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七番目の仮説/P.アルテ

La Septieme Hypothese/P.Halter

1991年発表 平岡 敦訳 ハヤカワ・ミステリ1815(早川書房)

 ムーアの話を聞いた後でハースト警部が立てた六つの仮説(90頁~92頁)は、以下の通りです(赤字はそれぞれの仮説に対する否定的な意見)。

(1)ゴードン卿とランサムの共謀
作り話を聞かせてムーアをからかうため。
  → 二人はムーアが立ち聞きすることを予測できないはず。
(2)すべてがムーアの作り話
ムーア自身が殺人計画を立て、ゴードン卿かランサムに疑いを向けようとしている?
  → 結局はムーア自身が疑われることになるので無意味。
(3)ゴードン卿、ランサム、ムーアの三人による共謀
三人の共謀による殺人計画のための捜査の撹乱、もしくはツイスト博士らを引っかける悪戯?
  → コーエン殺しにつながる“ペストの医者”をわざわざ持ち出す必要はない。
(4)ムーアとゴードン卿の共謀
殺人を犯してランサムに疑惑を向ける。
  → (3)と同様。
(5)ムーアとランサムの共謀
殺人を犯してゴードン卿に疑惑を向ける。
  → (3)と同様。
(6)ムーアの話はすべて真実
ゴードン卿とランサムが実際に“決闘”しようとしている。
  → ?

 これに対して、ツイスト博士は“きみは数学的な側面から問題を提起した。でも(中略)ただの順列組み合わせじゃ、こうした犯罪は解決できない。”(92頁)と述べていますが、純粋に組み合わせを考えた場合には“漏れ”――ゴードン卿またはランサムの単独犯――があるにもかかわらず、それがなかなかうまく隠されていると思います。

 問題は、ムーアが嘘をついていない場合において、本当に“決闘”が行われようとしている(仮説(6))のか、ムーアに聞かせるための作り話だった(仮説(1))のか、いずれにしてもゴードン卿とランサムが通じ合っている可能性しか検討されていない点ですが、冒頭に登場する“ペストの医者”が三人であり、名前の出たコスミンスキー以外にあと二人が関与していることを考えれば、確かに単独犯を想定しがたい状況であるといえます*1。結局のところ、独自の思惑を隠した“劇作家”が台本を書いて“俳優たち”に演じさせたというのが事件の構図で、当初から複数犯ということが示唆されているために、真相が見えにくくなっているところがあるのではないでしょうか。

*

 コーエン殺しではまず、現場の廊下から脱出できそうな経路が見当たらない(下宿の見取図(30頁)参照)ことからして、一行が廊下に出る以前に“消失”が起きたこと、ひいてはコーエン自身が“消失”に協力していたことを疑うべきだともいえますが、当のコーエンが殺されてしまったことがミスディレクションとなっていますし、ゴードン卿、ランサム、コスミンスキーの三人がうまく“ペストの医者”に当てはまりそうなところも効果的だと思います。

 “メルツェルの将棋指し”が手がかりになっているのは面白いものの、空洞の人形を使った消失トリックそのものは“脱力系”。しかし、その人形が同時にコーエンの命を奪った“凶器”でもあるというダミーの真相が非常に秀逸です。その後の、空のゴミ缶の中に死体を出現させるトリックはさほどのものでもありませんが、“ドクター・マーカス”の不審さを強く印象づける上では必要不可欠な作業といえるかもしれません。

 ネタバレなしの感想には“あまり意味のない単なる装飾――悪くいえば“こけおどし”――に堕しているように感じられます。”と書きましたが、担架や仮面といった小道具のことを考えれば、消失トリックに関して“ペストの医者”という装飾が有効であることは理解できます。また、“決闘”の話とコーエンの事件との関連を示唆するにあたっても、ペストの医者の人形がうまく使われているのは確かです。ただ、せっかく生み出されたおどろおどろしい雰囲気があっさりと消え失せてしまっているのは、やはりもったいなく感じられてなりません。

*

 第二の事件であるムーア殺し/コスミンスキー襲撃では、やはり殺人によるアリバイ工作が目を引きます。特に、ムーアが盗みに入ったと偽装しているのがうまいところで、“決闘”の話に関するランサムへの説明と辻褄が合うようになっていますし、さしたる罪に問われることなくアリバイを主張できるのは大きなメリットです。その分、国内作家による前例*2に比べるとインパクトに劣るきらいもありますが、(罪状はともかく、行為としては)殺人によって殺人未遂事件のアリバイを主張するという逆説的な計画は、なかなか面白いと思います。

 悩んでいる時に手の中で鉄球を動かすという何気ない癖が、ムーアの死とコスミンスキーの死に際してのゴードン卿の心境の違いを浮き彫りにし、それがアリバイ工作を見抜く手がかりになっているところもよくできています。

*

 ちなみに、解決直前の“われわれの相手は多くの点から見て、まともな精神の持ち主じゃない。だからこそデイヴィッド・コーエンやピーター・ムーアを殺し、コスミンスキーを襲ったんだ。”(187頁)というツイスト博士の台詞はいただけません。ムーアを殺したのがゴードン卿であることは明らかなのですから、

*1: もちろん、実際には下宿に現れた“ペストの医者”にゴードン卿は含まれていなかったわけですが。
*2: ここで想定しているのは、(作家名)泡坂妻夫(ここまで)の短編(作品名)「煙の殺意」(『煙の殺意』収録)(ここまで)です。

2008.08.13読了