本書では、あまり見かけないタイプの叙述トリックがメイントリックとして使われています。そしてその中心となるのは、いかにもヒントめかして随所に挿入された作者からの注意書きです。
最大のポイントとなるのは、18頁冒頭の以下の記述です。
和夫は早速新しい仕事に出かける
そこで本編の探偵役が登場する
探偵役が事件に介入するのはむろん偶然であり
事件の犯人では有り得ない
(18頁)
この章で和夫は、新しい仕事のためにテレビ局を訪れ、そこで星園詩郎と対面することになります。この星園がいかにもなキャラクターとして描かれている上に、初対面でいきなりシャーロック・ホームズよろしく推理を披露していることもあって、星園が探偵役だと思い込まされやすくなっています。が、もちろん真相はそうではありません。
探偵役が真犯人を指摘する
(314頁)
という注意書きで始まる章で、早沢麻子が星園を真犯人だと指摘していることからも明らかなように、本書における探偵役は星園ではなく、あくまでも早沢麻子です。つまり本書のメイントリックは、探偵役がだれなのかという配役を誤認させる叙述トリックなのです(「叙述トリック分類」の[A-2-7]役割の誤認を参照)。
ちなみに、18頁から始まる章をよくみてみると、和夫はテレビ局で“小柄でショートカットのその女性”(24頁)とぶつかっており、それが後に早沢麻子であることが判明します(66頁及び72頁)。つまり、本書の“探偵役”である早沢麻子は目立たないながらもしっかりこの章に“登場”しているのですから、上記18頁の注意書きは完全にフェアだといえるでしょう。
また作者からの注意書きに加えて、巻頭に掲げられた「主な登場人物」の中で星園と和夫だけが他の人物との間に一行空けて紹介されていることも、ホームズ役とワトソン役という特権的な(?)立場を連想させるようになっています。さらに、ノベルス版ではカバー裏の紹介文(これは編集部の仕事でしょうか)に“「スターウオッチャー」星園詩郎の華麗なる推理” (←嘘ではないことに注意)と記されており、作中のトリックが巧妙に補強されているところも見逃せません。
ただしこのトリック、少々わかりにくいところがあるのも確かです。というのは、一般的な叙述トリックが物語本編の叙述に仕掛けられるのに対して、物語の中での配役は作者のレベル(メタレベル)に属する(←本書のトリック自体が物語のいわば“外部”に仕掛けられていることにもご注意下さい)ものですから、一般的な場合のように物語本編の中で(叙述トリックによって隠された)真相を直接示すことはできないからです(物語の中に“探偵役”という概念は存在しない)。本書の場合には、上記314頁の注意書きが真相を暗示してはいるものの、探偵役を誤認させるトリックであることを明示するには至っていません。
例えば、314頁の注意書きを以下のようにすることで、探偵役の誤認が強調されてトリックがわかりやすくなったのではないでしょうか。
本編の探偵役である麻子が真犯人を指摘する
(314頁注意書きの改変案)
*****
次に、叙述トリック以外の点についても。
終盤の推理に際して星園が挙げた六つの条件と、麻子がそこに付け加えた七つめの条件、そしてそれぞれの条件により除外される人物を一覧表にしてみます。
条件 | 和夫 | 星園 | あかね | 麻子 | 嵯峨島 | ユミ | 美樹子 |
1.位置関係 | | | | × | × | | |
2.凶器の選択 | | | × | × | | | |
3.アリバイ | × | × | | | | | |
4.心因的要素 | | × | × | | | | |
5.身体特徴 | | | | | × | × | |
6.行動 | | | | | | × | × |
7.凶器の選択、その二 | × | | | | | | |
- 1.位置関係
- 第二の事件において、カウンターから凶器のこけしを取ってくるという行動に適した位置にいたか否かという条件。
図に示された位置関係を考えると、“左通り”の嵯峨島と麻子が除外されるという星園の結論には十分な説得力があると思います。
- 2.凶器の選択
- 第二の事件において、物置の中のロープなどが使われなかったことから導き出される、犯行前に物置の中身を知っていたか否かという条件。
事前に物置を開けていたあかねと麻子が除外されるという結論は、まったく妥当なものです。
- 3.アリバイ
- 第一の事件において、和夫の立ち聞きから想定される犯行時刻(11時すぎ)にアリバイがあるか否かという条件。
