君が見つけた星座/千澤のり子
2017年発表 (原書房)
2017.03.12読了
- 「見えない流星群」
- まず殺人事件については、現場に落ちていたネクタイのタグで部員たちに疑いを向けておいて、〈制服を着た卒業生が犯人〉というのはいささかアンフェア感がありますが(苦笑)、決してクローズドサークルとはいえない状況で、部員の中に犯人がいないとすれば、外部犯に目を向けざるを得ないのは確かです。そして、最終的に推理ではなく立ち聞きによって犯人が判明するところをみても、この作品では殺人事件が“本題”ではないことは明らかでしょう。
というわけで“本題”はもちろん、殺人事件の犯人探しを通じて美月の秘密が明かされる手順です。“事故に遭ってから自転車に乗ることができなくなってしまった”
(11頁)から決定的な“自分でネクタイを結ぶことができない”
(39頁)まで、読者向けにはいくつかの手がかりがある(*1)のでわかりやすいと思いますが、“片手が使えないので絞殺できない”というミステリでおなじみのロジック(*2)を逆転させた形で、美月が犯人でないことを一同に納得させる根拠として、左腕が義手という事実が持ち出されるのが秀逸です。
最後に明かされる高橋の推理は、部室の電気の挙動(*3)という、停電より前の犯行であることを示す手がかりに基づくものですが、これまた犯人を明らかにするのではなく“天文部員の潔白を確認する”ための推理になっているのがユニーク。そして高橋がそれに気づくきっかけとなった、入院している母親のためにとった行動が、殺人事件の余波を打ち消すように温かみのある後味を残すのが印象的です。
- 「君だけのプラネタリウム」
- まずは霧原先輩の話から犯人を絞り込んでいく中村先輩の推理が鮮やかですが、小早川の“事件”とは明らかに手口が異なるにもかかわらず、その犯人が小早川と同じ“一年五組のサッカー部員”ということで、小早川の“事件”との関連が再浮上してくるところがよくできています。もっとも、サッカー部の元彼に関連した嫌がらせであることは明白(*4)な反面、小早川の関与までは――新しい彼氏が小早川の兄というつながりが判明しても――定かでなく、“自白”を待たなければなりませんが、その“自白”はむしろ小早川の思惑を解き明かす手がかりの一つといえるのではないでしょうか。
そして小早川の“事件”では、天文部ミステリならではというべき(*5)“かみのけ座の神話”の見立てが、神話を知っている読者にとってはそれ自体が“犯人”への手がかりとなっている(*6)のも面白いところですが、最大の見どころはやはり小早川の“叶った願い”で、変質者による事件をでっち上げることによって、学校外の人が――霧原先輩の彼氏である自分の兄が学園祭に来るのを防ぐという動機がユニーク。さらに、その裏から霧原先輩の元彼・鈴木先輩への小早川の恋心が飛び出してくることで、霧原先輩への嫌がらせの方まで若干印象が変わってくるのも見逃せないところです。
“乙女座の形に似ていた”
(56頁)という“地上の星座”は、神話の見立てが明らかになった段階でそれを補強するのに一役買ってはいるものの、それまでは“髪切り事件の現場に近い”(*7)程度のつながりしかないので、事件の話を聞いた中村先輩がいきなり“まさか、この光が事件と関係しているとか”
(55頁)と持ち出してくるのは、いささか強引といわざるを得ません。が、高橋の失言(*8)から明らかになる真相と“オチ”の、ほのぼのとした味わいは好印象です。
- 「すり替えられた日食グラス」
- 事件についての新入生・戸田の推理は、“傷害事件を起こして天文部を廃部に追い込むため”とするもので、日食グラスの製作に時間がかかるとみて複数犯――他の部活動を想定し、予算目当てという動機に基づいて運動部を除外し、荷物が多く日食グラスを隠し持ちやすい吹奏楽部を“犯人”とする手順はなかなかよくできています。
とはいえ、天文部で日食グラスを作ると決まった時にはすでに牛乳パックが手に入りにくくなっている(114頁)ことから、牛乳パックを必要とする人物の存在は確実。しかも、“牛乳パックだけがすべてなくなった”
