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温かな手/石持浅海

2007年発表 創元推理文庫493-02(東京創元社)
「白衣の意匠」

 被害者自身の白衣がロッカーにしまわれていたことから、犯人が着せたものだということまでは予想できるところですが、“こぼれたコーヒーを一時的に隠す”という犯人の目的は、限定された状況でのみ成立するものだけになかなか想定しがたく、謎と状況をセットにした巧みな設定が光ります。そして、“コーヒーを隠す必要性”から犯行の動機につながる事件の背景を、また“一時的に隠す必要性”から犯人を、それぞれ導き出す推理のプロセスが実に見事です。

「陰樹の森で」

 冒頭には“英恵さんは、どうやって牧原さんのナイフを取ったのでしょうか”(44頁)とあり、それが不可能であることが示唆されていますが、その障害となるのが首吊りによる牧原の排泄物だというのがものすごいところです。そしてそこから、ギンちゃんの立場が牧原の自殺のもう一つの引き金となったことを示し、良子の“動機”を作り出すことで疑惑を向けておいてから、“後追い心中”の構図を逆転させる*1手際が鮮やか。さらに、眼鏡と軍手という決定的な手がかりをもとに“もう一人の犯人”の存在まで導き出す手順がよくできています。

 何ともイヤなものを残す事件ではありますが、しかし最後のギンちゃんと山城のやり取りが救いとして用意されているのがうまいところ。それにしても、“私たちは、死体が雨に濡れることの意味に、気づかないだけです。”(86頁)という言い回しは、いかにも石持浅海らしく感じられます。

「酬い」

 凶器のナイフを持っていたのは被害者自身だというところまではいいとして、その標的がムーちゃんだったという推理、しかもそれをムーちゃん自身が平然と口にするあたりには、思わず唖然。さらに、ムーちゃんを見つけられないことによる標的の変更に至っては、状況にうまく当てはまるために説得力がないではないものの、“論理のアクロバット”どころではない飛躍が何ともいえません。

 そして、披露した推理を崩壊させてしまうムーちゃんの一言、でたらめよ(119頁)が何とも強烈です……が、これが推理の飛躍を逆手に取った“ちゃぶ台返し”にとどまらず、“人間ではない探偵役”らしいともいえる、純粋に利己的な謎解きの動機を強く印象づけているのがうまいところです。

「大地を歩む」

 殺された国元が、コンビニでおにぎり一個をクレジットカードで買う(131頁)ほどの徹底した“陸マイラー”であり、なおかつ海外旅行を目前に控えているということで、現金の出所に関する穏当な仮説がことごとく封じられているのが巧妙。と同時に、それらの論拠をいわば“裏返す”ことで、現金の使い道が浮かび上がってくるのが非常に秀逸です。

 前の「酬い」と同様に、謎解きの後にはムーちゃんの口から出まかせよ(155頁)というとんでもない台詞が用意されていますが、この作品の見どころはそこから先、人間の常識的な感覚にとらわれないムーちゃんならではの、あまりに身も蓋もない謎解きの動機でしょう。

「お嬢さんをください事件」

 そのまま犯罪とは受け取れないにしても、冒頭に掲げられている“「どうして倉科くんが姿を消したのか」(中略)「咲子さん、君のためだよ」”(160頁)という“スズキ”の言葉が(どちらかといえば)不穏な印象を漂わせる*2ことで、ほのぼのした真相を隠蔽するミスディレクションとなっている感があります。

 倉科がたどるはずの経路から事件性を否定し、いるべき場所にいないことから急病説を否定し、倉科の自発的な“失踪”だと結論づけた*3上で、車中の何気ない会話から倉科の心理を読み解いてその居場所までも突き止める“スズキ”=ギンちゃんの推理は、派手ではないながらも鮮やかです。

「子豚を連れて」

 児玉がステーションワゴンに乗っていたことからその嘘を暴いたムーちゃんの推理には、まずまず説得力があるように思われますが、よく考えてみるとそのステーションワゴンの扱いが大きな問題となってきます。つまり、“夫がゴルフに行くのにステーションワゴンを使わなかった”ことが不自然だとすると、“家出”中の児玉自身がステーションワゴンに乗っているところを目撃されてしまえば、“夫がゴルフに行った”と偽装することは不可能になってしまうわけですから、児玉がムーちゃんと匠の目をまったく気にしていないのはおかしなことになります。ムーちゃんがいうようにもともと“ずさんな計画”(227頁)だとしても、ちょっと無神経にすぎるといわざるを得ないでしょう。

 もちろん、ムーちゃんは例によって最後に“与太話よ”(227頁)と片付けてはいるのですが、次の「温かな手」の冒頭でステーションワゴンが事故に遭っているのは、やはり“酬い”を暗示しているのでしょうか。

「温かな手」

 ムーちゃんの“これなら任せられるな”、そしてギンちゃんの“君なら問題ないだろう”(いずれも237頁)という台詞に仕掛けられた叙述トリック(?)がお見事です。

*1: “英恵が牧原の排泄物を避けて死んだ”のではなく、“牧原が英恵を避けるようにして死んだ”という逆転も印象的です。
*2: これ以前のエピソードがどれも殺伐としていることも、その理由の一つではあります。
*3: 実のところ、ここまでは冒頭の“スズキ”の言葉から明らかなわけですが、それでもそこへ至る推理の手順には十分な面白味があると思います。

2010.09.05読了