六つの航跡(上下)/M.ラファティ
Six Wakes/M.Lafferty
殺人事件の犯人については、最初に襲われたカトリーナはまず除外できるとして、先に毒を飲まされたマリアも犯人とは考えられず、さらに重力があるうちに首を吊ったヒロも、重力発生装置を停止させた犯人ではない(*1)――ということで、かなり早い段階でウルフガング、ポール、ジョアンナの三人に絞り込むことができます。
やがて、ポールの死体の“大腿部にひとつだけあった黒い点”
(上巻100頁)をきっかけに、ポールが注射器で殺されたことが判明します(上巻226頁)が、注射器は、牛刀を手にした犯人の予備の凶器にはそぐわないので、犯人(ジョアンナ)が注射器を使ったのではなく、“ジョアンナが注射器で犯人に応戦した”と考える方が自然でしょう。したがって、この時点で(動機は不明ながら)ポールが犯人と考えていいように思います(*2)。
そして「ポールの場合」で、クローンに恨みを抱いていたという、それなりに納得できる動機も判明。一方、イアンが発見したマリアのログで、ポールがヒステリー症状を起こした末に、ウルフガングに殴られて記憶を失ったことが明らかになり(下巻94頁)、“犯人はなぜ二十五年もたってから行動を起こした?”
(上巻81頁)という疑問にも、説得力のある答えが用意されているところがよくできています。
ところで、クローン再生の際に、乗船前の――ポールが殴られて記憶を失う前のマインドマップが使われたとすれば、ポールは動機を見失っていないことになりますし、キッチンから消えた骨透きナイフとペティナイフ(上巻178頁)を隠し持っていたわけですから、自身が犯人であることにいち早く気づくこともできたはずです。そこまではいかないとしても、カトリーナとの会話の中での“すべてのクローンを憎んでいるやつの犯行ということも、考えられるんじゃないかな”
(上巻230頁)という言葉は、まさにその動機を抱えている人物が自ら口にするのは危険極まりないので、かなり不自然ではないでしょうか(*3)。
*1: もちろん、ヒロが発見した自殺直前の動画の“手伝っていたんだと思う――あいつを”
(上巻130頁)という言葉からも、ヒロ以外の人物が犯人であることがうかがえます。
*2: クローン再生時の様子で匂わされている、ポールだけがクローンではないという“非対称性”も、ヒントといってもいいかもしれません。
*3: “やっと思い出したよ”
(下巻229頁)以降のポールの台詞をみても、なぜかクローン再生前と同じく、クローンへの憎悪を忘れていたように受け取れるのですが……。
物語が進むにつれて、ジョアンナやカトリーナはまだしも、サイコパスの殺人者に改造された人格を“ヤドカリ”として抱えるヒロ、クローン反対運動の旗手でありながらクローン再生されて変節を強制されたウルフガングことオーマン神父(*4)、そして超一流のハッカーだったマリアといった具合に、六人の乗員の意外な過去が明かされていきますが、最大のサプライズはやはり、AIのイアンがかつて人間だったことでしょう。“六つの航跡”という題名で“七つの航跡”が登場してくるトリック(?)が鮮やかです。
もっとも、読者に対しては続く「イアンの場合」(下巻202~208頁)ですぐに、その正体がミノル・タカハシであることが明かされているのが少々もったいないところですし、それまでは「ジョアンナの場合」で言及されている(上巻112頁~114頁)程度でほぼ出番がないので、いささか唐突に感じられるのは否めません(*5)。ミノルが登場する「ヒロの場合」(下巻232~242頁)を、イアンが人間だったことが判明するよりも前に配置しておく方がよかったのではないでしょうか。
さらに、乗員たちの過去をつなぎ合わせることで、そのすべてに関わってくるサリー・ミニョンが黒幕であることが見えてきます。同時にドルミーレ号計画そのものが、「カトリーナの場合」で匂わされていた(*6)ように“完璧な復讐”
(上巻154頁)のための計画であることも予想できるでしょう。しかし、その全貌に関しては――ミニョンが不在なのでやむを得ないとはいえ――やや説明不足というか、ミニョンの計画がどこまでだったのか、今ひとつ判然としないところがあります。
一つ気になるのがドルミーレ号の針路変更で、修正に苦労している様子をみるとポール自身の仕業だったとは考えにくいものがあり(*7)、あらかじめイアンに組み込まれた“トロイの木馬”だったのではないかと思えてきます。というのも、カトリーナのいうように(*8)“さんざん希望を持たせたあげく、絶望のどん底に突き落とす”
(下巻266頁)ためには、冷凍睡眠もしくはマインドマップ/DNAマトリックスの状態で乗船している乗客たちを覚醒/再生させる必要があるからで、ポールの犯行により乗員が全滅する事態を想定していたとすれば、そこまで計画していてもおかしくはないでしょう。何よりミニョン自身が、復讐の結果をその目で見届けずにはいられないのではないでしょうか。
*4: オーマン神父に心酔していた(下巻75頁)はずのポールがウルフガングと反目しているのは、皮肉というか何というか。
*5: その一方で、巻頭やカバー袖の「登場人物」にしっかりと名前が出ているあたり、どうもちぐはぐな印象です(これは作者の責任ではないかもしれませんが)。
*6: 「カトリーナの場合」では、復讐からドルミーレ号計画へと話題が転換しているように読めなくもないのですが、“さんざん期待させられたあとで”
・“失意のどん底に突き落とされること”
(いずれも上巻156頁)の後に、“目的がなければ、希望も期待も生まれないでしょう?”
