グラスバードは還らない
[紹介]
不動産王ヒュー・サンドフォードが所有するガラス製造会社の研究員らは、ヒューの“城”であるサンドフォード・タワー最上階の邸宅でのパーティー招かれる。だが目覚めた時には彼らは、外が見えない特殊なガラス張りの迷宮に閉じ込められていた。やがて、突然ガラスが透明になると、一人が殺されているのが発見される。しかし、迷宮全体が見渡せるにもかかわらず、犯人の姿は見えない……。
ヒューが希少動物を違法に飼育している疑いが浮上し、捜査のためにサンドフォード・タワーを訪れたマリアと漣は、そこで爆破テロに遭遇する。タワー上層に取り残されたマリアは、逃げ場を求めて何とか最上階にたどり着いたが……。
[感想]
『ジェリーフィッシュは凍らない』・『ブルーローズは眠らない』に続くシリーズ第三弾(*1)。今回も「グラスバード」と「タワー」の二つのパートで構成されていますが、その内容は『ジェリーフィッシュは凍らない』の方に近い、事件を“内部”と“外部”から描いた“二元中継”です。“内部”のリアルタイムで進行する事件の様子を描いた「グラスバード」はもちろんのこと、“外部”の「タワー」の方でもマリアが爆破テロに巻き込まれることで、これまでになくスリリングな一作となっています。
前二作では、小型飛行船〈ジェリーフィッシュ〉や青いバラといった“画期的な新技術”が物語の中心に据えられていましたが、本書では“屈折率可変型”や“透過率可変型”といった特殊なガラス(*2)が題材として登場してくるとはいえ、大々的に扱われているわけではありませんし、題名になっている“硝子鳥{グラスバード}”(*3)をはじめとした希少生物の違法飼育も、マリアたちが事件に関わるきっかけとなってはいるものの、テーマといえるほどの扱いではなく、つまるところ、本書ではこれまで以上に事件そのものが前面に出ている感があります。
その事件は、「グラスバード」のパートで“犯人不在”にしか見えない連続殺人がリアルタイムで描かれていく一方、「タワー」のパートでは事件後に“犯人が消失”したとしか思えない現場(*4)をマリアが発見する、という具合。「2019 本格ミステリ・ベスト10」(原書房)で市川尚吾氏は、“本作は本格ミステリでは珍しい、ステージマジック寄りの作品だと解釈されるべきなのだ。”
(同書17頁)と本書を評していますが、“事後”を見せるだけでなく“進行中”にもマジックでいうところの“あらため”を行っている形で、現象の鮮やかさは確かに“マジックとしては満点”といってもいいかもしれません。
……しかしミステリではマジックと違って“舞台裏”を見せなければならないのが難しいところ。謎解きをみると、鮮やかな現象を成立させるために色々無理をした結果、真相がかなり煩雑になってしまっている印象です。それを逆手にとって、意外な真相を少しずつ次々と繰り出していく、いわば“多重サプライズ”に仕立ててあるのはさすがというべきかもしれませんが、作中の捜査陣が知らないはずの「グラスバード」の内容を念頭に置いたような、完全に“読者向け”の謎解きが目につくのも気になるところです。
とはいえ本書の場合、真相の複雑さはそこに横たわる犯人側の物語と表裏一体で、「プロローグ」からつながってくる事件の背景は思いのほか根深く、謎が解かれた後に露わになる犯人の胸中から、何ともやるせない結末に至るまで、印象に残るドラマとなっています。上述した以外にも一部のトリックなど、評価の分かれそうな部分もないではないですが、全体としては期待に十分応えた一作といえるのではないでしょうか。
2018.10.02読了 [市川憂人]
星詠師の記憶
[紹介]
被疑者射殺の責を問われ、謹慎に限りなく近い長期休暇を取ることになった警視庁刑事・獅堂由紀夫は、気分転換に訪れた山間の寒村・入山村で、香島と名乗る少年と出会った。隣の未笠木村で紫水晶を使った未来予知の研究をしている〈星詠会〉の一員である香島は、会内で起きた殺人事件の真相を解明してほしいという。会の事実上のトップである〈大星詠師〉・石神赤司が殺され、その息子・真維那が犯人と目されているらしい。真維那が犯人であるはずがないという香島だったが、赤司の水晶に記録されていた“未来の映像”には、真維那としか思えない人物による決定的な犯行の場面が映っていたのだ……。
[感想]
