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肖像画/依井貴裕

1995年発表 (東京創元社)

 本書で目を引くのは、繰り返し示される“バールストン先攻法”――犯人がすでに死んだように見せかけて容疑の圏外に逃れること、つまり“死んだとされている人物が犯人”――の構図です。
 まず最初に疑惑を向けられるのは、すでに死んだ(はずの)史織です。史織はすでに死んでいると弥冬が断言してはいるものの、怯える初音の“史織は生きているのよ。あのときに死んだのは別の人間だったんだわ!”(63頁)という台詞は、はっきりとバールストン先攻法を示唆するものです(第1のバールストン先攻法)。
 次に、当初は弥冬のものだとみなされた、二番目に発見された黒焦げの死体が別人のものであることが明らかになった時点で、容疑は弥冬に向けられます(第2のバールストン先攻法)。
 そして最後に、三番目に発見された死体が結花のものでないことが明らかになり、犯人が結花であることが示されます(第3のバールストン先攻法)。

 被害者-1被害者-2被害者-3犯人
  (1)  片倉初音片倉弥冬片倉結花片倉史織?
(2)(同上)?(別人)(同上)片倉弥冬?
(3)片倉初音彩瀬瑞穂片倉弥冬片倉結花

 このように、二度にわたってバールストン先攻法の構図が示されながらも、“二度あることは三度ある”とばかりに最後の真相もやはりバールストン先攻法という徹底ぶりです(上の表からもわかるように、主要な容疑者及び犯人はいずれも死んだ(とされている)人物になっています)。
 また、バールストン先攻法とは端的にいえば、n+1人からn個の死体を作り出す作業に他ならないわけですが、本書では冒頭で彩瀬瑞穂というおあつらえ向きの人物が登場しており、黒焦げの死体が瑞穂のものであることを見抜くのは容易でしょう。

 そうしてみると、「読者への挑戦」の時点でバールストン先攻法という手法が強く示唆されており、作者はいわば手札を大幅にさらした状態で勝負に挑んでいるともいえるのですが、にもかかわらず真相を見抜くことはかなり困難だと思われます。それは、奇術でいうところの“フォース”に通じる、偽の真相を読者に強制する強力なミスディレクションが仕掛けられているからです。

 第三の死体は、その外見の偽装もさることながら、その妊娠状態と、“結花”の名前を強調するミスディレクションとにより、ほとんど結花のものとしか考えられなくなっています。
 まず外見については、結花が昔美容院に勤めていたという伏線が効いていますし、目に針を刺されているために人相の違いが判別しにくくなっているのも見逃せません。
 また妊娠状態については、51頁で富岡秀之が回想している弥冬と久子の会話(実際には猫のユウカに関するもの)がポイント(直接話法でないのでアンフェアとはいえません)で、その後(70〜71頁)の結花の“自己申告”を読者に対して補強しています。
 そして、史織が残したプロット・肖像画の光景・見立て・猫殺しなどが一体となって“結花”の名前を強調している点は非常に秀逸です。しかも、史織のプロットに本来の見立ての理由(史織には実行できないと思わせる)が明示されていることが、一層真相を見えにくくしていると思います。
 さらにいえば、プロットの隠し場所である時計を暗示するための贈り物が、第三の死体(弥冬の死体)の腕を切断する真の理由を隠す役割をも果たしているところにも注目すべきでしょう。

 このような強力なミスディレクションにより、あたかも(自由に選んでいるように見せかけて)相手に特定のカードを選ばせる“フォース”の技法のように、第三の死体が結花のものであるという偽の真相を読者に強制することで、“バールストン先攻法”という使い古された手法を復活させるという作者の企みは、やはり見事というべきではないでしょうか。

* * *

 ところで、多根井は弥冬の切断された親指について“生体反応のない指を作り出すのは簡単です”(328〜329頁)と述べていますが、具体的な方法は最後まで説明されません。おそらくここで想定されているのは黒川博行の某作品(以下伏せ字)(『切断』)(ここまで)で使われたトリックで、(以下伏せ字)一度切り離されて“死んだ”指をもう一度切断することで生体反応のない切断面を作り出す(ここまで)というものでしょう。

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 最後に、大槻警部は弥冬の思惑に関して“片倉弥冬は誘いに乗らない男が許せないらしくてね。自分よりも片倉初音に好意を示す垣尾達也が気に入らなかったそうなんだ”(313頁)と述べていますが、そのような理由であれば弥冬が(垣尾の恋人である)結花に相談を持ちかけるのはかなり不自然だと思います。

2006.06.18再読了

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