だけでなく“逆に大量に捨てられたりしている”
(いずれも114頁)とくれば、牛乳パックの一部だけが必要だということですから、序盤から登場しているグリーンエコマークが目当て(*9)ということも、十分に予想できるのではないでしょうか。
そこまでくれば、グリーンエコマークを集めている小学生の藤井くんが“犯人”――すり替えられた日食グラスの“漢字の〈藤〉の字”
(137頁)にも符合します――ということも見当がつくでしょう。ネックとなりそうな“犯行”の機会についても、鵬藤高校も会場になっている(112頁)日曜日の漢字検定を受けている(131頁)、という手がかりがしっかりと示されています。
藤井くん製作の日食グラスが一つだけ見つからなかったのは、正直なところ謎としてはやや蛇足気味に感じられなくもないのですが、古代文字が浮かび上がるようなデザイン(144頁)と、“すごく珍しい書体”
の名札を作った“バイトさん”
(129頁)とを結びつける伏線回収はお見事ですし、“一緒に空を見る人”
(146頁)が思わぬところにまで広がったことを示す結末として、非常に効果的といっていいでしょう。
- 「星に出会う町で」
- バスに同乗してきた
“高校生くらいの女の子と小学校低学年くらいの男の子”
(161頁)が、ツアーに合流した後、母と妹を加えた四人家族に偽装されている(170頁)のがまず巧妙なところ。やがて参加人数の齟齬(これについては後述)が浮上した末に、実際には“四人家族”ではなく“ボランティアの方”
(188頁)と思われていたことが判明し、二人の正体が大きな謎となってきます……が、レッドヘリングとして〈ロキ〉に加えて誘拐犯まで用意されていることで、真相が見えにくくなっているのが周到です。
しかるに、バスから降りて姿を消した二人について“ツアーに合流するそうです”
(165頁)と説明したり、望遠鏡セットと人数の齟齬に“ミスったか”
(172頁)とつぶやいたりと、さりげなく中村先輩の関与を匂わせてあるのも絶妙ですが、そこから――中村先輩が如月先輩の心配をしていないことや、ボランティア予定だった大学生に“女性一人”
(177頁)がいたこと、といった一応の手がかりもあるとはいえ――ツアーに紛れ込んだ“女の子”が如月先輩その人だったという真相までたどり着くのは困難で、まさかの中村先輩の(報われない)想いも相まって、実に意外な真相となっています。
ちなみに参加人数の齟齬については、望遠鏡セットの“二十七+一”
(166頁)が予備を含めたものだとすれば、本来の参加者は二十七人だったことになり、如月先輩と歩くんが加わって“二十九人いる”
(172頁)ことになるのは妥当ですが、しかしそうすると、受付のカウンターでもらった人数表で参加者が“合計二十八人”
(166頁)、食事の際にも“合計二十八人”
(176頁)となっているのが問題。前者だけなら“施設の人が間違えた”
(173頁)可能性もあります(*10)が、後者については“四人家族が二組、三人家族が四組、二人家族が四組”
(175頁~176頁)と家族の内訳まで示されているので、うまく説明がつきません(*11)……閑話休題。
最後には、〈ロキ〉のストーカー疑惑の真相――星里町と思いきやアデレードにいたという場所の誤認が明らかになりますが、“138.3/34.5”
(168頁)という経度と緯度(*12)はともかくとして、美月らが目にしたさそり座が“アルファベットのSの字”
(187頁)なのに対して、〈ロキ〉のブログの写真では“逆向きのS”
(189頁)という形で一応は(*13)手がかりが示されています。しかし〈ロキ〉の正体はさておき、名字だけとはいえ他人の本名をほいほい書き込んでしまうのは、いまどきの情報リテラシー的にどうなのでしょうか……。
- 「夜空にかけた虹」
- からす座の写真を添付したメールの送り主は、「見えない流星群」で語られている、美月が父親とからす座を観測したエピソード(17頁)を覚えていれば(*14)見当がつきますが、しかしそうすると――進藤がいうように
