本書のメインの仕掛けは、“異星人イレム・ロウ”が瀬山洵の別人格だったという“真相”、すなわちSFミステリと見せかけて実はそうではないというトリックですが、SFミステリという(サブ)ジャンルの定着ぶりがうかがえるのが興味深いところです。特に西澤保彦の一連の作品以降、ミステリにSF設定を導入するという手法がだいぶ一般的になっていることで、それを逆手に取った本書の仕掛けが成立しているのですから。その意味で本書は、“アンチSFミステリ”と表現すべきなのかもしれません。
しかしながら、本書では、SF設定が完全に解体されているとはいえません。
まず目につくのは、清家涼がナイフで刺された場面のテレキネシスで、“イレム”の視点で描かれたナイフの動きは、SF設定抜きでは説明できません(“イレム”が見たナイフの動きが不連続であれば、例えば“イレム”から“果凛”へと人格交代し、涼をナイフで刺した後にまた“イレム”に戻る、という可能性も考えられるのですが)。
またテレポートについては、人格交代に伴う記憶の欠如によってうまく説明されていますが、宇野保則の部屋からの“脱出”(90頁)はこれでは難しいでしょう。たとえ“果凛”に人格交代したとしても、岡谷を殺したばかりの宇野が、やすやすと目撃者を解放してくれるはずがありません。
一方、リーディングについては微妙です。七夕茅春から読み取った光景(211〜212頁)は、事実と思われる冒頭の場面(7〜9頁)によれば茅春自身が直接目にしたはずがないのですが、茅春が想像したイメージを読み取ったと考えることもできます。そもそも、伊牟田周蔵からのリーディング(162〜163頁)に周蔵本人が登場しているところからして、視覚的な記憶ではなく回想を読み取ったものと考える方が筋が通るように思います(山路敬悟の場合(249〜250頁)には、記者会見の映像を本人が見た記憶という解釈もできます)。もちろん、すべてが瀬山洵の妄想/幻覚という可能性もありますが……。
さらに気になるのが、序盤、地球に到着したイレムが人間に変形する場面(16〜19頁)で、これが事実でないとすると、“イレム”の視点による描写のどこまでを信用できるのか、まったくわからなくなってしまいます。
とはいえ、異星人という真相ではつじつまの合わない部分があるのも確かです。やはり作中の世界は不安定なまま、ということなのかもしれません。
2004.07.25読了 |