- 「長く孤独な誘拐」
- “他人を操る手段としての誘拐”というアイデアは、井上夢人のエッセイ『おかしな二人』の中に没ネタとして書かれています。岡嶋二人のファンである作者のことですから、これが元ネタになっているのは間違いないと思われます。
その元ネタを殺害目的の狂言誘拐と組み合わせ、陰惨な物語に仕立て上げているところが、作者の真骨頂といえるでしょう。耕平がすでに殺されているという結末は十分に予想できますが、森脇が有能であったがために白羽の矢が立ったというのが、何とも救いのない真相です。
- 「二十四羽の目撃者」
- このトリックは、本書より20年ほど前に刊行された藤原宰太郎の推理クイズ本『拝啓 名探偵殿』に掲載されています(「17 自殺志願者」を参照)。元ネタとなった作品があるのかどうかはわかりませんが、いずれにしても新規なトリックとはいえません。
- 「光と影の誘惑」
- 章番号に付された記号には気づいていたのですが、“西村サイド”と“小林サイド”を意味するものかと思っていました。時系列についての疑問が生じたのは、
“母の死以来約十年” (第16章;192頁)と“母が死んだとき、まだ十六歳に過ぎなかった小林は” (第16章;193頁)というあたりで、これは“年の頃は西村のひと回り上くらいか。三十代後半から四十代あたりと見える” (第1章;149頁)という記述と矛盾します。ただ、その疑問について深く考えることなく読み進んでしまい、すっかり騙されてしまいました。
時系列のずれを意識させないための、章と章の巧妙な接続が見逃せないところです。第6章から第7章へのつながりが最も苦しいところですが、まずまずの処理がされていますし、第8章から第9章、第11章から第14章あたりは絶妙です。
ところで、事件から25年も経つと、刑事でも民事でも時効になっているのではないかと思うのですが(すみません、よく調べずに書いています)、たとえ法的責任を問われないとしても、犯人であることがばれてしまえば色々な意味でまずいでしょうから、西村が一億円分の旧札を使えなかったというのはよくわかります。
というわけで、唯一気になるのは小林史朗がどうやって西村にたどり着いたのか、というところです。史朗の母が吾郎から西村の名を聞いていたのであれば、吾郎が殺された時点で警察の捜査が西村に及びそうなのですが……。
- 「我が母の教えたまいし歌」
- 主人公はずっと初音のことを“母”だと認識していたわけですし、父と初音の間に血のつながりはないのですから、結末で明らかになるのは主人公の“母”が戸籍上では姉だったというだけにすぎません。もちろん、戸籍上の母が殺されていたという事実はありますが、血縁関係としては忌まわしいものではなく、さほど後味が悪いものではないと思います。その分、結末の衝撃が薄くなっているきらいもありますが、これはこれでいいのではないでしょうか。
それにしても、結末から冒頭へ至るまでの30年という年月を考えると、何ともいえない感慨のようなものがあります。
2005.03.03読了 |