“告発しようとしている”
(217頁)はずはないにせよ――“なぜなのか?”が新たな謎となります。メールの意図そのものもさることながら、“なぜ家族なのに遠回しなのか”/“なぜ美月は“両親を避けていた”
(206頁)のか”が疑問ですが、美月が思い出した“イチゴの匂い”
(205頁)に母親が激しく反応し、“わたしのせいだ”
(227頁)と自分を責めているところから、最後に事故の原因となった自殺者と母親との接点が明かされるのがやりきれないところです。
しかし、この作品の中心となるのは美月の“大きな嘘”(*15)。この作品の冒頭で“わたしは、彼に嘘をついた。”
(208頁)とされていますが、一年生の進藤が“俺は、菅野先輩が嘘をついているとは思ってませんから”
(217頁)と、なぜか美月の“嘘”を知っている様子をみせる不可解な謎が加わっているのが秀逸。〈車掌〉と呼ばれる進藤が、警笛を“お父さんからもらった”
(212頁)ことが伏線で、進藤の父親が駅員だったことが明らかになるのを経て、やはり美月が障害を負った事故に関する“嘘”であることが示唆されます。
そして最後には、美月が高橋よりも一歳年上だったという真相が明かされます。よく考えてみれば、片腕切断の重傷で義手も用意しなければならないのですから、わずか二ヶ月弱(*16)で学校に通えるようになるはずはないので、早くから気づいていた読者も多いのかもしれませんが、以下に示すようにさりげなく本書全体に、真相を示唆する数多くの伏線がちりばめられているのがすごいところです。
伏線 備考 見えない流星群 “ついこの前まで中学生だった人に”
(13頁)“自分は違う”という意識が込められてるのがうかがえます。 “二年生とはいえ、学年はひとつ上の先輩だ”
(16頁)(三年生と違って)“二年生は本来ならば先輩ではない”ことが暗示されています。 高橋が “おひつじ座の生まれ”
(20頁)おひつじ座は3月21日から4月19日の生まれになります(→「白羊宮 - Wikipedia」)。 君だけのプラネタリウム 美月が “もうすぐ誕生日”
(70頁)で“彼のほうが誕生日が遅い”
(69頁)すでに “二学期”
(59頁)なので、おひつじ座生まれの高橋の方が“誕生日が遅い”ということは、高橋は三月生まれである、ように読めますが……。“「子供に子供扱いされたくないの」/「同じ年だよ」/「学年はね。わたし、もうすぐ誕生日来るし。結婚だってできるんだから」”
(70頁)“学年はね”
にはもちろん、“同じなのは学年だけ(年齢は高橋の方が“子供”)”というニュアンスがあります。これも高橋が三月生まれだとすれば、次の“誕生日来るし”
と合わせて“すぐに美月が年上になる”、という風に読めますが……(*17)。
また“結婚だってできる”
は、前の“誕生日来るし”
との関係(もうすぐ十六歳)/無関係(すでに十六歳)で二通りに解釈できる、巧みなダブルミーニングとなっています。すり替えられた日食グラス 佐川先輩が持ってきたラッピング袋に “〈2012〉”
(110頁)と透かし文字が入っている前年のものがまだ残っていたとは考えにくいので、作中の“現在”は2012年ということになります。したがって、美月が高校に入学したのは2011年です。 高橋は “四月生まれ”
(120頁)九月生まれの美月より “誕生日が遅い”
(69頁)と表現できるのは、美月が高橋の前年(以前)に生まれた場合のみです。小学生を見て “六年前は当たり前だったのに”
(129頁)美月は高校二年生なので、普通に考えれば五年前まで小学生のはずです。 星に出会う町で “天文好きの男って、年上の女性に惹かれやすいのかな”
(200頁)一般化した表現なので、中村先輩の他にも同じような例があること――つまりは、高橋が美月の年齢を知っていることが匂わされています。 夜空にかけた虹 “2007(中略)わたしが中学に入学した年”
