証拠は眠る/R.A.フリーマン
As a Thief of the Night/R.A.Freeman
砒素による毒殺を扱ったミステリでは、比較的容易な手段であるせいか、飲食物に添加して被害者に与えるというものがほとんどではないかと思います(*1)。ところがそのような一般的な方法では、ある程度の期間にわたる留守中に被害者の容態を急変させることは不可能ですから、一見するとバーバラには犯行の機会がないように思えます。
しかしながら、ウォリングフォードが使っていた書斎とマデリンの部屋から見つかった〈ベンジン〉の瓶という、あまりにも露骨な偽の手がかりのせいで、かえってバーバラが真犯人であることが見え見えになっているのが残念。また、ルパートとのやり取りをみれば、その動機もかなり歴然としています。
それでも本書のポイントとなる毒殺手段、すなわち砒素を気化させて吸入させる(*2)という真相は、前述の一般的な方法による先入観のせいで盲点になっている感があり、なかなかよくできていると思います。しかも、被害者が常用していた蝋燭に混入させておくことで、ある程度長期の留守中でも犯行が可能なのが見事です。
被害者の部屋の壁紙から砒素が検出されることで、気化させて吸入させるという手段が裏付けられるとしても、今ひとつ決め手を欠いているのは否めないところなのですが、そこでステラの毒殺事件を文字通り“掘り起こす”という展開が非常に秀逸です。と同時に、ルパートの手元に“眠って”いたステラの思い出の品――髪の毛と蝋の鋳型――が決定的な証拠になるというのが実に印象的です。
ソーンダイク博士の推理がまったく披露されないままいきなり真犯人が自殺してしまうというのは、ミステリとしてはさすがにどうかと思われる展開ですが、幸か不幸か本書の場合には犯人が早い段階から見え見えなので、解決より先に犯人が示されてもさほど問題はないでしょう。また、犯人不在の解決では少々盛り上がりに欠ける反面、ソーンダイク博士がルパートへを思いやる心がクローズアップされ、印象深い結末になっていると思います。
なお、“髪が伸びる速度が二十四時間に五十分の一インチ”
(296頁)、すなわち0.5mm程度ということがわかっていても、髪の根元からどの程度で切ったかによってずれが生じ得るので、298頁に示されたグラフは少々眉唾です。これに関して、ソーンダイク博士は“頭皮のごく近く、せいぜい四分の一インチで切ったと推測”
し、ルパートは“たまたま、それが正しいことは知っているんだ”
(いずれも296頁)と肯定していますが、ここはグラフを描く前にルパートに確認しておくべきではなかったかと思います。
*2: 作中には
“アルシン”(276頁)なる砒素化合物が示されていますが、「アルシン - Wikipedia」によれば
“無色の気体”であり
“20 ppm 程度の濃度のアルシンを吸引すると即死すると言われている。”とのことです。
2008.05.14読了