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あやかしの裏通り/P.アルテ

La Ruelle fantome/P.Halter

2005年発表 平岡 敦訳 HK01(行舟文化)

 “消える裏通り”のトリックは、方向の勘違い*1というたわいもないものではありますが、巻末の芦辺拓氏の解説に“アルテ氏自身の実体験”(277頁)とあるように、比較的ありがちなだけに説得力はあると思います。そもそも、家の消失くらいであれば物理的な消失も考えられる*2ものの、それより広範囲の場合には物理的に“消す”のはまず不可能で、およそ心理的な錯誤しかあり得ない、と考えると妥当なところでしょう。

 しかし、230頁の図3に示された勘違いを生じる手段はなかなか巧妙で、オーウェンら三人がムーン小路を訪れた際に“うえを見あげると、屋根と板壁で囲まれた通路が、むかい合った家を路地ごしにつないでいた。”(171頁)と、奇怪な構造が堂々と示されているのですが、まさかそのように使われるとは思いもよりませんでした。行きと帰りで経路が違うことを示す手がかりは、“どうやら帰りは、別の部屋を抜けたらしい。”(208頁)というアキレスの独白くらいしか見当たりませんが、これはやむを得ないところでしょうか。

 クラーケン・ストリートでベイカーが目撃した怪人物が、すでに亡くなった殺人犯ジョージ・トッドだと判明する一方、スチール司祭が目撃したロシアンルーレットの一幕そのままに、ハーバート卿が命を落とす――といった具合に、クラーケン・ストリートの“魔力”にそれなりの信憑性が与えられた結果、ラルフが目撃したという殺人の光景がクローズアップされるという流れがなかなか巧妙です。

 というわけで、通りの消失は一旦脇において、ラルフの“目撃談”を手がかりに過去の犯罪を掘り起こす、いわゆる“スリーピング・マーダー”ものに転じるのがまず面白いところですが、しかしそれもまたメインではなく、“スリーピング・マーダー”を暴こうとする側が本命となっているのがユニーク。加えて、ゾエではなくヒーサーの方が殺されていたという“二重底”の真相が、真犯人であるゾエの息子・ラルフにとって大きな打撃となるところもよくできています。

 「エピローグ」でオーウェンが挙げているミスの三つ目*3――外交官でありながらハーバート卿を“何者なんだ?”(110頁)と知らないふりをしたことは、犯人に直結する手がかりといえますが、あとはせいぜい“男爵夫人”と互い惹かれ合う関係くらいで、読者が推理するのは困難かもしれません……が、まあそこはそれ。

 少々気になるのは、作中でも“馬鹿げてる。そのためにこんな事件を起こすなんて”(245頁)と突っ込まれている*4ように、エヴァートン男爵を告発するにしてはあまりに遠大すぎる点で、しかも、クラーケン・ストリートの“悪戯”だけならまだしも殺人まで犯した*5となれば、明らかに度が過ぎているといわざるを得ないところです。もっとも、殊能将之氏が『死まで139歩』について“こんな動機でこんなことをする人は絶対にいない”と評した*6ことを踏まえれば、これはむしろアルテの“持ち味”というべきではないか、とも思われます。

 終盤にアキレスが自ら体験したクラーケン・ストリートの怪異が、オーウェンの“仕込み”なのは見え見えだと思いますが、それゆえに、オーウェンの計画に協力していた(ように見える)ラルフに疑いを向けにくくなっているのがうまいところですし、冒頭の騒動の一因となった逃亡犯ラドクリフがラルフを演じていたという結末にニヤリとさせられます。

*1: “クラーケン・ストリート”ことムーン小路から出た先が、ラドナー通りなのかチャップマン通りなのか気づいてもよさそうな……というのはやはり現代の感覚で、標識などもあまりなさそうな一九〇二年であれば、そうそう気づかなくてもおかしくはないでしょうし、“通りの名前を記した標示板を読めないように”(258頁)霧の晩に計画を実行したあたりは入念です。
*2: 比較的有名なところでは、某国内作家の短編((作家名)泡坂妻夫(ここまで)(作品名)「砂蛾家の消失」(『亜愛一郎の転倒』収録)(ここまで))があります。
*3: オーウェンが指摘する他の三つのミス、すなわち水飲み場に関する証言、過去のポスター、男爵に関する証言は、いずれも致命的とはいえないのではないでしょうか。
*4: 流れからみて、ウェデキンド警部の台詞でしょうか。
*5: ……といいつつ、実際にはベイカーとハーバート卿の死はどちらも殺人かどうかはっきりしないわけで、ラルフを罪に問うのも難しくなる可能性があるように思われます。
*6: 『死まで139歩』(ハヤカワ・ミステリ)の法月綸太郎氏による解説を参照。

2019.03.05読了