよくできています。そして、コロンブスの首をボルトンの銅像に見せかけて、ボルトンから金を詐取しようというドミンゴの計画は予想外。冒頭、ニックが賭けポーカーに加わる経緯の中で、さりげなくボルトンの視力の衰えに言及されている(11頁)のが心憎いところです。

 一方で、クリスティーがドミンゴを殺害し、ニックがそれを黙認するという結末が、クリスティーの動機も含めて後味がよくないのが個人的に気になるところですし、“丸くて赤い傷跡”(24頁)“重いハンドバッグ”(33頁)といった手がかりは、少々力不足の感が否めません。

「グロリアの赤いコートを盗め」

 依頼人の目的は、サム・トッドを殺害するため、トッドの妻に扮するのに赤いコートが必要だったというもので、赤いコートが軒並み売り切れている(54頁)という伏線が、コートを盗まれたグロリア自身の行動という形で、実に自然に示されているのがうまいところです。

 犯人=依頼人は当然、“グロリアの赤いコートを知っている女性”に限定されますが、“背の低い”(55頁)ヘレンを除外しつつ、事故で橋が封鎖されていた(55頁)にもかかわらず問題なく休暇を過ごしたという、サマンサの嘘*1に着目したグロリアの推理は、なかなか鮮やかです。

「バースデイ・ケーキのロウソクを盗め」

 ケーキからロウソクを抜き取って新しいロウソクを立てるという、一見すると何の意味もなさそうな行為ですが、二十五歳のバースデイ・パーティーのはずが、“アーマが二つのロウソク箱をあける”“ロウソクの二つの空箱”(いずれも92頁)と、当初のロウソクは偶数だったことがさりげなく示されているのがお見事*2。二十四本と二十五本では、数が多いので一見すると違いがわかりにくいところも実に巧妙です。

 サンドラの方の筋は、“もう一人の重要人物”であるマーカム(=ラルフ)をその場に連れてくる程度の意味しかなく、ニックの方の謎解きにはまったく関与しないのが拍子抜けですが、“武器輸出が関わってくる”と思わせる“引っかけ”の狙いもあったのでしょうか。

「オウムの羽根を盗め」

 最終的に、“ヤンセンがカードキーなしでどうやってキャビンに入ったのか”に着目し、警備課長のエンデを告発したニックの推理は妥当だと思いますが、そこまで謎として前面に出されていた“「スラット」か「スリュット」か「スロット」”(123頁)というダイイングメッセージは、カードキーの問題から読者の目をそらすミスディレクションの効果があるとしても、少々いただけないものがあります。スウェーデン語の“スリュート”――“終了{エンド}――であって、ドイツ語で“終了”を意味する名前のエンデを指していたという真相ですが、解明に特殊な知識を要するというだけでなく、ヤンセンの“スウェーデン国籍”(107頁)から*3スウェーデン語までたどり着いても、そこからさらにドイツ語というのは難があるでしょう。

 そもそも、死に際に犯人を知らせようとしながら、名前を直接告げるのではなく、ドイツ語の意味を拾ってそれをスウェーデン語で言い残すというのは、ヤンセンの立場からすると――よほど親しい仲で普段からエンデのことを“スリュート”と呼んでいたのでもなければ――迂遠すぎておよそありそうにないことで、あまりにも虚構的な“ダイイングメッセージのためのダイイングメッセージ”になってしまっている感があります。

 ニックにとってはトラブル続きの仕事でしたが、最後の最後になって、金庫に偽の羽根を残しそびれたのが結果オーライとなるのも愉快なところですし、依頼人に対して“処理のできないトラブルなんか何もありませんよ”(132頁)と言い放つニックにニヤリとさせられます。

