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  4. 消失!

消失!/中西智明

1990年発表 講談社ノベルス(講談社)

 本書をお読みになった方はすでにお分かりのように、本書には三つのサプライズが仕掛けられています。

  1. 被害者が人間ではなくだったこと
  2. 別々だと思われた被害者が同一だったこと
  3. 探偵役の新寺仁が真犯人だったこと
第一のサプライズ

 人間だと思われた被害者がだったというのは、確かに大きなサプライズでしょう。動物を人間だと誤認させるトリック(←必ずしも叙述トリックというわけではない)自体は、メインではないちょっとしたネタとしてならば、さほど珍しいものではないと思います*1が、長編のメインに近いネタで(新書版で)200頁まで引っ張るというのは例を見ないのではないでしょうか。

 逆にいえば、200頁まで読み進めてきてこのネタだったということに、呆れてしまう向きもあるかもしれません。しかし、決してこのネタが本書のメインではないということは、まだ結末まで(新書版で)50頁ほど残されていることからも明らかでしょうし、このネタが第2のサプライズと密接に関連しているところを見逃すべきではないでしょう。また、(死体が消失しているということもありますが)犬であるからこそ警察が介入することなく、新寺仁が捜査の主導権を握ることができている、というのも重要です。

 以下、第一のサプライズに絡んだ作中の微妙な記述について検討しておきます。

◇ 彼女の豊かな、そして燃えるような赤毛”(12頁)
 “ジュン”は女性の名前とは限りませんし、“裕二”とも呼ばれていることも考えると実際の性別がどうなのかは定かではありませんが、少なくとも留衣は“ジュン”が“……お、んなのこ”(77頁)だと“知っている”ので、“犯人”が“彼女”という呼称を使うのは不自然ではありません。

◇ “――赤毛の女め。”(13頁)
 これはあくまでも“犯人”の憎悪の対象(である人間の女性)を示したものですから、まったく問題はないでしょう。

◇ “――「殺人」とは、人を殺すことを言うのだ。こいつらは人間なんかじゃない……。”“「赤毛だ」”(35頁)
 一見すると、赤毛(の女)に強い憎しみを持つ“犯人”が、“赤毛”(の人間)を自分(=人間)とは別の生き物だとみなしている、という風に解釈できます。ところがその実、文字通り“人間なんかじゃない”という真相が大胆に示されているところが秀逸です。
 この場面では、“二度目の殺し”(34頁)とはいえ、“犯人”が手にかけているのはあくまでも一匹の犬です。にもかかわらず“こいつら”という表現が使用されているのは、“犯人”が赤毛の人間も犬も一緒くたにして憎むべき“赤毛”だと考えていることの表れでしょう(“とにかくこいつは、あの赤毛の女と同じ仲間なのだ。”(13頁)という記述もありますし)。

◇ “ことによるとそのフルネームはキミガワジュンコというのかもしれなかった。”(57頁)
 この一文は、個人的にはかなり微妙。一般的に、犬に対して“キミガワジュンコ”のような名字込みの命名をするとは考えにくく*2、“かもしれない”という表現で可能性を示すにとどめてあるにしても、アンフェア気味の過剰なミスリード*3という印象は否めません。
 ただし、“犯人”が公川順子に対する強い妄執を抱えていることを考慮すると、“ジュン”→“キミガワジュンコ”という連想が頭から離れなくなっていることにはそれなりの説得力が感じられます。

◇ “マリー”が人間であるかのような記述(97~99頁)
 この場面のポイントはもちろん、回想の主をユカだと誤認させるトリックです。“マリーって人は”(97頁)といった独白がユカのものだと誤認させることで、読者は強くミスリードされることになり、後に“隣りのベッドのおばさん”(99頁)によるものだと明らかになっても、“マリー”が人間だという思い込みが消えにくくなっているのではないでしょうか。


第二のサプライズ

 それは犬でなければならなかった――とまではいえないかもしれませんが、被害者が人間では、第二のサプライズを成立させるのが至難の業だというのは明らかでしょう。まず、体の大きさ(と重さ)のせいで、死体の“消失”と使い回しがかなり難しくなります。そしてもう一つ、被害者は三つの名前――しかも男性名と女性名が混在――を持った三重生活を送っていたわけですが、これは犬、しかも(半ば)野良犬と認識されていたからこそ可能だったといえるでしょう。少なくとも、人間であればこれほど無理なく三重生活が成立するとは思えません。

