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大癋見警部の事件簿/深水黎一郎

2014年発表 (光文社)
「国連施設での殺人」
 冒頭の“問題篇”仕立てになった報告書の末尾、一見何の変哲もない“さて、この事件の張本人は一体誰か――。”(8頁)という一文に、しっかりネタを仕込んであるところがお見事。事件の解決に全く役立たないのもいっそ潔いというべきか。
 いきなりこれでは、本書の帯の“検挙率100%を誇る”という謳い文句が……と思っていると、後の「宇宙航空研究開発機構(JAXA)での殺人」で、いつの間にか解決されたことになっているのに苦笑。

「耶蘇生誕節の殺人」
 防犯カメラの映像から、犯行日時は動かせない――となれば、聖歌隊員・仲宗根の証言が怪しいことは予想できますし、佐伯と仲宗根がカトリックなどではなく正教会に属していることが明らかになった時点で、暦の違いが原因であることも見当がつくのではないでしょうか。とはいえ、それが明かされる結末は鮮やかで、仲宗根が話の食い違いにもまったく気づくことなく、まったく悪びれない様子で堂々と答えているのが印象的です。

「現場の見取り図」
 密室ものと見せかけて*1、見取り図を利用した一種の叙述トリック*2、すなわち見取り図に書かれた“空室”が人名の“そら・むろ”だった*3という、豪快なバカトリックが強烈。この字面によるトリック、音声では成立しないのはもちろんで、見取り図(あるいはそれに類するもの)ならではといえます。作中には“501号室は空室だそうです”(41頁)“大家にも確かめましたが、三年前からずっと空室とのことです”(48頁)とありますが、これは大家に見取り図を渡されて“三年前からずっとそのまま”のような回答を得た、ということになるのではないでしょうか。
 504号室の住人“曽良(かつら)”の名前を刑事たちが誤読していることが、いわば二重の伏線になっているところが秀逸。見取り図には読み方が記されていないので“違う読み方があり得る”ことが示唆されているのに加えて、その誤読が他ならぬ“そら”ですから、これは感服せざるを得ません。被害者の名字を“松尾”として、松尾芭蕉と絡めることで迷彩を施してあるのもお見事。

「逃走経路の謎」
 猪狩管理官の性別を誤認させる叙述トリックが仕掛けられていますが、副題どおりの意味のなさに苦笑。叙述トリックの存在を明示することで、本筋から読者の目をそらすミスディレクションとしての効果はあると思いますが……。
 一方、猪狩管理官を悩ます謎の逃走経路は、息子の悠馬が見ているテレビ番組で紹介されている、首都圏外郭放水路(→Wikipedia)が使われているということになるのでしょうが、“国土交通省が管理”(73頁)しているので“国土交通省のキャリア役人だった”(71頁)補佐官の田久保ならば思い至ってもよさそうなところ、それどころかよりによって江戸川近辺――トンネルは“江戸川沿岸から利根川の支流まで”(69頁)つながっている――の警備を薄くすることを提案している(72頁)のが、実に意味深長ではあります。つまりはそういうことなのでしょうか……。

「名もなき登場人物たち」
 レッド・ヘリングが“読者の推理を混乱させるために配置された、偽の手がかり”(85頁)だとすれば、見るからにレッド・ヘリング然とした三人の客A・B・Cはむしろレッド・へリングではないのでは――と考えをめぐらす時点で作者の術中にはまっている感がありますが、ひとまずは動機と機会の不在により守られていることで、どちらともつかない混沌とした状態となっているところがよくできています。
 それに対して、海埜警部補ら捜査陣が当てもないまま“広大な湖の浚渫”(98頁)をするという、実際に考えてみるとかなり無茶な捜査をやっていますが、そうでもして物証が出てこないといかんともしがたいのも確か。そして、A・B・Cの三人が協力して少しずつ作業を進めた脱力もののアリバイトリックもさることながら、たたみいわしの〈見立て〉にはさすがに唖然。しかし、揃いのTシャツのアンチョビのイラストを“赤いニシン”だと思わせる、“レッド・へリングのレッド・へリング”(?)は愉快です。

「図像学と変形ダイイング・メッセージ」
 ダイイング・メッセージの牡牛の人形が意味するところについては、牡牛座の流美菜を指すという解釈も、闘牛好きの流音を指すという解釈も、いささか安直な気がしないでもないですが、館林刑事が披露した図像学に基づく解釈――ルカ福音書を象徴する牛が流伽を指しているという解釈は、ミステリの解決としてふさわしいエレガントなものだと思います。
 ……というところで終わってくれてもよかったのですが(笑)、もはや忘れていた〈ヴァン・ダインの二十則〉――第十一則使用人が犯人であってはならない”が最後に顔を出すのが本書の“お約束”というべきか。質より量といわんばかりの徹底的な“牛づくし”は圧巻で、その圧倒的な説得力の前にはエレガントな解釈も無力です(苦笑)、。

