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きまぐれ砂絵/都筑道夫 |
1980年発表 角川文庫 緑425-26(角川書店) |
- 「長屋の花見」
- なめくじ連が角樽をすり替えた時点では水に毒が入っていなかったことは明らかなため、毒を盛ることができる機会がかなり限定されてしまい、真相が見えやすくなっているのが残念。田丸屋徳兵衛が新しい盃を取り出したという重要な事実がぎりぎりになるまで伏せられているのも、それが決定的な手がかりとなってしまうことを考えれば致し方ないでしょう。
一座を皆殺しにするものではないため、徳兵衛が盃を取り替えたことは早晩明るみに出てしまうわけで、一家心中であることを隠してなめくじ連に罪をかぶせるには穴のある計画といわざるを得ませんが、それは“あわよくば”という程度かと。酒を水に変えるという趣向はむしろ、酒に弱い女房や娘にも一気に毒を飲ませるために不可欠だったといえます。
- 「舟徳」
- 毒殺トリックは、C.ディクスン(以下伏せ字)『赤後家の殺人』(ここまで)を応用したものですが、そちらの作品と違って
“歯痛のまじない” (80頁)と手がかりがしっかり示され、よりフェアなものになっています。また、蝮の毒を採用した(*1)上で麦藁の蛇という小道具と組み合わせることで、この時代では通用し得る“麦藁の蛇にかまれて死んだ”という不可思議な状況に仕立ててあるのが実に見事です。
民次の故郷、房州の鋸山が“蛇がやたらにいて、往生した” (90頁)という土地であることから、民次が主犯であることには十分納得できるのですが、お品の“幽霊”に“袖摺稲荷で白蛇を見かけ、殺してからのへび嫌い、そんな芝居をしてみたのも、白蛇の祟りといい立てて、亭主の六三郎をお前が殺し、晴れて夫婦と思えばこそ” (93頁〜94頁)とまで言わせているのは、当てずっぽうに近いように思われます。
- 「高田の馬場」
- 仇討ちが客寄せの狂言だったという落語「高田の馬場」のオチから本筋が始まることになりますが、岩淵伝内・梶川新之助・おつゆの三人がすべて殺されてしまった時点で真相は見え見えで、ミステリとしてはいささか底が浅いといわざるを得ません。“顔のない死体”で一応のミスリードを仕掛けてはあるものの、これもほとんど効果がないのが残念です。
落語「ガマの油」(*2)を巧みに取り込んだ、もう一人の蝦蟇の油売りの扱いはなかなか面白いと思うのですが、本筋の難をカバーするにはやはり力不足の感が否めません。
- 「野ざらし」
- 元ネタの落語「野ざらし」の季節の矛盾を、尾形清十郎の“骨釣り”の話が嘘だと証明する手がかりとしてあるのが実に巧妙です。そして幽霊話が嘘だということから、“八五郎がなぜ殺されなければならなかったのか?”という謎がクローズアップされていくのも面白いところです。
お千代の尻の刺青を見たというその真相は、残念ながら今ひとつ物足りなく感じられますが、亭主の敵討ちという偽の真相から尾形清十郎の正体へとつながっていく終盤の展開がまた圧巻です。
- 「擬宝珠」
- 五重塔の天辺というのは隠し場所としては突飛ですが、
“隠されたほうにしちゃあ、目に見えながら、どうにもならねえ” (232頁)という嫌がらせめいた効果が、強請のネタを隠すにはぴったりともいえます――というところまでを偽の真相として、ないものをあると見せかけるための大芝居だったという、とんでもない真相にはさすがに唖然とさせられます。
そちらの真相があまりにすごすぎて、鍋をかぶった死体の謎があまり目立っていないのがもったいないところではありますが、思いのほか実用的な(?)その真相はなかなかよくできていると思います。
- 「夢金」
- 事件の中心にいえる増田屋のお菊から話が聞けないために謎が成立しているのがうまいところですが、アラクマの話、小花屋の清七の話、そして“夢金”こと金八の話がそれぞれ微妙に食い違っていることで、虚実が錯綜した奇妙なプロットとなっているのが実に見事です。とりわけ、落語「夢金」のオチで反転する虚実が、この作品では清七の話がかぶせられることでさらにもう一度反転することになっているのが何ともいえません。
2009.07.27再読了
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