(222頁)順当にいけば、中学卒業/高校入学は2010年で、2012年度にはすでに三年生になっているところです。 “中学時代の同級生に会いたくなかった”
のは、身体が不自由なことを気にしているのではなく、“本当は別のことを気にしている”
(いずれも223頁)から中学時代の同級生に対して、左腕の障害よりも気にしてしまうことといえば、かなり限られることになるでしょう。 “「やっぱり年上だから」と、わたしは心の中で繰り返した。”
(230頁)高橋の何気ない一言を、予想外に美月が重く受け止めていることがわかります。 “一年間のリハビリ”
(231頁)美月が高校一年生の時点(最初の二篇)でリハビリを行っている様子はありません。 “2010・03・10。/事故に遭った日だ。”
(246頁)作中の“現在”は2012年度――2013年で、中学三年生での事故から約三年が経過しています。 高橋が “まだ小学校六年生”
の時に(美月は)“中学一年生”
(いずれも257頁)「見えない流星群」で、美月が中学一年生の時に、父親が買ってきた天体望遠鏡でからす座を観測したことが示されています(17頁)。
このように、伏線を拾ってつなぎ合わせていくと美月の“嘘”が浮かび上がってきますが、上記のように「星に出会う町で」には高橋が“嘘”に気づいていることを示唆する伏線も用意されており、(それに気づけば)結末を心穏やかに迎えることも可能でしょう。しかして最後には、「見えない流星群」の冒頭に仕掛けられた、美月が高橋の母親と同じく市立病院に入院していた(11頁)という伏線を回収して、これ以上ない結末に仕立ててあるのがお見事です。
*1: 自転車の件と、入浴の際に
*2: 代表的なのはやはり、横溝正史の長編(以下伏せ字)『獄門島』(ここまで)でしょうか。
*3: 最後の高橋の説明(47頁)には少々わかりにくいところがありますが、時系列としては、部室の電気が点いた状態から、高橋が
*4: いきなり
*5: 見立てを作った側ではありませんが、探偵役の側が見立ての意図に気づくことができたのは天文部員であればこそ、という意味で。
*6: 当初は単に
*7: バス停までの
*8: “失言を作り出す”ために、高橋に“地上の星座”の写真を“見せないようにする”流れ(62頁/65頁)も、若干強引といえば強引かもしれません。
*9: 解決前には
*10: 中村先輩がこっそり人数を書き換えた――二十七人から赤ちゃんを除いて(→
*11: もともと二十七人だった場合、如月先輩と歩くんのどちらかが食堂に紛れ込めば二十八人になりますが、家族の内訳がはっきりしているのでそれは不可能でしょう(そもそも、中村先輩が持ち帰ったお弁当が
*12: 舞台となっている星里町(架空)は、経度と緯度をみると御前崎近辺のようです(→「御前崎 - Wikipedia」)。
*13: 北半球で
*14: 比較的マイナーな星座(失礼?)なので、読者の記憶にも残りやすいのではないでしょうか。
*15: カバーや帯にも
*16: 事故に遭ったのが
*17: ところが、高橋はもちろん自分が四月生まれだと知っているわけですし、少なくともここで美月が九月生まれだとわかるので、高橋に対しては語るに落ちていることになります。
“母の手を借りなくても問題ないほど慣れてきている”(22頁)ことから、障害の残る大怪我だったことはまず明らか。そして、階段の上り下りには支障がなさそうな様子(14頁など)から足の障害ではないと考えられる一方で、
“髪は手入れしやすいようにかなり短く切っている”(22頁)や
“右肩だけで背負えるワンショルダーリュック”(22頁)などをみると、
“霧原先輩が左側からわたしの肘のあたりをつかんだ”(29頁)ところの一幕を待つまでもなく、左腕に障害があることは予想できるのではないかと思います(さらにいえば、カバーのイラストでも示唆されています)。
*2: 代表的なのはやはり、横溝正史の長編(以下伏せ字)『獄門島』(ここまで)でしょうか。
*3: 最後の高橋の説明(47頁)には少々わかりにくいところがありますが、時系列としては、部室の電気が点いた状態から、高橋が