「テトロドトキシン連続毒殺事件」
 〈後期クイーン問題〉を扱ったミステリでは、その問題をクリアするために(“偽の手がかり”の峻別も含めて)“いかにして入手した手がかりの完全性を担保するか”に力が注がれるのが常道ですが、この作品では完全な(あるいは十分な)手がかりを入手するためにどこまでも捜査対象を広げていく“力技”が採用され、犯人が見つからないまま非常識なところまで捜査がエスカレートしていくことになるのが非常に面白いところで、パロディ仕立ての本書ならではのアプローチといえるでしょう。
 しかもその捜査過程において、料理店ではなく築地の場内でもフグが捌かれる(148頁)という重要な手がかりが、するりと見落とされてしまっているのが何とも皮肉です。

「監察の神様かく語りき」
 司法解剖の結果判明した、司法解剖が死因だったという真相が強烈ですが、それが明かされる前に“検死の最中に意識を取り戻すという事件があった”(159頁)伏線が張ってあるのが周到というか何というか。そして近藤監察医の“ナウなヤング風”の謝罪(?)には脱力。

「この中の一人が」
 雑学マニアの被害者・水口が披露したソーサーの使い方を利用した毒殺トリックは、知識がなければなかなか意外でよくできているようにも思えますが、その雑学が明かされた途端に瓦解する脆弱なトリックなのは確か*4で、フェアプレイを意識すると扱いづらいトリックといえます。というわけで、それをうまく成立させるために本書の性格が利用されている――雑学が伏せられていた原因が大癋見警部自身にあるのも見逃せないところ――のが巧妙です。
 それにしても、大癋見警部の“この中の一人が嘘をついている!”(174頁)という言葉の真意は……(笑)

「宇宙航空研究開発機構(JAXA)での殺人」
 まず「国連施設での殺人」の解決は、身も蓋もないことをいえば誰が犯人でも驚きはないのですが(苦笑)、、冒頭の報告書に記されていた“右手の先だけが燃やされた状態”(8頁)が、スピリタスを使ったことまで含めてすっきりした説明がつけられているのが心憎いところ。なお、ロシア語のエビ・ハラショー(212頁)については各自で検索してみてください*5
 そして“JAXAでの殺人”の方は、JAXAならではのトリックがやはり秀逸です。“人魂のような光”(214頁)が手がかりになり得るとしても、読者が見抜くのはほぼ不可能でしょうが、個人的にはまったく無問題。

「薔薇は語る」
 〈見立て〉がお題であることが明示されているにもかかわらず、何の〈見立て〉なのかよくわからないまま進んでいくのがひねくれていますが、さらに死因が心筋梗塞であることが判明した上に、SMプレイの最中のショック死だったことが明らかになるのがすごいところ。例によって脱力を余儀なくされる真相もさることながら、薔薇の花が〈見立て〉のために用意されたものではなかったことで、思わず途方に暮れてしまいます。
 しかしそこで、事件が〈見立て〉殺人の様相を呈していたために盲点に入っていた意外な“犯人”――第一発見者・安齋刑事――と、“もの言わぬ花瓶”という〈見立て〉の真相が、しかも実にとんでもない形で明かされるのが、これ以上ないほど強烈です。「テトロドトキシン連続毒殺事件」の中で、“普段、他人の批判など滅多にしない安齋”“あいつの芸術の知識はあくまでも机上のものだからな。だから間違えるんだ”(130頁)と発言しているのが、その芸術家志向を示唆する伏線となっているのも周到です。

「青森キリストの墓殺人事件」
 まず最初の解決は、犯人と動機こそやや面白味に欠けるものの、被害者が十字架を引き抜こうとしたところを刺殺したことで、死体が十字架を抱きかかえるような姿になったというのが面白いところです。
 それに対して大癋見警部が指摘する、あまりにも壮大すぎるバールストン先攻法には笑うよりほかありません……と思っていると、【或る結末】ではそれを裏付けるかのような、しかしあまりといえばあまりなダジャレに絶句。
 そこから先の多重解決――というよりも“パラレル解決”はもうお腹いっぱいといったところですが(苦笑)、一旦退場した鶴岡刑事が再登場してくる再びのバールストン先攻法はよく考えられている……ような気が。

*1: 作中で江草刑事がいう、“実際には密室ではなかったのに、密室に見えた”(45頁)に該当します。大癋見警部が次々と繰り出す推理がおおむねこの分類に含まれることも、伏線といっていいのかもしれません。
*2: 見取り図による叙述トリックは、1990年代の国内長編((作家名)筒井康隆(ここまで)(作品名)『ロートレック荘事件』(ここまで))を思い出しましたが、あまり例がないように思います。
*3: 一人だけフルネームで表記されているのは少々アンフェアともいえますが、まあそこはそれ。
*4: もっとも、見抜かれたところで犯人には直結しないトリックである……はずなのですが、雑学に言及された途端に誰もが直ちにトリックに気づく中、独り反応が遅れたために犯行が露見してしまったのは、やはりトリックの脆弱さゆえ、というべきなのでしょうか。
*5: ちなみに、“海老原彰一”という名前は「テトロドトキシン連続毒殺事件」ですでに示されています(147頁)

2014.09.27読了