「浴室の体重計を盗め」

 盗みにつけられた条件を考えてみると、タイミングが重要であることは明らかなのですが、マチェックがシャワーを浴びてからメイドが掃除する前に*4、体重計に残された足形を手に入れることが目的だったという真相は予想外。出生証明書などに新生児の足形を取ることは日本ではない*5ので、読者が真相を見抜くのは難しいかもしれませんが、体重計そのものが目当てではないところはやはりユニーク。また、マチェックのヴェトナムでの捕虜体験や、マチェックの弟ウォルトの話などが、思わぬ伏線となってニックの推理を補強するところもよくできています。

 殺人事件はサンドラの見せ場ではあるものの、被害者と犯人の関係や手がかりなど、「グロリアの赤いコートを盗め」そのまま――というよりも、そちらを簡略化したような形(“劣化版”とまではいいませんが)になっているのが残念。

「劇場の立て看板を盗め」

 まず、シャガールの絵画を盗み出して立て看板のポスターの裏に隠したデイヴィッドの手際が目を引くところで、立て看板が毎晩劇場の中にしまわれ(173頁)、ギャラリーと劇場が地下道でつながっている(174頁)という状況がうまく使われています。また、二段階に分けて立て看板を盗むニックのやり方(176頁~177頁)が、そのままデイヴィッドの計画に当てはまる――デイヴィッドの計画を暗示する伏線となっているのもうまいところです。

 一方の毒殺については、デイヴィッドが死に際に“マックスがやった”(181頁)と言い残したせいで目立たなくなっていますが、シチューの食材を調達するヘザーが怪しいのは明らかですし、その場にいなければ絵画を手に入れる機会があるとも思えず、いくら何でも雑すぎる犯行なのは間違いないでしょう。

「結婚式で放たれる鳩を盗め」

 依頼人が鳩を“別にほしくない”(202頁)と断言しているように、盗みの対象は依頼人にとっても価値がなく、重要なのは盗みの条件だけという点がまず異色。しかして、その条件に関する謎――“なぜ鳥籠ごと盗むのは駄目なのか”・“なぜを使えないのか”――や、“なぜか二台あるヴィデオ・レコーダー(219頁)*6といった手がかりから、鳥籠に仕掛けられたカメラで結婚式の映像を隠し撮りする依頼人の企みが導き出されるところは、まずまずといっていいのではないでしょうか。

 二篇続けて“依頼人が殺される”という展開はいかがなものかと思いますが、条件が厳しすぎるせいでニックをもってしても不可能なため、(「劇場の立て看板を盗め」と違って)盗みの前に依頼人を死なせてニックの盗みを中止させる必要があったのかもしれません。……というわけでこの作品は、ニックが依頼された仕事を完遂できない*7という点でもあまり例を見ないものとなっています*8が、それ自体が面白いというわけでもありませんし、殺人事件の方はかなり見え見えなので、全体としては微妙な印象が残ります。

「一番でかいシーバスを盗め」

 ボウ・フィッシングに目を着けたものの、腕力不足でどうにもならずフリッチに盗みの代行を依頼したところが、頼みのフリッチが殺されてしまい、別の作戦を急遽ひねり出さなければならなくなる――という、“どうやって盗むのか”までの展開は、なかなか思うようにいかないところが面白いと思います。最後の盗みが少々乱暴なのはご愛嬌。

 魚そのものに手数料ほどの価値がないのは当然とすると、中に何か仕込むくらいしかやりようがないので、それが麻薬ではなくホホバの種子だった点が新しいとはいえ、あまり面白味があるとはいえません*9。またフリッチ殺しについては、登場人物が限られている中で、マータが腕力不足という理由で一旦容疑を免れているものの、現場に十字弓{クロスボウ}があったことに気づけば真相は明らか。一方で、決め手となる“埃の手がかり”については、“より小さな弓”の時には“埃を拭き取って”とあるのに対し、その前に“十字弓をつかみあげた”(いずれも249頁)際にはそのような描写がない――というだけでは、やや弱すぎるのではないでしょうか。

