毒杯の囀り/P.ドハティー
The Nightingale Gallery/P.Doherty
1991年発表 古賀弥生訳 創元推理文庫219-02(東京創元社)
〈小夜鳴鳥の廊下〉による“密室”の真相は、ある程度予想どおり。つまり、執事のブランプトン以外に誰も廊下を通らず、なおかつブランプトンが犯人でないのであれば、犯人は“密室”に入ることなく被害者を殺害するという、いわゆる遠隔殺人しかあり得ません。そして、犯人が犯行時に現場にいる必要がない毒殺という手段も、この推測を補強するものです。
あとはどこに毒が仕掛けられたかが焦点となります――ゴブレットの中の毒が、犯人による事後的な偽装であることは予測可能でしょう――が、真相はなかなかうまく隠されている一方で、“三十一しかなかった”
(122頁)というヴェーシイの言葉が面白い手がかりになっているところが見逃せません。さらに、犯人自身が執り行った教会の儀式によって、死体の手についた毒薬の汚れという証拠が隠滅されているところが非常に秀逸です。
また、ロープの結び方や足の裏の様子、現場の干満といった細かい手がかりから、ブランプトンとヴェーシイの死が他殺であることを明らかにする手順もよくできていると思います。
事件の背景については、黒幕と実行犯の思惑のずれがうまく使われていると思います。しかも、それらを指し示す手がかりがいずれもトーマス卿の不可解な言葉であり、全体として混沌とした状態になっているところが面白いと思います。また、特に黒幕の思惑については、前王エドワード三世の崩御という史実に絡めてあるところが歴史ミステリならではの魅力になっています。
2006.10.20読了