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容疑者Xの献身/東野圭吾

2005年発表 文春文庫 ひ13-7(文藝春秋)

・トリックの概略

 石神による偽装計画の中心にあるのは、被害者の誤認を狙った古典的な“顔のない死体”トリックに他ならないのですが、“死体を富樫のものではないと偽装する”のではなく“(別人の)死体を富樫のものであると偽装する”という手段がやはりよくできています。もう一つ別の死体を用意すること自体が意表を突いていますし、“花岡母子による富樫慎二殺害を隠蔽する”という目的とは一見矛盾するような、富樫が殺害されたことをあえて強調するという手法がユニークです。

 そしてもちろん、“顔のない死体”を用いて事件の発生日時を誤認させ――というよりも事件そのものをすり替えることでアリバイを成立させるという、“顔のない死体”のアリバイトリックへの適用が非常に秀逸です。実をいえば、“別の死体の身元誤認による犯行日時の錯誤”に基づくアリバイトリックというところまでは前例が思い浮かびました*1が、従来は被害者の身元を誤認させるという一点にほぼ限定されていた感のある“顔のない死体”トリックに、まったく新たな用途を見出した点が優れているというべきでしょう。

 かくして、作中においては死体/事件のすり替えによって富樫殺害の日付を三月十日だと誤認させるトリックが成立しているのですが、読者に向けては富樫が実際に殺害される場面が示されているため、その中で日付を省略(実際には三月九日)しておき、後に“富樫の死体”が発見された日付を明示することで読者をミスリードする叙述トリックも用意されており、念の入った仕掛けに感心させられます。

*1: 少なくとも、国内作家(作家名)有栖川有栖(ここまで)の長編(以下伏せ字)『マジックミラー』(ここまで)と、国内作家(作家名)山田正紀(ここまで)の長編(以下伏せ字)『女囮捜査官2 視覚』(ここまで)がこれに該当します。

*

・解決への手がかり

 作中で富樫が殺害される場面が描写されることで、作中の探偵役である湯川には入手することができない手がかりが、読者に対してのみ与えられています。

 第14章で、草薙は石神の勤怠表を見ながら“十一日の前日、つまり十日も、先生は午前中の授業をお休みになっている。”(276頁)と指摘しています。ところが本書の冒頭には、“弁当を手に、石神は店を出た。そして今度こそ清洲橋に向かった。”(10頁)と、富樫が殺害された日の早朝に石神が弁当を買って学校に向かっている様子が描かれています*2。したがって、富樫が殺害されたのは、石神が午前中の授業を休んだ三月十日ではないということになります。

 そしてもう一つ、第12章では、“事件当日(注:ここでは三月十日)の昼間、そのクラスメートは美里から、夜に母親と映画に行くという話を聞いたらしい”(244頁)と、三月十日の昼の時点ですでにアリバイ工作が始まっていることが示唆されています。それを受けて草薙は“計画的犯行、と考えて間違いないんじゃないか”(245頁)と意見を述べていますが、読者にとっては富樫殺害が突発的な犯行であることは明らかですから、三月十日に富樫が殺害されたという前提の方が間違っていると考えられます。

 さらに、冒頭に登場していた『技師』が姿を消したことの暗示(122頁及び289頁)や、“たとえば幾何の問題に見せかけて、じつは関数の問題であるとか”(272頁)といった伏線を考え合わせれば、三月十日に殺害されたもう一人の被害者の存在に気づいてアリバイトリックを見抜くことは、十分に可能といえるでしょう。

*2: この描写と富樫が『べんてん亭』を訪れる場面との間に視点切り替え(もしくは場面転換)のための行空けが挟まれている(10頁)ため、必ずしも同じ日とは限らないという見方もできなくはないかもしれませんが、行空けの後にも以下のようなやり取りがあるので、その日に石神が弁当を買いに来たことは確実といっていいでしょう。