 当初の“無差別殺人―ミッシング・リンク”という当初のテーマから、第一のサプライズによって“殺人”が脱落し、さらに第二のサプライズで“ミッシング・リンク”までも“消失!”してしまったようにみえるのが非常に面白いところです。実際には、“被害者が共通だった”ことこそが、“三つの事件”のミッシング・リンクだったということもできるのでしょうが……。

◇ “――オレは、あいつらを殺すことが楽しみになりかけている……。”(82頁)
 一見すると複数の被害者を手にかけたことを指しているようですが、この“あいつら”は“赤毛”を指していると考えられます。“楽しみ”になってしまった結果は、本書の結末に暗示されています。

◇ “「犯罪の主体」も――いや主体どもも”(82頁)
◇ “男は、目の前に並んだおぞましき物体たちをもう一度見つめた。”“目の前に並んだ死体を――死体を――死体と首を。”(136頁)
 “主体ども”“物体たち”と複数形になっているため、被害者が単数だという真相が見えにくくなっています。これはもちろん、実際には“死体と首”を指しているわけで、(真相が明かされてみると)単に残虐なだけで無駄とも思える“三度目の凶行”が、大きな意味を持っていることがわかります。

◇ “この三者の存在が、未来が、今や完全に消し去られてしまった”(136頁)
 いかに一匹の犬だったとしても、“マリー”・“裕二”・“純”という三つの存在が消滅してしまったのは間違いありません。

◇ “三つ、かもしれませんよ”(135頁)
 これも先の“隣りのベッドのおばさん”(99頁)と同様、事件と直接関わりのない「(別人)」によってミスリードする、巧妙な手法といえるのではないでしょうか。

◇ “ただ美しい赤毛だからというだけで、三匹もの犬を殺そうとする人間はいない。”(203頁~204頁)
 文脈から、どうしても前半が否定されている、つまり動機が“ただ美しい赤毛だからというだけ”ではないという意味であるように読めてしまうのですが、実は否定されているのは後半。客観視点の地の文に仕掛けられた、非常に巧妙なトリックです。


第三のサプライズ

 最初に本書を読んだ時には、取ってつけたようにも感じられる第三のサプライズは不要ではないかと思ったのですが、今回再読してみるとやはり必要だという印象を受けました。

 読者にとっては三つの事件が一つの事件にまとまるという形になっている反面、当然ながら犯人にとっては一つの事件が三つの事件に“分離”する形になっているわけですが、実質的にそれを成立させているのは、新寺仁の探偵活動だといえます。つまり、作中において*4“ミッシング・リンク”というテーマを関係者に強く意識させているのは、新寺仁その人なのです。

 ここで、表面的な解決そのままに“オイさん”が犯人だったとすれば、本書の特異な事件の構造は犯人の意図とはまったく関係なかったことになります。それはそれで悪くはないのですが、やはり犯人自身が意図的に仕掛けたものである方が面白いのは間違いないでしょう。

 というわけで、新寺仁が“探偵=犯人”として表裏両面から特異な事件の構造を作り上げたとする真相は、非常に面白いものだと思います。“探偵=犯人”という真相そのものよりもむしろ、“偽の真相”をスムーズに成立させるための“探偵=犯人”という構図がよくできている*5といえるのではないでしょうか。

◇ “ふたりが部屋を出ていくと、男は両手を、かきむしるような格好で頭にかぶせた。”(115頁)
 これは、同道堂裕子と同道堂三朗が“オイさん”のいる用務員室を出た場面の直後に挿入された「(犯人)」のパートで、どうみても“オイさん”のことを指しているようにしか読めません。しかし実際には、“ひょっとして寝るために、あたしたちに朝ごはん買いに行かせたんじゃないの!”(121頁)という留衣の台詞から推測できる、新寺仁探偵事務所から留衣と龍蔵の二人が朝ごはんを買いに出て行った後の場面でしょう。

 それにしても、作中での“中西智明”の扱いが何ともいえません。よりによってこんな役割を振らなくても……。

*1: すぐに思い出せるところでは、かのアントニイ・バークリーが(一応伏せ字)『レイトン・コートの謎』(ここまで)で使っています。
*2: とはいえ、同道堂裕子の場合にはもちろん、ただの“裕二”ではなく“同道堂裕二”だと考えているのでしょうが。
*3: 私見では、可能性が(まったくゼロではないにしても)著しく低い、つまり真相を踏まえてみると著しく不自然な記述は、やはりアンフェアというべきではないかと思います。
*4: もちろん、読者に対しては作者がそれを示しているわけですが。
*5: このあたりは、近年(扶桑社文庫で)刊行された某海外長編((以下伏せ字)ギジェルモ・マルティネス『オックスフォード連続殺人』(ここまで))の魅力に通じるところがあります。

2007.10.16再読了