紙片は告発する/D.M.ディヴァイン
Illegal Tender/D.M.Devine
古山裕樹氏による解説にもあるように、原題の『Illegal Tender』は“不正入札”の意味ですが、そうするとルースが拾った紙片もそちら関連のものであることは最初から明らかで、少々もったいなく感じられるところではあります。もっとも、“いくつかのイニシャルと金額。それは、あれとぴったり合っていて”
(38頁)とルースが独白する紙片の内容をみると、ジェニファーが危惧するジョフリーへの手紙などでないことは早々に見当がつくのではないでしょうか。
しかし事件が不正入札絡みとなると、入札の情報を漏らすためには金庫を開ける必要があることから、それができる人物がごく限られてしまうのは否めません。そして勾留されたジョフリーがジェニファーを襲うことはできない(*1)以上、ジェニファーがヘミングス警部補に尋ねている(261頁)ように、収入役のウェインライト、副書記官のシャクルトンとデイントン(*2)、そしてジョフリーの秘書モールズワースといったあたりに、容疑者は限定されてしまいます。
その中で作者は、同性愛者という秘密の露見を皮切りに、デイントンをレッドへリングに仕立てようとしていますが、ジェニファーが事件に関連する出来事を振り返って犯人Xの行動を推測した末に、Xとしてデイントンの姿を思い浮かべている(276頁~277頁)のは、さすがにあからさますぎて不発といわざるを得ません。またウェインライトとシャクルトンは、フランシスに脅迫されるような秘密を抱えている様子もなく、犯人であることを匂わせるような記述もない(*3)ので、残るモールズワース女史が犯人であることはある程度予想できるでしょう(*4)。
謎解きの決め手となるのは、ジェニファーが“誰かが時間のことで嘘をついてるの。(中略)たしか天気が関係していたはずで――あの雨が。”
(287頁)と言及している、雨とアリバイの関係。雨が降り始めたのが“六時五十七分”
(70頁)であるにもかかわらず、“役所に六時五十分に着いた”
(170頁)と主張するモールズワースが、議事堂に入ってきた時に“レンズの雨粒をふき取った”
(45頁)こと――これらを組み合わせれば、嘘が露見します。
……が、議事堂の場面はともかく、時刻に関する証言はかなり目立たない――しかも、モールズワース自身のみならずヘミングス警部補の言葉(雨の降り始めた時刻)まで必要となる――上に、家を出た時刻が父親の証言で一応は補強されているのが難しいところで、“ほんの少し、眼が悪くなってきた”
(168頁)や、実際に時計を見ても時刻を把握できていない場面(285頁)といった手がかりもありますが、これらをすべて拾い上げるのは難しいように思います。
もう一つ、ジェニファーが“フランシス殺しのことでも誰かが嘘をついたはずだ”
(288頁)としている、ダンスパーティーの際の証言――“なかよしこよしで歩いていた”
(213頁)もありますが、こちらもあまり目立たないことに加えて、アリバイに関する嘘に比べると、決め手とはいいがたいような気が……。
真相が明らかになった際の犯人の台詞――“お父さんに言わないで。知られちゃだめなの……”
(330頁)は、モールズワースの心理としては実に自然ですが、“もし父の耳にはいったら、こんな恥、父は耐えられなくて死んでしまうわ……”
(79頁)という言葉との類似を介して、フランシスに脅迫される材料となった秘密(78頁~79頁)(*5)を自然に思い起こさせ、すんなりと腑に落ちるようになっているところがよくできています。
*2: もう一人の副書記官メリルは、事故で負傷して入院中(227頁~230頁)なので、犯人でないことは明らかです。
*3: ウェインライトについては一応、ジェニファーが突き落とされた場面で若干の疑念を生じないこともないでしょうが。
*4: モールズワースが“犯人を罠にかける”などと宣言している(288頁)あたりが、デイントンの場合とは“逆方向”であからさまにすぎる、ということもあります。
*5: この秘密はかなりはっきりと示されているにもかかわらず、ごく私的な出来事であるために、モールズワース自身の口からフランシスに伝わることはまずあり得ないので、脅迫の材料になるとは考えにくくなっているところがあるように思います。
2017.03.20読了