ミステリ&SF感想vol.102

2005.03.08
『ひとりで歩く女』 『密室の鍵貸します』 『ネフィリム 超吸血幻想譚』 『月が昇るとき』 『光と影の誘惑』



ひとりで歩く女 She Walks Alone  ヘレン・マクロイ
 1948年発表 (宮脇孝雄訳 創元推理文庫168-03)ネタバレ感想

[紹介]
 “以下の文章は、わたしが変死した場合にのみ読まれるものとする”――不穏な文章で始まるその手記の内容は、実に奇怪なものだった。滞在中の邸において、読み書きができないので妻への手紙を代筆してほしいと頼んできた、存在しない庭師。邸を辞去する際に主から託された封筒の中には、重要書類の代わりに10万ドルもの大金。帰国の船上で遭遇した意外な人物。そして命の危険……。
 ……署名もないまま途切れた手記を読んだ警察署長は困惑する。航海中の船上では実際に、一人の女性が変死したというのだが……。

[感想]

 シリーズ探偵ベイジル・ウィリング博士が登場しない、どちらかといえばサスペンス寄りの作品です。まず目を引くのが物語の冒頭、6章にもわたる手記で、不吉な書き出しも印象的ですが、“存在しない庭師”に始まる一連のシュールで不可解な状況が、謎めいた魅力を放っています。スリリングというよりも、何が起こっているのかよくわからないという得体の知れない不安感が、読者をとらえて放しません。

 魅力的な手記に比べて、第7章以降の現実レベルの部分はやや落ちる印象。色々と不可解な事件は起きますし、また謎も残るのですが、当事者ではない警察署長の視点で描かれているせいか、あまり緊張感がないように思えてしまいます。特に残念なのが、手記の主があっさりと明らかになってしまう点で、手記に備わっていた神秘性が色あせてしまったような感があります。

 とはいえ、当然ながらすべてが白日の下にさらされるわけでもないのですが、何というか、全体的に今ひとつピントが合わず、何が起こっているのか把握し難い状態です。特に、真相の一部が見えているように思えるだけに、居心地の悪さのようなものがつのっていきます。最後になってようやく全体像がはっきりすると、まさに目から鱗が落ちた思いです。あるいは、実に巧みに目の中に鱗を入れられていたことに気づかされたというべきでしょうか。

 犯人の計画にやや難があるきらいはありますが、なかなかよくできた作品だと思います。

2005.02.24読了  [ヘレン・マクロイ]



密室の鍵貸します  東川篤哉
 2002年発表 (カッパ・ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 烏賊川市立大学の学生・戸村流平にかけられた、元彼女の殺害容疑。だが、実は流平には完璧なアリバイがあった。その頃、別の死体と対面していたのだ――映画のビデオを携えてホームシアターのある先輩のアパートを訪れた流平。ビデオ鑑賞の後で先輩が買ってきた酒を飲み始めたのだが、その途中で風呂に入りに行った先輩が戻ってこない。風呂場に様子を見に行った流平は、先輩がなぜか服を着たままナイフで刺されて死んでいるのを発見した。しかも、アパートは完全な密室状況。うろたえて現場から逃走した流平だったが……。

[感想]

 飄々とした語り口による、とぼけた味のユーモアに満ちたミステリです。直接的なギャグもないこともないのですが、それ以上に目につくのが、どこかお間抜けな登場人物たちの言動。主人公の流平は、あれよあれよという間にきわめてまずい状況にはまり込んでいきますし、彼が助けを求める探偵の鵜飼も、今ひとつ危機感の感じられない態度です。一方、容疑者を追いかける砂川警部と志木刑事のコンビも、負けずにお間抜けぶりを発揮しています。彼ら二組が際限なく繰り広げるすれ違いには、呆れて言葉もありません。

 しかし、そのふざけた展開の中に、様々な伏線がばらまかれているので油断ができません。本書は、トリックもこちらの意表を突いたかなりユニークなものなのですが、最大の見どころはこの伏線と、巧みなその回収にあるといえるのではないかと思います。

 逃れようのない窮地に陥ってしまった流平ですが、実に意外な形で持ち出される真相解明への手がかりには、思わず唖然とさせられます。そして最終的に明らかになる犯人には、しばし呆然。しかしそれらの“脱力ポイント”も、このとぼけた世界にはしっくりとはまっています。

