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早朝始発の殺風景/青崎有吾

2019年発表 (集英社)
「早朝始発の殺風景」
 殺風景*1がまず指摘する、加藤木の乗車位置の問題については、コンビニがある(はずの)商店街には一号車の停車位置が便利であることが示されているのですが、この箇所は殺風景の目的を解き明かそうとする“加藤木のターン”で、“七号車から(中略)自然公園が目の前”(20頁)の方がクローズアップされてしまう――つまり、互いの思惑を探り合うプロットそのものを利用して、うまく手がかりを隠してあるのが巧妙。また、“鶉谷駅は、ホームの端、一号車の停車位置近くに階段がある”(26頁)ことも、読み返してみると地味ながらしっかり示されています*2

 殺風景が、乗車位置の問題を解明しきれていないのは致し方ない*3として、加藤木の目的地が同じ自然公園だとひとまず仮定した上で、自ら手がかりを与えて加藤木を誘導するのに脱帽。その後は映研のLINEを手がかりに推理が進んでいきますが、“朝六時”に美術館の中庭で”(いずれも18頁)というさりげない記述で不法侵入が示唆されているのがうまいところで、(必要性はやや疑問ですが)アリバイ工作という結論にも納得です。

 一方、殺風景が自然公園に“連休明けからずっと”(12頁/21頁)毎朝通っていることから、その行動を“ゴールデンウィーク以降学校に来なくなった”(10頁)友人の叶井と結びつけ、さらに軍手とジップロックからゴミ拾い――人探しへとつなげて思いのほか不穏な真相を掘り起こす、加藤木の推理もなかなかよくできています*4。そして、“皮を剝いてどうだとかブツ切りにしてどうだとか”(17頁~18頁)という、メモ帳の記述の意味が明らかになる最後の一行が鮮やかです。

「メロンソーダ・ファクトリー」
 詩子が草間先輩を“一年かなあ”(47頁)と間違えたことが有力な手がかりですが、スカーフの色の違い“三年生は赤で一年生は緑”(42頁)とさらりと書いてあるだけですし、何より色覚異常が女子では珍しい*5こともあって、読者が真相を見抜くのは少々難しいように思います。

 しかるに、作中で使われているメロンソーダとアセロラソーダという小道具が絶妙で、ノギちゃんの“細工”によって二つのグラスが色しか違わない状態*6となることで、真相が実に鮮やかに示されているのみならず、詩子が“なぜストローを使わないのか”という謎が派生している*7ところもよくできています。そして、緑色だからメロンっぽく感じるだけだろ”(46頁)という何気ない一言が、予想外の重さを伴ってはね返ってきたのを受けての、最後の真田の“気まぐれ”とその結果――“確かにメロンの味がした。”(73頁)という幕切れもお見事。

「夢の国には観覧車がない」
 観覧車が一周する時間を問われて“二十二分です”(78頁)と、中途半端な時間を即答しているのは大きな手がかりですが、それを待つまでもなく伊鳥が何かをたくらんでいることは明らか。とはいえ、“現在進行形の“犯罪””ということもあり、何より肝心な事実が伏せられていることで、読者がその企みを見抜くのは不可能でしょう。ただ、キッズエリアで何かを“見つけた”(101頁)“俺”が“完全犯罪”を口にしたところで、“俺”が何を見たのかを予想することはできなくもないかもしれませんが……。

 いずれにしても、“葛城に彼氏がいる”ことを知らせるだけのために、持って回った“完全犯罪”を周到に計画した伊鳥の労力に脱帽です。

「捨て猫と兄妹喧嘩」
 “おとなしいって書いてるし”(122頁)という、典型的な“犯人の失言”が手がかりとなっていますが、メモは確かに“箱のこっち側の側面”(116頁)に貼られていたものの、その後に妹がはがして兄に見せたりしているので、かなり気づきにくくなっている感があります。むしろ、父親の再婚相手が猫アレルギーだと知っていたこと*8の方が、あからさまに真相を示唆しているようにも思えます。

 ということで、猫を捨てたのは兄だったという真相ですが……父親が悪いのはもちろんとしても、後味があまりよろしくないのは確か。空き家で飼うという最後の選択も、正直なところどうかと思わないでもない*9のですが、これは子供ゆえの限界の表れと考えるべきでしょうか。そこまで含めて、親の事情に翻弄される子供たちの悲哀がしっかりと描き出されている、といいうことかもしれません。

「三月四日、午後二時半の密室」
 まず、草間が煤木戸の仮病を疑っていることが、効果的なミスディレクションとなっているのが見逃せないところ。草間が指摘している(182頁~183頁)ゴミ箱やリモコンの問題に気づいたとしても、それらは――草間自身が独白している(183頁)ように――仮病という“誤った解決”と整合するために、“真の解決”が隠蔽されることになります。

 決定的な手がかりとなるのはやはり、部屋の中にスマホの充電器がないという事実ですが、あるべきものが存在しない“不在の手がかり”なので、かなり目立たないのが巧妙。また、部屋のエアコンが動いていない(152頁)にもかかわらず室外機が動いていた(150頁)ことも重要な手がかりですが、部屋に入る際の“温度も湿度も変わらない”(151頁)という、これまた目立たないダメ押しの手がかりが秀逸です。

*1: まさかこれが苗字とは思いもよりませんでしたが(苦笑)、“彼女の表情は相変わらず殺風景で”(14頁)の“うまいこと言った感”にもニヤリとさせられます。
*2: 加藤木は“ホームの端に設けられた階段を下り”(7頁)てちょうどいい位置まで歩き、“一号車を先頭にして”(8頁)ホームに入ってきた電車が発車すると、“先ほど下りた階段が右から近づき”(9頁)とあるので、階段があるのは先頭側、一号車の位置が最も近いことがわかります。
*3: 読者にとっても、冒頭の描写だけでは、七号車の位置が“ホーム上で最もカメラに映りやすかった”(31頁)かどうかは不明です。
*4: 叶井に関する“噂”は読者に伏せられていますが、殺風景の行動が叶井に関係していることまでたどり着けば、“怪我をした”(10頁)だけでも“犯人”の存在は予想できるのではないでしょうか。
*5: 作中には“女子の場合だと(中略)五百人に一人くらい”(67頁)とあります――ちなみに男子では二十人に一人――が、これは軽度の色覚異常も含めた比率なので、赤と緑のスカーフが区別できない重度の色覚異常はかなり少なくなると思います。
 また、詩子は“小二のときに”(66頁)検査したとされていますが、このレベルであれば発覚自体はもっと早いはずです(父親が確実に色覚異常ということもあるでしょうし)。
*6: 色覚ネタでほとんど考慮されない明度差の問題――色で区別できなくても、ある程度の明度差があれば区別できる――も、この二つならばあまり問題はなさそうです。
*7: 一杯目の時に詩子は“取ってくるの忘れた”(47頁)と言っていますが、先に真田が今日は(中略)アセロラソーダを選んだ”(44頁)のを見て、区別しやすいようにあえてストローを取らなかったと考えられます。
*8: “家に来たの一回だけだし。そのときもたいして話さなかった”(132頁)にもかかわらず“知っていた”ということは、猫アレルギーが話題に上るような出来事があったと考えて差し支えないでしょう。
*9: 極論すれば、自分たちの目の届かないところで猫に何が起こっても仕方ない、と割り切らざるを得ない飼い方なので……。

2019.02.13読了