光文社の新人発掘プロジェクト“KAPPA-TWO”からデビューした作者の、『名探偵は嘘をつかない』に続く長編第二作(*1)で、未来の映像が紫水晶に記録されるというファンタジー風の特殊設定を導入し、巧みに使い倒したユニークな未来予知ミステリとなっています。
物語は、休暇中の刑事・獅堂由紀夫が〈星詠会〉での事件に挑む[現在のパート](2018年)と、殺された〈大星詠師〉(*2)・石神赤司の過去を事件の背景として描いた[過去のパート](1972年~1989年)とで構成されています。本筋の[現在のパート]が特殊設定ミステリとして魅力的なのはもちろんですが、作者が生まれる前の時代に向けた憧憬も込められた(*3)[過去のパート]では、小学生の赤司が偶然未来を予知したところから、兄・青砥とともに検証を重ね、さらに協力者を得て実用化を目指した組織を立ち上げる――といった過程にある種のSF的な面白さが備わっているのも見逃せないところです。
両方のパートを通じてしっかり説明されていく未来予知の設定は、〈星詠師〉自身が将来目撃することになる未来の光景が、他人も確認可能な映像として水晶に記録される(*4)というもので、色々な解釈ができる曖昧な予言よりも格段に情報量が多い上に、“水晶に映された未来は、どうあがいてもその通りになる”
(91頁)という前提(*5)も相まって、場合によっては監視カメラの映像以上に(*6)強力な証拠となり得ます。このような設定によって、本書での興味の中心は“予言が(どうやって)成就するのか?”といった“未来指向”ではない――未来予知ミステリには珍しく、オーソドックスに“何が起こったのか?”が焦点となるのが大きな特徴の一つです。
そして問題の水晶には、顔認証や読唇術で“石神真維那”と判断された人物による犯行場面の映像が残されており、真維那が犯人であることはほぼ確実――逆に真維那が犯人でないとすれば、映像にまったく説明がつかないという、一種の不可能状況となっています。この不可能状況を獅堂が“どのように崩していくのか”、と同時に、真犯人がそれを“どのように作り上げたのか”が、本書では(ある意味フーダニット以上に(*7))大きな見どころとなります。実のところ、当初の状況ではあまりにも不可能性が高すぎるために、途中で一部を“緩める”ことになっているのが(どちらかといえばSF的に)少々気になるところではありますが、決して面白さが減じるわけではありません。
謎解きでは、当然ながら映像での手がかりが重要となるため、読者としては若干もどかしく感じられる部分もありますが、映像の“どこが手がかりなのか”は(獅堂が気づいた時点で)読者に明示されるのが親切です(*8)し、そこから先――手がかりの解釈が難関となり、手がかりが明かされても容易には真相が見通せないのが周到です。また、真相を解明する上で立ちはだかってくる特殊な“後期クイーン的問題”(*9)に、獅堂がどのように対処するのかも注目すべきところで、(当然といえば当然ながら)およそ例を見ないその対策はお見事です。
未来予知を計算に入れた謎解きの手順にはどうしても少々複雑に感じられる部分もありますが、解き明かされていく特殊設定を駆使した真相はやはり鮮烈で、解決篇は実に読みごたえ十分。未来予知という特殊設定とがっぷり四つに組み、“ミステリに未来予知を導入するとどこまでできるのか”を徹底的に追求した力作にして、一つの到達点といっても過言ではない傑作です。
“『屍人荘の殺人』の陰に隠れた2017年の新人ナンバー2。でもこの才能、読み逃すのはおしいと思うのです。”という担当編集氏のコメントがありますが、後半で一応フォローされているとはいえ、この前半はさすがにいかがなものかと思います。
*2: 〈星詠会〉では、予知能力を持つ人物が〈星詠師〉と呼ばれ、その中で最も秀でた石神赤司は〈大星詠師〉とされています。
*3: 1994年生まれの作者による、「過去へ過去へと遡る――『星詠師の記憶』著者新刊エッセイ 阿津川辰海 | レビュー | Book Bang -ブックバン-」を参照。
過去の描写で一つ気になったのは、1973年の
“紫香楽さんから聞いた話だけど、八年前、アメリカではCDってものが発明されたらしい。”(42頁)という台詞で、CDが一般に発売されるより何年も前の話ですから、いきなり略語の
“CD”ではなく
“コンパクトディスク”と伝えた方がわかりやすいはずです(もちろん、さしたる問題ではありません)。
*4: “未来の光景を目撃する”例としては、ロバート・J・ソウヤー『フラッシュフォワード』がすぐに思い出せましたが、他人も確認できる映像として記録されるというのは、ちょっと思い当たる類例がありません。