 人によって好みが分かれるかもしれませんが、個人的には大いに楽しませてもらった作品です。

2005.02.26読了  [東川篤哉]
【関連】 『密室に向かって撃て!』 『完全犯罪に猫は何匹必要か?』 『交換殺人には向かない夜』 『ここに死体を捨てないでください!』



ネフィリム 超吸血幻想譚  小林泰三
 2004年発表 (角川書店)

[紹介]
 古代より人間たちの間にまぎれ、細々と暮らしてきた吸血鬼たちが、突如として数を増やし始めた。拡大する被害に、人間たちは“コンソーシアム”と呼ばれる組織を設立し、吸血鬼に対抗する――妻と娘の復讐のため、“コンソーシアム”の隊長として吸血鬼と戦い続けるランドルフ。吸血鬼最強と恐れられながら、少女・ミカとの約束で血を吸うことをやめ、殺し屋稼業を始めたヨブ。圧倒的な力で吸血鬼たちを倒し、その臓器を吸収してさらに力を強めていく追跡者{ストーカー}J。三つ巴の凄絶な戦いの果ては……?

[感想]

 “ハード・SF・アクション・ホラー”と銘打たれた作品で、一見すると超怪作『AΩ』の路線であるかのように思えますが、中身はだいぶ違います。今回のネタである吸血鬼の科学的解説は、面白くはあるものの分量が少なめ。また、お得意のねちっこく気色悪い描写は健在ですが、題材が吸血鬼であることもあってか、作者にしては(これでも)ややあっさりしたものに感じられます。

 重点が置かれているのはアクションで、ほぼ全編が壮絶な戦いの連続です。特別に開発された様々な兵器で武装した人間との戦いだけでなく、超常能力を駆使した吸血鬼同士の戦いもあり、さらにその吸血鬼をも凌駕する圧倒的な力を誇る追跡者{ストーカー}・Jも加わった三つ巴の戦いは見ごたえがあります。

 その分、というべきか、ストーリーにはかなり物足りないところがあります。骨格は上に紹介した程度しかなく、あとはエピソードを積み重ねてそこに肉づけしていく形になっていますし、そのエピソードも、ランドルフの過去こそしっかり掘り下げられているものの、他はあれやこれやの設定などを匂わすにとどまり、全般的に説明不足に思えてしまいます。いかにも続編が書かれそうな結末なので、そのあたりはいずれ説明されるのかもしれませんが。

 小林泰三の作品としては正直不満の残る内容ですが、それなりに面白い作品にはなっていると思います。某ドクターのイカレっぷりなど、小林泰三ファンならば一層楽しめるのではないでしょうか。

2005.02.28読了  [小林泰三]



月が昇るとき The Rising of the Moon  グラディス・ミッチェル
 1945年発表 (好野理恵訳 晶文社ミステリ)ネタバレ感想

[紹介]
 夜に家を抜け出し、町にやって来たサーカスの下見に出かけた、13歳のサイモンと11歳のキースの兄弟は、その帰り道、ナイフを手にした怪しい人影を目撃する。翌朝、サーカスの女綱渡り師が、無残に切り裂かれた死体となって発見された。前夜の人影が犯人なのか? やがて、同じ手口で若い女性が殺される事件が次々と発生。暗躍する“切り裂き魔”に町の人々が怯える中、事件の真相を探ろうとするサイモンとキースは……。

[感想]

 『ソルトマーシュの殺人』でも活躍した老婦人探偵ミセス・ブラッドリーが登場しますが、本書ではサポート役に徹しています。最も早く事件の真相に到達してはいるものの、“名探偵、皆を集めて「さて」と言い”どころか、実質的な解決場面はほぼ最後の1頁のみ、しかも間接話法で片付けられています。本書の主役はあくまでもサイモンとキースの兄弟で、全編がサイモン少年の一人称で描かれた作品です。

 事件は、“切り裂き魔”と呼ばれる犯人による、若い女性ばかりを狙った連続殺人ですが、少年の視点で描かれていることもあって、通常のシリアルキラーものとは明らかに一線を画しています。被害者はみな無惨に切り裂かれているのですが、サイモン少年はそれらの死体を目にすることがなく、直接的な描写がないために生々しさが著しく欠けており、猟奇的な事件にもかかわらずどこか幻想的ともいえる雰囲気が漂っています。