「例の高校の先生、今朝も来た?」休憩している時に小代子が問いかけてきた。
「来たわよ。だって毎日来るじゃない」
(12頁)

*

・トリックの脆弱性

 前述のように、日付の問題からトリックを見抜くための手がかりが配されている本書ですが、実は日付の錯誤よりも先に“顔のない死体”トリックの方が露見してしまう危険性をはらんでいます。問題となるのは、カバー裏の紹介文に謳われるとともに作中でもしっかりと描かれる、石神が天才数学者であるという事実です。

 偽装計画を立てるにあたって、石神は“身元が判明することは覚悟しなければならなかった。とはいえ時間稼ぎは必要だ。指紋と歯型は残せない。”(53頁)と考えています。そのため、発見された死体の顔が潰された上に指紋が焼かれていたことにも不思議はなく、死体の身元が判明するまでの時間を稼ぐための工作だと受け取れます。が、現場で発見された自転車から指紋が採取され、すぐに被害者が富樫慎二だと断定されたところから話がおかしくなります。

 もちろん、警察と同様に“死体の身元を隠そうとした犯人が見落とした”と考えることもできなくはないでしょう。しかしながら、石神が天才であることを踏まえてみると、(一時的にせよ)死体の身元を隠そうとしながら自転車に残された指紋に気づかなかったというのは、信じ難い失態だといわざるを得ません。特に、富樫が実際にその自転車を使った――花岡母子のアパートまでそれに乗ってきたのだとすれば*3、石神がそれをわざわざ死体発見現場まで移動させたことになるのですから、指紋を見落としたというのは考えにくいものがあります。

 逆に、自転車に残された指紋が計画の一部であったと考えてみると、死体の身元がすぐに富樫だと断定されることまで織り込み済みだったということになるのですから、死体の顔を潰して指紋を焼くという作業がまったく無意味なものになってしまいます――本当に死体が富樫のものであれば。別人の死体を富樫のものと見せかける場合に限っては、死体の顔を潰すことは当然不可欠です。そしてその作業を、死体の身元を(偽るのではなく)隠すためだと偽装する上では*4、指紋を焼くことも重要だといえるでしょう。

 このように、常人であれば犯しても不思議がないミスを排除して――いわば“ハードルを上げて”――すべてが石神の計画通りだと考えれてみれば、相当に早い段階で“顔のない死体”トリックの可能性が浮上し*5、結果として真相の意外性が損なわれてしまうのです。

*3: 作中では、富樫がどうやって花岡母子のアパートまで来たのかまったく描かれていないので、実際に富樫がその自転車を使ったという可能性も否定はできません。
*4: 死体の指紋が自転車に残された指紋、ひいてはレンタルルームの“富樫慎二”の指紋と一致しても何ら問題はないのですが、死体の指を焼くことで“身元の隠蔽”というレッドへリングの信憑性が高まり、“顔のない死体”トリックを隠蔽しやすくなるのは大きなメリットです。
*5: 作中では死体の指紋を焼く行為の意味に関して、湯川が“そばに放置された自転車が偽装工作でないと思わせるための工夫だった、とは考えられないだろうか”(211頁)と意見を述べていますが、これはあまりにタイミングが遅すぎます。

*

・結末に至る展開

 本書の最大の狙いは、石神が自ら殺人を犯したという真相のサプライズをもって、靖子に対する石神の“愛情”の深さを読者に強く印象づけるところにあると考えられます。ところが、前述のような形で“顔のない死体”トリックが見えてしまうと、その効果も大きく減じてしまうのが難点です。それでも、工藤邦明が出現してからの石神のストーカーじみた行動が、自ら犯人として出頭するための伏線だったことには驚かされました*6。靖子と美里を完璧に守るためには、最終的に“偽の犯人”を警察に差し出す必要があるのは明らかですから、石神の出頭自体は意外なものではなかったのですが、自らの“焦りに似た感情”(161頁)“嫉妬心”(221頁)までも偽装工作へと転化するその姿には、やはり圧倒されるところがあります。