*5: 本書について市川尚吾氏は、「2019 本格ミステリ・ベスト10」(原書房)で
“回避行動の研究がなされているべきだし、今回の件でも回避行動が取れたはずである”(同書21頁)と指摘していますが、これは上記のような作中での前提を無視するに等しいもので、失礼ながら同意できません。
まず、“回避できない”ことが作中で前提とされているからには、当然ながら研究の成果として“回避行動がうまくいかない”ことが判明しているはずです。人間の自由意志を考えると受け入れがたいのは理解できますが、水晶に記録された未来を(現在の行動を通じて)改変することは、(“現在”だけをみるとわかりにくいかもしれませんが)過去の改変を介して現在を改変する場合と同じくタイムパラドックスを生じ得るので、それを防ぐためのシステム(?)の一つ、タイムトラベルSFでおなじみの“なぜか改変できない”状態となってしまうのは、必然といっても過言ではないでしょう(→「タイムトラベル#タイムパラドックス - Wikipedia」を参照)。
とりわけ、幼い頃から未来予知を繰り返してきた第一人者である赤司としては、予知した未来が変えられないことを誰よりも経験的に熟知していたでしょうし、またその裏返しとして“自分が予知したものが確固たる未来である”という確信、ひいては〈大星詠師〉としての自負も抱いてきたはずですから、予知した未来を変えようとするどころかむしろ、四十年以上の長きにわたる未来予知を通じて“予知したとおりに振る舞う”行動様式を作り上げていてもおかしくはありません([過去のパート]で、ある映画を
“見に行くことに『なってる』”(206頁)と赤司が発言しているところに、その一端が表れていると思います)。もちろん、自分の命がかかれば話は別かもしれませんが、それでも、予知した未来を回避しようとすることには少なからぬ抵抗があったのではないか、と考えられます。
ちなみに、もしも水晶に記録された未来を改変できるとすれば、記録された映像は“確定した未来”ではなく“可能性の一つ”にすぎないことになりますが、それでも本書の設定ではタイムパラドックスの問題が残ります(例えば、〈星詠師〉が映像で見た未来に絶望して自殺した場合、未来で実際にその光景を目にすることができなくなり、残された水晶の映像が“宙に浮く”ことになります)し、何よりも水晶の映像が“証拠能力”を失うことになる(本書の例でいえば、“赤司が殺された”という結果が水晶の映像とまったく同じであっても、“被害者は当然未来を改変しようとしたはずなので、水晶の映像は事実ではあり得ない”という逆説的な抗弁が成り立ちますし、こっそり映像を見た第三者による便乗殺人の可能性も排除できません)ので、本書のストーリーがまったく成立しなくなってしまいます。また、パラレルワールド/多世界解釈では未来の改変によるパラドックスこそ生じないものの、改変された未来と食い違う水晶の映像は“別の世界”の未来ということになるわけで、つまりは水晶の映像だけを見ても“この世界”の現実なのかどうか不明であるため、映像の“証拠能力”がなくなるのは同様です。あるいは、某海外SF長編(→(作家名)ジェイムズ・P・ホーガン(ここまで)の(作品名)『未来からのホットライン』(ここまで))のように、未来の改変に応じて気づかぬうちに現在も過去も再構成されるとすれば、未来の改変によるパラドックスは生じないはず……なのですが、これはつまり、水晶に記録された映像や〈星詠師〉らの記憶なども含めて改変の結果が“本来の未来”に取って代わることを意味するので、作中の登場人物にとっては――前述の某作品のように改変の過程を作者が描写しない限りは、読者にとっても――本書のような未来が改変されない/できないものと区別がつかない状態となります。
市川尚吾氏自身は、乾くるみ名義の『リピート』をみると“改変できる”派なのかもしれません(『リピート』では、主人公の“主観的な現在”しか描かれていないので問題が生じないようにみえますが、作中の時間線を俯瞰してみると気になるところもあります)が、タイムトラベルSFでの“時間理論”には前述のように様々なパターンがあり、本書のように“改変できない”方式もその一つとして認知されていることからすれば、
“減点対象”とまでいうにはあたらないのではないでしょうか。