 一方、少年たちの日々の生活や身近な人々の様子はこれ以上ないほど克明に描かれ、日常と非日常が交錯しながらもはっきりとしたコントラストをなしています。少年たちが事件の謎を探るのは好奇心からだけではなく、彼らなりに切実な理由が生じてはくるのですが、その奥にはやはり日常からの脱却という意図があるように思います。そして、日常生活の中で周囲に向けられる意外に大人びた視線と、ミセス・ブラッドリーの捜査に同行するために懸命に宿題をこなす子供らしい態度とが同居する、少年たちのアンバランスな心理が本書の大きな魅力です。

 謎解きについては、あまり見るべきところはありません。前述のように、ミセス・ブラッドリーによる事件の説明はほとんどないのですが、それ以前に真相はかなりわかりやすいものになっていますし、終盤には少年たちへのヒントも与えられています。それはしかし、瑕疵というよりはむしろ、“作者vs読者”というオーソドックスな構図がほとんど意識されていないことの表れであるように思います。つまり、謎も解決も少年たちに向けられたものであり、作者にとっては(またミセス・ブラッドリーにとっても)彼らが自力で真相に到達することこそが重要なのでしょう。そしてその結末は、ミセス・ブラッドリーによる“解決”よりも遙かに強い印象を残します。

 殺伐とした事件を扱いながら、どこかノスタルジックなものを感じさせてくれる、大人向けのジュヴナイル風ミステリとして、非常によくできた作品だと思います。

2005.03.02読了  [グラディス・ミッチェル]



光と影の誘惑  貫井徳郎
 1998年発表 (集英社)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 中編4作を収録した作品集です。

「長く孤独な誘拐」
 不動産会社に勤める森脇耕一と妻の和代は、幼い息子・耕平を誘拐されてしまう。巨額の身代金を用意できるほど裕福ではないのに、一体なぜ? 困惑する森脇に対して、誘拐犯が突きつけた意外な要求は……。
 初読のはずなのになぜか既視感があったのですが、しばらくして元ネタ(らしきもの)に思い当たりました。その元ネタにアイデアが付け加えられた結果、“貫井徳郎テイスト”あふれる見事な作品に仕上がっています。何としてでも息子を救おうとする森脇の奮闘が胸を打ちます。

「二十四羽の目撃者」
 サンフランシスコ動物園で射殺された男。しかし、現場は犯人が逃走することが不可能な密室状況だった。被害者が多額の生命保険に加入していたため、保険調査員の“おれ”は事件の調査を始めたのだが……。
 E.D.ホックあたりを意識したのか? 作者にしては珍しく、軽めのタッチの翻訳ものを思わせる作品になっています。多重解決風に、主人公が次々と披露する推理が片っ端から否定されていくところが笑えますが、真相は残念。このトリックは有名だと思っていたのですが……そうでもないのでしょうか?

「光と影の誘惑」
 競馬場で知り合った西村勝巳と小林吾郎。ギャンブルにのめり込み、苦しい生活を余儀なくされている二人は、西村の勤める銀行から現金を奪う計画を立てた。そしてついに、一億円の現金を奪う機会が訪れて……。
 西村と小林の視点から交互に描かれた作品で、二人の思惑の違いにより徐々に緊張感が高まっていきます。そして、ついに訪れる破局。結末の鮮やかさは抜群です。実は一点だけ疑問があるのですが、重箱の隅を突くようなものにすぎません。傑作です。

「我が母の教えたまいし歌」
 母の死を看取った皓一は、かつて父が亡くなった時のことを思い出していた――勤めていた会社を辞めて地方へ引っ越し、陶芸家へと転身した父。その葬儀に出席してくれた父の元同僚は、皓一に奇妙な話を……。
 途中で結末が見えてしまうこともあり、また我孫子武丸氏が解説で指摘するところの“邪悪さ”が不足していることもあって、“最後の一撃”というにはやや力不足。しかし、結末へ至るプロセスはよくできていますし、カットバックの手法が効果的に使われていると思います。

2005.03.03読了  [貫井徳郎]


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