一旦は和夫と星園を除外するものの、和夫自身の証言以外に裏付けがないという理由でひっくり返してしまう星園の企みが巧妙です。もちろん、読者には立ち聞きが事実であることがわかっていますし、さらに冒頭の“主人公は(中略)事件の犯人では有り得ない” (7頁)という注意書きからも、星園の推理が間違っていることは読者にとっては明白です。しかし、推理を披露する前にあらかじめ“僕が何を云っても、他の皆さんの前では平静を保つように心がけていてください” (275頁)と釘を刺されていることで、“探偵役”でありながら間違った推理を披露するという行為が正当化されているのが実にうまいところです。
正直なところ、岩岸の台詞のみからラジオと携帯電話という真相を導くのは、やや強引に感じられます。ただし読者にとっては、“この時和夫は大きな思い違いをする” (108頁)という注意書きが手がかりになっています。
- 4.心因的要素
- 第一の事件において、ミステリーサークルを作ることで混乱を生じさせようとしたという推測に基づく、UFO完全否定派か否かという条件。
内心の問題なので条件としては扱いが難しいところですが、事件の前から完全否定派の立場を公にしてきたという補足付きで、あかねと星園が除外されるのは納得できます。
ただし、前提とされている犯人の動機がいかにも怪しく感じられるのは否めません。ミステリ、特にパズラーでは、登場人物の思考や行動が一貫して合理的であることが求められるわけで、捜査を混乱させるだけの目的でミステリーサークルを作ってしまうというのはにわかに受け入れがたく、ダミーの真相としても弱すぎるのが残念なところです。
ミステリーサークルの真相解明には、少なくとも前提として(麻子が指摘する条件7.から)ピッケルの入れ替えという真相を導く必要があり、さらに“ピッケルは本物の凶器とは少し形が違っているようで、先端部分が幾分短いようだった” (208頁)という伏線を拾わなければならないので、かなり困難ではないかと思います。特に後者については、その章の注意書きに“ひとつ重要な伏線が張られている” (197頁)と記されているとはいえ、星園が真犯人であることに気づいて初めて伏線となり得るものではないでしょうか(もっとも、犯人を特定するためには、この条件が成立しない(星園が除外されない)というだけで十分なのでしょうが)。
- 5.身体特徴
- 第二の事件において、警報装置の切れた糸を結びつけることができたか否かという条件。
糸を結んだ人物が犯人だということは明らかであり、それが不可能な嵯峨島とユミが除外されるのは当然といえるでしょう。
- 6.行動
- 第二の事件において、警報装置が不発だったことを強調するために犯人が糸を結んだという推測に基づく条件。
この条件を導き出す推理のプロセスは面白く感じられますが、その中身にはやや難があります。
まず、“糸が切れたままで発見されていたならば、犯人が警報に引っかかってヤカンが落ちて、それを戻しただけの状態と区別がつかなくなってしまう” (298頁)というのは確かにその通り。しかし、切れた糸を結ぶことによって、犯人が警報装置に手を加えたことが確定してしまうという、より大きなデメリットが見落とされているのではないでしょうか。つまり、実際には警報装置が作動したにもかかわらず、それを不発だったと偽装したのではないかという疑念がかえって強くなってしまうと思われるのですが……。
しかも、ユミと美樹子がヤカン以外の物音で同時に目を覚まし、二人して“ヤカンの音がした”と主張するとは考えにくいものがありますし、どちらか一人だけの主張であれば(立ち聞きに関する和夫の主張と同様に)裏付けがないとして斥けることは簡単でしょう(ヤカンの口がドア枠に引っかかっていたことは、警報装置が不発だったことを示す傍証になり得ます)。
つまり、警報装置を放置したとしてもユミと美樹子にアリバイが成立するとはいえず、星園の解釈は説得力を欠いているといわざるを得ません。
- 7.凶器の選択、その二
- 第一の事件において、凶器のピッケルをあらかじめ用意して現場に持ち込むことができたか否かという条件。
殺人場面の再現から導き出される、もともと現場にあったピッケルが凶器として使われたのではないという結論は納得できます。そしてこの場合、和夫が除外されることになるのは明らかです。
読者としては、岩岸の台詞と上記の“大きな思い違い” (108頁の注意書き)という手がかりから条件3.のアリバイを崩し、さらに条件1.2.5.6.7.を見出して他の6名を除外するという手順で、犯人を星園に特定することができるかと思います。ミステリーサークルの真相は前述のように、星園のコテージにある先端部分の短いピッケルがもともと岩岸のコテージにあったこと、つまり星園が犯人であることがわかって初めて解明できるものでしょう(この場合、条件4.の心因的要素を持ち出す必要はありません)。
ただし、すでに指摘したように条件6.――犯人が糸を結んだ目的――は合理的な解釈とはいい難く、そのために美樹子が犯人である可能性も否定できないように思われます。
2006.08.11再読了 |