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時を巡る肖像/柄刀 一

2006年発表 (実業之日本社)

 一部の作品のみ。

「ピカソの空白」

 鏡とガラスの錯覚を利用するトリックには既視感がありますが、そこに眼帯の着け替えという天才画家・冷泉朋明ならではの奇矯な――常人を超えた発想に基づく――行動が加わることで、事態が複雑になっているのが面白いと思います。そしてまた、犯人でない冷泉のトリック(?)によって犯人のアリバイが成立するという構図、さらには(これまた)常人の発想を超えた冷泉の動機が非常に秀逸です。

「『金蓉』の前の二人」

 仕掛けが犯人の予期せぬタイミングで作動するなどのひねりは加えられていますが、携帯電話の振動を利用するという基本的なアイデアには某映像作品((以下伏せ字)「綾辻行人・有栖川有栖からの挑戦状(2) 安楽椅子探偵、再び」(ここまで))という前例もあり、少々物足りなく感じられるのは否めません。また、古関誠の独特の手法と志野正春の危うい心理が強調されていることで、話の流れがかなり予測しやすくなっている部分もあります。

 というわけで、あまり面白味のない作品という印象は拭えなかったのですが、きたろーさん(「きたろーの本格ミステリ雑感」)による感想“最後の一行を意味を考えると、ひょっとすると事件の全ては、夫人だけでなく夫の本性も暴き立てて真実の家族の肖像を描こうと考えた古関の仕業だったのではないかとも思える。”という箇所を読んで目から鱗。確かに最後の一文には“古関誠は本格的に絵筆を執り、志野正春と香蓉子、二人の肖像画を描き始めた。”(118頁)と記されていることから、古関は香蓉子だけでなく正春についても“内面の真実”をつかんだということになります。序盤の記述(“香蓉子を描くために”(64頁)“香蓉子の肖像画を誰かに描いてもらうことなど可能かな、と正春が言いだした”(65頁)など)をみると、少なくとも正春は自身も肖像画に収まることは考えていなかったようですが、古関の思惑は判然とせず、その意味で“これはリドルストーリーといえるかもしれない。”というきたろーさんのご指摘が妥当なのかもしれません。

「遺影、『デルフトの眺望』」

 フェルメールが『デルフトの眺望』に本物の砂を塗り込めたことを知っていれば、“絵の具を掻き落としてみろ、という意味”(166頁)を見抜くことは不可能ではないかもしれませんが、そうでなければ“上下に震えるような動き”(150頁)から“指を曲げる動き”(161頁)を発想するのは困難でしょう。

「モネの赤い睡蓮」

 色盲視細胞がモザイク状に発生し、片方の目が見えない状態となったことで色盲が発症するというメカニズムには、なかなか興味深いものがあります。“赤い睡蓮の呪い”という言葉からはすぐに色盲(色覚障害)が連想されるところですが、その複雑なメカニズムもあってナツが画家たりえているということがミスディレクションになっています。そしてまた、色盲がナツ自身の出生の秘密にかかわってくることで、衝撃がより大きなものになっているところが秀逸です。

 ただし、実際に赤緑色弱である私自身の体験からいえば、(彩度が低く明度の差が小さい場合に)色の系統(色相)を混同することはあっても、同系統の色の濃淡(明度もしくは彩度)を混同することはないと思いますし、特に明度については障害を持たない人よりもむしろ敏感なくらいですから、謎の中心となる薬瓶の誤認は成立しないように思われます。もっとも、ナツのように後天的かつ部分的に発症した場合には、多少事情が違ってくることもあるかもしれませんが……。

「デューラーの瞳」

 “内”と“外”の反転するトリックの豪快さ、そしてそれを支える、被害者の心理を冷徹に読み切った詰め将棋のような“操り”が見事。また、デューラーの『野うさぎ』が解決の糸口となっているところも見逃せません。

2007.07.18読了