- 「そして名探偵は生まれた」
- まず、名探偵・影浦逸水の造形がお見事。解決した事件を発表してみたら、訴えられて多額の損害賠償を余儀なくされたというのが泣けます。経済的にも恵まれず、才能に見合った名声も得られないというのでは、あれほどいじましくなってしまうのも理解できなくはありません。そして、ついには偽の解決をでっち上げた上で真犯人を恐喝する、というところまで落ちてしまったというのが何とももの悲しく感じられます。
密室トリックは、一見すると鮮やかに解き明かされているのですが、読者に対しては手がかりがはっきりと示されていない上に、現場の構造を調べればすぐにわかってしまいそうなもの(*1)で、面白味に欠けているのは否めません。ただ、作者自身の過去の作品((以下伏せ字)『長い家の殺人』(ここまで))を連想させる、懐かしさの感じられるトリックが(あえて)使われているところが、なかなか興味深く感じられます。
「そして名探偵は生まれた」という題名をみれば、この“名探偵”が(すでに名探偵である)影浦を指しているのではなく、他の人物がこの事件で“名探偵”となることを意味しているのは明らかでしょう。となれば、影浦による解決が誤っているのはもちろんのこと、その退場の必要性(*2)も十分に予想できるところです。したがって、物語終盤の影浦の死も、さらには“名探偵”となった武邑大空自身が真犯人であることも、想定の範囲内といわざるを得ません。
*1: 例えば、壁を移動させるためのスライドレールのようなものが存在するはずです。また、104頁で武邑が壁の移動による危険を指摘していることを考えれば、誤操作を避けるためにスイッチは電灯や空調などとははっきりと区別できるものになっている必要があるでしょう。ただ、後者については紅坂が何らかの偽装を施した可能性が考えられますが。
*2: 自分を差し置いて他の人物が“名探偵”となることを、影浦がそうやすやすと許すとは考えられません。つまり、他の人物が“名探偵”となるためには影浦が邪魔な存在であることは明白です。
- 「生存者、一名」
- 人数の不一致に関しては、島から姿を消した関口司教や森が“バールストン先攻法”的に使われていたり、仁美が目撃した“ケモノ”(当然ながら、密かに島に上陸した中国人容疑者だと考えられます)に注意が向けられていたりと、なかなかうまく工夫されています。そして、それらのミスディレクションを消し去ることでクローズドサークルを“閉じて”から、一転して意表を突いた真相を提示するという巧みな演出が光ります。
真相が明かされる直前に挿入された、“東シナ海の屍島において男性一名を救出した” (217頁)というニュースは残念ながらアンフェアといわざるを得ません(*3)が、真相そのものはまずまず。特に、自分だけが関口司教に救出される可能性が生じ、それが殺人の動機の裏付けとなっているところが秀逸です。ちなみにこの真相、森博嗣の某作品((以下伏せ字)『すべてがFになる』(ここまで))を連想する方も多いのではないかと思いますが、“生存”というテーマと絡めた解決という意味では堀晃の(以下伏せ字)「連立方程式」(『梅田地下オデッセイ』収録)(ここまで)に近いように思われます。
そして、すべてが明らかになったと思われたところで、さらにもう一つひねりを加えた作者の意地の悪さ(?)が何ともいえません。三春と仁美が似ているという事実や序盤のレイプまでが伏線として生かされているのが見事です。
しかし、“なお男児は産みの母親の名前から一文字を取って春仁と命名された” (230頁)という最後の一文は明らかに、三春と仁美のどちらの子供でもあり得るというリドルストーリーを狙ったものですが、その効果はやや疑問。感覚的には、名前に使われる漢字としては“春”より“仁”の方がポピュラー(汎用性が高いというべきか)であるように思われるので、(母親から取った)“仁”の字に“春”を組み合わせるよりも、“春”の字が先にあってそこに“仁”を組み合わせる、というケースの方がありそうな気がします。そう考えると、救出された“春仁”くんは三春の子供である可能性が高いのではないでしょうか。
*3: 身元不明であっても、いや身元不明であればなおのこと、性別以上に特徴的な“赤ん坊”という情報が欠落したまま報道される可能性は、現実的には考えられないと思います。これが“東シナ海の屍島において生存者一名を救出した”という表現であれば、“生存者が発見された”という事実だけがまず伝えられたと解釈できなくもないのですが。
- 「館という名の楽園で」
- まず、館の主である冬木自身が犯人であることはたやすく予想できると思いますが、問題はやはりハウダニット。三星館の構造が点対称となっていることから、館の中央部が回転するというトリックは比較的すぐに思いつくところですが、類似のトリックが作者自身の過去の作品((以下伏せ字)『動く家の殺人』(ここまで))でダミーの解決として提示されており、それをここで使うとは考えにくいものがあります。が、「そして名探偵は生まれた」の密室トリックがやはり過去の作品に通じるものだったことを考えると、一概には否定できないようにも思えてきます。
……といった感じで悩んでいる間にすっかり騙されてしまったのですが、読み返してみると、“ベッドルームは二十ある” (239頁)・“建設資金は不足していました” (258頁)・“マシューの思い出の品をことごとく処分します。マシューという弟は最初からこの世に存在しなかったのだと思い込もうとします” (278頁〜279頁)・“三本の矢が二本になってしまいました” (279頁)という風に、手がかりや伏線がかなりわかりやすい形で配置されていたことに気づいて、すっかりへこんでしまいました(苦笑)。しかし、強力なミスディレクションとなっている館の見取図を、実に巧みな形で提示している作者の手際には脱帽です。
それまで確かに存在していたはずの壮麗な“虚構”が消え失せた後、残された“館”の空虚さや豹変した執事(役のアルバイト)の態度など、強調される“現実”に感じさせられる落差が何とも強烈。そしてそれと歩調を合わせるかのような、冬木夫妻の自殺という結末の苦さもまた。
なお、かなりどうでもいいことではありますが、“ファイロ・バンス” (238頁)という表記が気になってしまいました。が、もしかして昔は“ヴァンス”ではなく“バンス”と表記されることもあったのでしょうか。
2006.11.28読了 |