“ブレーカーを全部落として停電させ”(47頁)→榊原先輩がスイッチを
“二回押した”(33頁)(電気は点かない)→高橋が分電盤で
“部室棟を間違えて灯し”(47頁)てすぐに消す(
“一瞬だけ電気が点いた”(33頁))、という順序になるでしょう。
*4: いきなり
“私が悪いの。私のせいなの”(79頁)と言い出しているあたり、霧原先輩自身も早くから思い当たっていたようですが……。
*5: 見立てを作った側ではありませんが、探偵役の側が見立ての意図に気づくことができたのは天文部員であればこそ、という意味で。
*6: 当初は単に
“髪の毛は供物だったということになるのか”(90頁)とされていますが、後に
“エジプトの王妃ベレニケは(中略)自慢の髪の毛をアプロディーテの神殿に捧げた”(94頁)と紹介されている神話の内容をみると、捧げられるのは自分の髪の毛ということになり、“犯人”は明らかでしょう。
*7: バス停までの
“道沿いにある梨畑”(70頁)と中盤で説明され、終盤にはさらに
“バス停の近くにある梨畑”(86頁)とまとめられていますが、事件が
“バス停の近くで起きた”(54頁)という村山の話の時点では少々わかりにくいので、余計に中村先輩の台詞が唐突に感じられるきらいがあります(「見えない流星群」の冒頭には、
“梨畑の間にある狭い道のせいか、停留所にはベンチも屋根もない”(10頁)という一文もあるのですが……)。
*8: “失言を作り出す”ために、高橋に“地上の星座”の写真を“見せないようにする”流れ(62頁/65頁)も、若干強引といえば強引かもしれません。
*9: 解決前には
“成分表示の書かれた側面で作った日食グラス”(134頁)がすり替えられた、としか書かれていませんが、グリーンエコマークに思い至りさえすれば、その種のマークが成分表示と同じ面に配置されることが多いことはわかるのではないでしょうか。
*10: 中村先輩がこっそり人数を書き換えた――二十七人から赤ちゃんを除いて(→
“赤ちゃんもカウントするんだったか”(172頁))二人加えた――ということも考えられないではないですが、これは(事前に)赤ちゃんの存在を把握していなければならないので、無理があります。
*11: もともと二十七人だった場合、如月先輩と歩くんのどちらかが食堂に紛れ込めば二十八人になりますが、家族の内訳がはっきりしているのでそれは不可能でしょう(そもそも、中村先輩が持ち帰ったお弁当が
“小食の女子大生と小学校一年生の男の子には十分な量だった”(197頁)ということからすると、二人とも食堂にいなかったことは明らかです)。
*12: 舞台となっている星里町(架空)は、経度と緯度をみると御前崎近辺のようです(→「御前崎 - Wikipedia」)。
*13: 北半球で
“南の空”(187頁)に見えるさそり座は、南半球では北の空に、したがって北半球とは上下が逆(左右も)に見えることになります。“S”の字は点対称で上下を逆にしても“S”には変わりないので、作中の
“逆向きのS”という表現は、星座がひっくり返っていることを読者に暗示するための苦肉の策です……が、
“逆向き”と表現した一人称の語り手・美月はその時点で真相がわかっていることになる、というのがまた苦しいところです。
*14: 比較的マイナーな星座(失礼?)なので、読者の記憶にも残りやすいのではないでしょうか。
*15: カバーや帯にも
“わたしはひとつ、大きな嘘をついていた”とありますが、「見えない流星群」まで読んだところでは、そこで明らかになった左腕の義手のことかと思ってしまいました。
*16: 事故に遭ったのが
“高校の合格発表”(6頁)の日――具体的には
“2010・03・10”(246頁)――で、
“初めて登校できたのは四月の終わり近く”(12頁)。
*17: ところが、高橋はもちろん自分が四月生まれだと知っているわけですし、少なくともここで美月が九月生まれだとわかるので、高橋に対しては語るに落ちていることになります。
2017.03.12読了