「ダブル・エレファントを盗め」

 フラッシュ・ペイパーに印刷された写真を燃やすサンドラの手口は、以前の作品*10の使い回し――残されたサンドラの名刺が“燃えなかった”(284頁)という手がかりを加えてあるのは親切ですが――の上に、麻薬をレッドへリングにするというのはこれまた以前の作品*11に通じるもので、シリーズ読者にとっては“既視感だらけ”といったところではないでしょうか。

 絵画そのものではなく額縁の方に価値があるというのもありがちですし、このシリーズの場合は絵画の方に価値がないことが最初から明らかなので、ほとんど意外性はないでしょう。

「空っぽのペイント缶を盗め」

 娘のマーセイディーズが殺したディヴァイン・リンの死体を壁に隠すために、壁を塗ったものと同じ種類のペイント缶を用意する――というのが隠された依頼人の計画で、ニックの苦労をみると家の場所を確認することが重要なのかと思いきや、ペイント缶自体(に残ったペイント)も必要だったというのが面白いところです。

 ニックが家を発見した際には死体がなかった*12ことをニックが明言し、マーセイディーズの疑いが晴れた……と思った途端に死体が出現するというめまぐるしい展開から、(登場人物が限られているとはいえ)意外すぎる犯人*13が飛び出してくる結末に至るまで、サービス精神旺盛ともいえるプロットが魅力です。

「くしゃくしゃの道路地図を盗め」

 小包の“午前九時〇五分(350頁)という消印の手がかりは細かいですが、あえてそれが書いてある理由に着目すれば、サンドラが“九時十二分きっかり”(332頁)にダイアモンドを盗んだ事実と矛盾することに気づくのは、さほど困難ではないかもしれません。また、発端の“ケンポフ殺し”がいかにも“バールストン先攻法”らしい雰囲気をかもし出していることも、ケンポフに疑いを向けやすくなる一因といえます。

 しかし、仲間たちを小包の爆弾で一網打尽にするつもりであれば*14、サンドラにも宛先を伝えておくのが自然なはずで、ニックを物語に絡ませるために道路地図を介さざるを得なかった、といったところでしょうか。

「最高においしいアップル・パイを盗め」

 まずは、スケジュール帳のMOO(378頁)という謎の言葉が目を引きますが、これについては“母のフラン・オリヴァーは郡一番のケーキとパイを焼きましたのよ。”(368頁)というマギーの言葉で、さりげなく手がかりを示してあるのがうまいところです。

 一見すると不可能に思える毒殺のトリックは、パイ皮の空気穴(368頁)を利用したもので、なかなか巧妙です。ただし、ニックが持ち出した手がかりについては、“ウェインがナイフを持って戻ってくると、その必要がないことに気づいた。”(369頁)という記述をみる限り、一切れしか残っていないとは知らなかったようにも読めるので、少々アンフェア感が否めないところではあります*15

「機関士の五ポンド紙幣を盗め」

 一見すると価値のないものに、依頼人にとっては高額の手数料を払うに足る隠された価値がある*16――というのがこのシリーズの大きな見どころですが、紙幣の場合は他の物品に比べると用途がかなり限られてしまうので、通し番号が指定されていることも考え合わせると、偽札くらいしか可能性はないでしょう。

 これだけではさすがに物足りないので、“偽札と見せかけて本物”という仕掛け――偽札の密輸を謳った投資詐欺を組み合わせてあるのですが……詐欺の根幹である“価値のないものに価値があるように見せかける”という部分に、ニックへの依頼そのものを利用するというアイデア自体は面白く感じられるものの、前述の“価値のなさそうなものに価値がある”というシリーズの魅力とバッティングしてしまうのが困ったところ。最後のニックの逆襲もやや安直で、結果としては、あまり出来のよくないコン・ゲーム風になっている感じです。

「仲間外れのダチョウを盗め」

 ダチョウが“仲間外れ”になっている理由が依頼人の目的につながっていることは予想できますし、そこにダチョウの悪臭(420頁)が関わっていることも明らかですが、飛行機から落とした荷物を犬に追跡させるために、緩衝剤に悪臭をつけてあるという真相は、なかなか面白いと思います。そして、荷物がダイアモンドなどではなくコンピューター・チップというところが、時代の変化を感じさせます。