(上巻157頁)という言葉があるところをみると、一連の話だと考えていいでしょう。
*7: “ぼくはただ、家に帰りたいだけなんだ。”
(下巻76頁)というポールの独白もありますが、地球まで25年かかることを考えると、生きて帰るのが難しいことはわかっているはずです。
*8: カトリーナはここで“わたしが教えたことを、あの女は忠実に実行した”
(下巻266頁)としていますが、「カトリーナの場合」では、これはミニョン自身が口にしたことになっています(上巻156頁)……が、そちらはもしかすると翻訳ミスかもしれません(上巻156頁6行目の“ミニョンが言った。”
を挟んで、その前がカトリーナ、後がミニョンの言葉として訳されていますが、これは逆の可能性もあるのではないでしょうか)。
結末では、新たなクローン再生ができないという致命的な問題を、フード・プリンターの“ビヒモス”で解決するというとんでもないアイデアが示されています。“ビヒモス”の性能は事前にかなり説明されているので、作中でそれが可能とされるのは理解できますし、何もないところから出てきた解決策ではなく、自身のクローン再生を期待するミノルの計画がベースとなり、ヒントが用意されている(*9)ところが非常に秀逸です。
……とはいえ、“ビヒモス”でクローン躯体を製造するのは、主に技術的な可能性と必要性の面からみて、さすがに無理があるのではないかと思われます。
フード・プリンターによる食品製造については、“LYFE専用の特殊な3Dプリンター”
や“使用される3Dプリンターは非常に精密で、食品を分子レベルまで分析し、その食品が合成可能なタンパク質とビタミンを含んでいれば、ほぼ完璧なコピーをいくらでも作れた。”
(いずれも上巻71頁)といった説明が作中にありますが、仮に“3Dプリンター”が分子レベルで材料を配置していく(*10)としても、それだけで生きている細胞――生命ができあがるとは考えにくいものがあります。
それが何とかなるとしても、製造過程がまた大問題。“大きなケースに入った成形台の上に、ビヒモスがタンパク質の細い繊維を高速で吹き出し、みるみるうちに一匹のブタを形づくってゆく”
(上巻232頁)という程度の描写であれば、いかにも3Dプリンター的な描写であってもまだ気になりにくいかもしれませんが、“むき出しのブタの内臓が少しずつ現れてくる”
(上巻233頁)と書かれてしまうと、個体としての生命機能の問題が露呈します。例えば、心臓が完成するまでは血流が生じないので、各細胞に酸素と糖(エネルギー源)(*11)が行き渡りませんし、心臓が完成して動き始めたところで、全身の血管がきちんと閉鎖されるまでは流血し放題の大惨事になるわけで、3Dプリンター方式で端から順にクローン躯体を製造していくのは無理といわざるを得ません(*12)。
このあたりの問題については、ミノルが再生される際の“ミノルの頭髪の最後の一本がプリントアウトされた。”
(下巻296頁)という描写をみると、クローン躯体が完成するまで微動だにしていない節があり、マインドマップがインストールされて初めて命が吹き込まれる、という設定のようにも受け取れます。つまり、“体”(クローン躯体)と“魂”(マインドマップ)の合一があって生命たり得るという、どことなくキリスト教的な(あくまでもイメージです)価値観がうかがえるようにも思われるのですが……。
そもそも、食品としては味(成分)とテクスチャー(組織の構造)が再現できれば十分なはずで、例えていうなら、生きて動くカニまで作らなくとも“カニ肉原料のカニカマ”が作れればいい(*13)のですから、フード・プリンターに生命を作る機能が求められる/備わっているとは考えられません。マリアがブタを出力した場面にしても、生きたブタではまず屠殺するのが(余計な)一苦労(*14)なので、フード・プリンターに求められるのはせいぜい、新鮮な“死体”(のようなもの)――作中の表現でいえば“人間の形をした食べ物”
(下巻296頁)――を作るところまでではないでしょうか。
もちろん、クローン躯体はもともと同じように“LYFE”を原料として(上巻71頁)比較的簡単に製造されているようではありますが、培養タンクで“合成培養{アムネオ}液”
(上巻13頁)に入っている様子をみると、本来のクローン躯体の製造は――どうやっているのかまったく不明ではありますが――明らかに3Dプリンター方式ではない(*15)ので、何ともいえないところです。
*9: “ビヒモス”の取説に紛れ込ませてあった、ブタをプリントアウトするテスト(上巻232頁)など。
*10: 分子を一個ずつプリントしていくとすれば、完成までに恐ろしく時間がかかるのは確実ですし、分子の流動などによる微小な位置ずれが致命的になる――細胞の“できそこない”ばかりが積み上がっていく――ので、何とかして先に細胞を作ってから、それをプリントしていく方がまだましな気がしますが、“生きている細胞をどうやって作るのか”という問題は同じです。
*11: これらがどこからどのように供給されるのかは、ひとまずおくとして。
*12: 体内が露出した状態が続けば、雑菌による汚染という問題も当然生じます。
*13: いくらリサイクルできるとはいえ、わざわざ非可食部位まで製造するというのも――特に宇宙船内では――いかがなものかと思います。
*14: 前述の、“生命たり得るにはマインドマップが不可欠”という設定であれば、ブタのマインドマップなどないのですから問題ないことになりますが。
*15: 液中にプリントするのは不可能でしょう。また、もともと3Dプリンター方式で製造されているとすれば、フード・プリンターを使ったマリアの手法が“ノーベル賞”
(下巻298頁)に値するとは到底思えません。
ところで、ミノルの好物の“焼豚入り{ポーク}ラーメン”
(下巻237頁)ですが、“焼豚入り”というだけでは醤油味か味噌味か塩味か定かではないところ、イアン(ミノル)がその匂いを覚えている節がある(下巻250頁~252頁)のをみると、これは本当は、匂いが独特な“豚骨{ポーク}ラーメン”を指しているのではないでしょうか。