魔都の貴公子/田中啓文
- 「土俵の鬼」
“土俵の中から掘り出された死体”のインパクトは強烈ですが、あまりにも特殊な場所であるために、土俵の構造をよく知っている人物が犯人であることは明らかですし、作業にかなりの時間がかかることを考えると、巡業全体を取り仕切る鮫垣親方が最も怪しくみえてしまうのは否めません。しかしそれだけでは、犯行の動機など事件の全貌がさっぱりわからないところがよくできています。
スナック〈女郎蜘蛛〉のバーテンの
“河童という要素を消してしまったら”
(135頁)という言葉が解決のヒントになっているように、河童がミスディレクションとして付け加わることで全体像がわかりにくくなっているのですが、このシリーズが伝奇ミステリであることを踏まえると、おそらくは逆に河童から出発する形で謎が作られている(と考えられる)わけで、(それぞれが河童から派生するものの)互いに関係のない“相撲とキュウリ”
(135頁)をしっかりと結びつけた真相をひねり出してあるのが秀逸です。その真相につながる“はつか(二十日)・ろがた(七郎潟(*1))・きゅうり(休場)”を示すメモが、
“かつはがたろきゅうり”
――“河童・ガタロ・きゅうり”
(いずれも110頁)と解釈できるようになっているのが見事ですが、コインロッカーを示すもう一つのメモ“尻子玉×2/川/沙悟浄”
(110頁~111頁)の駄洒落――五島記者が河童関連の取材メモに見せかけようとしたものでしょうか――は、実に作者らしいというか何というか。第一の事件(象虎殺し)の時点で犯人には、事件を河童の仕業に見せかける意図はなかった――どころか、丸ヶ池での河童目撃騒動のせいで象虎の死体を運び出せず、土俵の中に隠さざるを得なくなるという迷惑を被ったわけですが、丸ヶ池の水で溺死させた犯行や、象虎が持っていたキュウリ、さらにその後の緑海錦の騒動なども加わって、結果的に“河童殺人事件”の様相を呈することになっている――という、謎の作り方がなかなかうまいところです。また、目撃された“河童”の正体が殺人の背景となった相撲賭博の客(戸隠)だった上に、よりによって同じ土俵に金を隠していたというあたりはいささか強引ですが、このつながりによって解決がスムーズになっている感があります。
そして、目撃された“河童”の真相を示す、愉快なイラスト(171頁)の破壊力が圧巻。と同時に、芋太川老人に目撃された際の
“頭が……頭が重い……。”
(17頁)という“河童”の独白が、そのまま文字通りの意味だったことに笑いを禁じ得ません。- 「人形は見ていた」
府知事襲撃事件については、犯人は府知事の訪問予定を知り得た人物となりますが、犯行時刻(*2)を考えると文楽劇場の関係者にしては動きが遅いので、
“府知事は九時に来ると言ってましたね”
(287頁)という鬼丸の言葉を耳にしたそうめん屋の店主が最も疑わしくなるのではないでしょうか。“包丁が新しくなっていますね”
(312頁)という手がかりが事前に示されないのはアンフェア気味ですが、この作品ではさしたる問題ではないように思います。国宝の人形から“穢れ”を祓う方法は、なかなかよくできています。鬼丸の
“あの人形をよそに移す”
(301頁)という言葉から着想を得て、“穢れ”をまず別の人形に移す“第一段階”は、壊れた人形が手に入りやすい文楽劇場に打ってつけ。そして、人形を川に流す代わりに流しそうめんを利用した“第二段階”が秀逸で、ヒントになった“あとに『念』が残らんぐらい”
(263頁)という店主の言葉や、府知事襲撃事件と併せて一石二鳥の解決もお見事です。
“小栗帽”や
“牧場王”(いずれも19頁)にはニヤリとさせられました。
*2: 府知事の訪問が予定では
“九時”(281頁)だったはずが
“約束の時間より二時間ほど早かった”(295頁)一方、そこからベニーが
“二時間ほど”(294頁)気を失っていた間に事件が起きたわけですから、犯行時刻は九時前後ではないかと考えられます。
2018.04.20読了