*1: アメリカの地理になじみのない読者からすると、“ニュージャージー・ターンパイクを南下して、国道一三号線にはいったわ。”(62頁)というサマンサの言葉だけで嘘を見抜くのは困難ですが、“サマンサは休暇に出かけた。新しいチェサビーク・ベイ橋が事故のために二十四時間近く封鎖されていたことをTVニュースで知り、その夜彼女のことを考えた。”(55頁)という記述は、“橋の封鎖がサマンサの休暇に影響を与えたはずだ”と解釈できるので、問題はないでしょう。
*2: ただし、この手がかりを指摘するニックの謎解きは完全に読者向けで、ニックは“盗んだロウソクをポケットに入れ”(92頁)たわけですから、その本数を数えれば真相は確認できるはずです。
*3: ヤンセンの“きついスウェーデン訛”(110頁)も手がかりとなりますが、“スウェーデン人映画俳優のマックス・フォン・シドー”“イングマール・ベルイマン映画”(→「イングマール・ベルイマン - Wikipedia」(いずれも127頁)は“伏線”といえるのかどうか……。
*4: “ベス・マチェックが留守のあいだ”(136頁)という条件の意味も面白いところです。
*5: 私的に足形を取ることはあるようですが、公的な記録ではないので、この作品のように他人が確認するのは難しいでしょう。
*6: レコーダーが二台あったことが結末でうまく使われているのは確かですが、その場に二台必要だった理由が不明なので、少々ご都合主義に感じられるきらいもあります。
*7: ニックは“あんたの依頼どおりに盗んでやったぞ”(221頁)と独白していますが、結局は鳥籠ごと持ち去ったのですから、とても“依頼どおり”とはいえないでしょう。
*8: 「何も盗むな」「怪盗ニック全仕事2」収録)のように、“盗んだ”といっていいのかどうか悩ましい例もありますが、“依頼どおりに盗むことができなかった”作品は、ちょっと記憶にありません。
*9: 依頼人の職業とライバルの存在(242頁)しか伏線がなく、あとはやや“特殊な知識”になってしまう、ということもあります。
*10: (以下伏せ字)「レオポルド警部のバッジを盗め」(『怪盗ニック全仕事5』収録)(ここまで)。さらにいえば、(以下伏せ字)「白の女王のメニューを盗め」(『怪盗ニック全仕事4』収録)(ここまで)にも近いものがあります。
*11: (以下伏せ字)「蛇使いの籠を盗め」(『怪盗ニック全仕事5』収録)(ここまで)。また、直前の「一番でかいシーバスを盗め」も同様です。
*12: 手がかりとなる匂いに関する描写は“ペイントのにおいがまだ強く残っていて”(308頁)程度ですが、現場が暑いことは十分に示されているので、もし死体があれば当然に異臭が漂っているはず、と考えることは読者にも可能でしょう。
*13: 被害者との接点がなさすぎるために疑いを向けにくくなっていますが、被害者のカストロ暗殺計画が明らかにされることで政治的な動機が浮上し、それまで接点がない人物であっても犯人となり得る状況が作り出されているのが巧妙です。
*14: 途中のハーゼン殺しも、物語上サスペンスを高める効果があるのは確かですが、ケンポフからすると仲間たちの警戒を強めるだけでメリットはないように思われるので、これもまた作者の都合のような印象です。
*15: 逆に、ニックが言うように、パイが残り一切れしかないことが明らかだったとすれば、“ナイフを取りに行く”という行為の意味のなさが、その場の誰にとっても歴然としてしまうわけで、手がかりとしては少々難があるといわざるを得ないところです。
*16: 「最高においしいアップル・パイを盗め」のように、依頼人にとっての価値が隠されていない例外もありますが。

2019.01.29読了