 それに対してヒロインである靖子の方は、石神ではなく工藤に惹かれていくのは致し方ないと思いますが、事件及び石神に対する態度に釈然としないものを覚えます。特に、事件が発生した日付の齟齬をもとに誰よりも早く真相に気づき得る立場でありながら、湯川から推理を聞かされた後に“不思議ではあった。警察はなぜ犯行の翌日のアリバイを訊くんだろう、と。”(374頁)と今さらながらに考えているのは、あまりに無邪気すぎるといわざるを得ません。さらにその後には、工藤を前にして“真実を知らないということは、時には罪悪でもあるのだと思い知った。少し前までの自分もそうだったのだと思った。”(376頁)などと考えていますが、工藤は真実を知り得るはずもないのですから、同列視するのはおかしな話です。また、“自分のような(中略)女のために、一生を棒に振るようなことをしたとは考えたくなかった。”(375頁)ともありますが、“一生を棒に振る”という観点に限っていえば、身代わりであろうが実際に殺人を犯していようが変わらない*7わけですから、これもいかがなものかと思います。

 また、探偵役であるとともに石神の旧友でもある湯川の態度も、草薙に推理を聞かせる前は“一人の友達として、僕の話を聞けるか。刑事であることは捨てられるか”(351頁)と断固としたものでありながら、その後は“もしいつまで経っても花岡靖子が自首してこないのなら、俺は捜査を始めるしかない。”(372頁)という草薙の言葉をあっさり受け入れるなど、かなりすっきりしないものになっています。“湯川は警察には話さないといった。すべては推論で証拠も何もないから、あなたがこれからの道を選べばいいといった。”(375頁)と受け取っている靖子に対する裏切りのようにも思えますし、“あなたが何も知らないままだというのは、僕には耐えられない”(361頁)という理由だけで靖子に推理を聞かせるのであれば――“自首すべきだと強く思っているわけじゃない”(372頁)のであれば、草薙に推理を話して聞かせる必要はないでしょう。そして石神のことを考えるならば、やはり靖子が自首しない方向に持っていくべきではないかと思います*8

 結局のところ、物語の結末としては本書のように、シリーズ探偵である湯川が草薙に推理を披露し、真相を聞かされた靖子は自ら警察に出頭して、石神の苦労が水泡に帰す、というものの方が落ち着きがいいのは確かかもしれません。しかし本書では、そこに至るまでの(石神を除く)登場人物たちの心理や態度がどうにも不自然に感じられるのがいただけないところです。おそらく靖子を追い詰めて自首を決断させるために用意された美里の自殺未遂も、それまでに描かれた当人の様子からは飛躍した唐突なものになっており、取ってつけたような印象が拭えません。これは、殺された『技師』のことがほとんど顧みられていないのと同様、特定の部分(靖子―石神―湯川(草薙)の関係)にのみ焦点が当てられたことによる弊害といえます。

 ところで、出頭してきた靖子の“自白”には何ら裏づけがないようですし、石神はおそらく当初の“自白”を維持すると思われるので、捜査は難航するのではないかと考えられます。石神の指示(308頁)に逆らって靖子が保存しておいたメモ(380頁~381頁)が、唯一の裏づけとなり得るかもしれませんが。

*6: 個人的には、石神が(すでに)殺人を犯した人物であることを念頭に置いて読み進めていったので、ストーカーじみた行動が一層真に迫ったものに感じられたこともあります。
*7: 実際に石神が富樫を殺したわけではないので、靖子はいずれ石神が釈放されると考えていた……ということはさすがにないと思うのですが。
*8: 石神の意向に沿っているということもありますが、(あくまで素人の感覚ですが)富樫殺害と『技師』殺害では量刑に差が出てくる(後者の方が重くなる)のではないかと思われます。

2008.09.22読了