*6: 水晶に映像が記録されるメカニズムは作中の“現在”でも解明されていないので、水晶に記録された映像をすり替えたり加工したりすることはできません。
*7: このあたりは、カーター・ディクスン『ユダの窓』にも通じる印象です。
*8: 例えば、綾辻行人・有栖川有栖による推理ドラマ「安楽椅子探偵シリーズ」(→「安楽椅子探偵 (テレビドラマ) - Wikipedia」)などのように、視聴者が自力で映像から手がかりを探し出さなければならないものの方が、より高難度ではないかと思います。
*9: 「後期クイーン的問題#第一の問題 - Wikipedia」を参照。
2018.10.24読了 [阿津川辰海]
推理作家(僕)が探偵と暮らすわけ
[紹介と感想]
駆け出しの推理作家・月瀬純は、住んでいたマンションを火事で焼け出されたことがきっかけで、先輩に紹介された凛堂星史郎と同居することになった。人目を引く美貌ながら、時にだらしない自由気ままな生活を送る凛堂は、実は難事件専門の探偵だというのだ……。
魔術を扱ったファンタジー・ミステリ『トリックスターズ』などで知られる久住四季が、(自身の体験がどの程度反映されているのかはわかりませんが)推理作家をワトソン役に据えて、エキセントリックな探偵の活躍を描いた作品で、二つの中編が収録されています。探偵と作家のコンビが登場する作品は枚挙に暇がありませんが、本書の探偵・凛堂星史郎は変人とはいえ、自身の興味にひたすら忠実なだけで、偏屈でもなく気難しくもなく、むしろ同居人たる月瀬にもかなり(自分なりに)気を遣う、いわば“フレンドリーな変人”であるところに好感が持てます。
一方の月瀬純は生真面目な堅物であり、凛堂に振り回される気苦労だけでなく、推理作家としての苦悩もしっかりと描かれています。とりわけ、体験した“現実”の事件を小説に仕立てて発表することに、そしてそれが自分で考えた作品よりも面白いことに葛藤を抱えるあたりは、この種の作品ではあまり例を見ない(*1)――というのも、そこで苦悩されても読者としてはあまり面白くないからだと思われます(*2)が、本書では悩むだけで終わりではなく、月瀬が事件を通じて葛藤に折り合いをつけるところまでいくことで、すっきりした読後感が生じています。
中編ということもあって、ミステリとしてはやや軽めな印象がないでもないですが、決して派手ではないながらも謎の作り方がなかなか面白いと思いますし、推理もよくできています。今のところ続編が発表されていない(*3)のが残念ですが……。
- 「ハートに火をつけて」
- 月瀬が住んでいたマンションで発生した火事の後、出火元の部屋から住人の遺体が発見されるが、被害者は焼死ではなく火事の前に殺されていたことが判明し、月瀬自身にも殺人の容疑がかかってしまう。凛堂は月瀬の容疑を晴らそうと、月瀬とともに現場のマンションを訪れて、事件の調査を始めるが……。
- 月瀬と凛堂が同居に至るまでの経緯に分量が割かれていますが、その発端がそのままメインの事件となっている(*4)ことで、あまり物足りなさが感じられないのがうまいところ。焦点となるのは、犯人が殺害後に“なぜ火をつけたのか?”という謎ですが、その解答はお見事。犯人を指摘する場面の鮮やかさも印象的です。
- 「折れ曲がった竹のごとく」
- 退屈を持て余す凛堂のもとに舞い込んできたのは、都議会議員・将竹大河の秘書からの依頼だった。議員のもとにたびたび脅迫状が送られてくるというのだ。だが、依頼を受けて邸を訪ねてみると、議員はすでに殺害されていた。現場には外部から侵入した形跡があり、脅迫状の主の仕業かとも思われたが……。
- 探偵らしく依頼から始まる一篇で、月瀬と凛堂のもとにまで脅迫状が届いたり、何者かに尾行されたりといった見どころもありますが、一見シンプルでなかなか糸口が見当たらない事件が、たった一つの“気づき”をもとにひっくり返されていき、思いのほかトリッキーな姿を現すのが圧巻。そして最後に残されたホワイダニットが、何ともいえない余韻を残します。
*2: この種の作品では、作家が探偵の活躍を小説として発表するのは当然の“お約束”だから、ということもあるでしょう。
*3: 本書の最後には次作への“引き”らしきものも用意されているのですが……。
*4: しかも、いきなり殺人事件ではないため、当初の火事から殺人が発覚するまでの間に、同居にこぎ着けるまでの時間的余裕があるところがよくできています。
2018.12.28読了 [久住四季]