ウォリス家の殺人 This is Your Death
[紹介]
歴史学者モーリス・スレイターは、少年時代に兄弟同様に育てられた幼馴染の人気作家ジョフリー・ウォリスに招待され、その邸に滞在することになった。しかしその裏ではジョフリーの妻ジュリアが、このところ夫の様子がおかしいとモーリスに訴えてきていた。ジョフリーは兄ライオネルから半年にわたって何事か脅迫されていたらしいのだ。加えて、ジョフリーが長年書き続けている日記を出版する計画が、ウォリス家にさらなる緊張をもたらしていた。そしてある晩、ライオネルのコテージに格闘の跡と大量の血痕を残し、ジョフリーとライオネルがともに行方不明となり、やがて死体が発見され……。
[感想]
『悪魔はすぐそこに』に続いて刊行された、創元推理文庫のD.M.ディヴァイン第二弾。『悪魔はすぐそこに』巻末の法月綸太郎氏の解説によれば、作者の死後に出版された遺作ながら、デビュー作『兄の殺人者』とほぼ同時期に書かれたものではないかと推測されているようです。
本書の最大の特徴にして見どころとなるのはやはり、ウォリス家とそれを取り巻く人々の、ほとんどどこをとってみてもいやな感じの人間模様でしょう。他の作品を読む限りでは、丹念に描いた人間関係の陰から隠された悪意を取り出してくる手法を得意とする作家だという印象があり、最初からここまで負の感情が読者の前に並べられている本書は、ディヴァインの作品の中でもやや異質な部類に入るように思われます。
一人称の語り手であるモーリス自身も、妻と息子に半ば不当な形で見捨てられている――しかしその不当な仕打ちに正面から向き合おうとしない――という境遇ですが、その分(?)ジョフリーに向ける視線は厳しく、兄弟同然に育てられた少年時代から培われてきたコンプレックスが語りの端々ににじみ出ています。それが端的に表れた、というよりも、あくまで“人格攻撃”ではないということでつい油断してしまった感のある、“作家ジョフリー・ウォリス”に対する容赦なく辛辣な評価が何ともいえません。
そのモーリスが中盤以降、ジョフリーの伝記の執筆という依頼を受けた結果として、事件の真相を探る探偵活動に乗り出すという経緯もなかなか巧妙です。素人探偵、しかもあまり活動的でなさそうな歴史学者という立場でありながら実に精力的で、いわば大義名分を与えられてジョフリーの秘密――脅迫のネタも含めて――を掘り起こすことに密かな愉悦を感じているようにさえ見えてしまうのは、作者の筆力のゆえか、あるいは序盤から描かれている陰湿な人間関係にこちらが引きずられてしまったのか。いずれにしても、ジョフリーの隠された一面が少しずつ明らかになっていく過程は、十分に見ごたえがあります。
例によって全般的に地味ながら、犯人を周到に隠蔽しつつ、解決につながる細かな手がかりをあちらこちらに埋め込んでいく手際はやはり巧妙。ただ、クライマックスの演出――犯人が明らかにされてから手がかりが指摘されるという手順は、物語としてはともかくミステリ的には少々残念なところで、“コロンブスの卵”ともいえるシンプルで大胆な決め手が用意されているだけに、非常にもったいなく感じられてしまいます。
とはいえ、総じて水準以上の出来になっているのはいうまでもないところで、『悪魔はすぐそこに』に比べるとやや落ちる感はあるものの、佳作といっていいのではないでしょうか。
凶宅
[紹介]
小学四年生の日比乃翔太は、引っ越してきた家を前にして何とも厭な感覚に襲われていた。山麓を切り拓いて造成された宅地の中、なぜか建築途中で放置された区画の奥に、ただ一軒だけ建てられたその家。そしてその夜、妹の部屋を訪れたのは、この山に棲んでいるという〈ヒヒノ〉。さらに、家のあちらこちらにひっそりと現れる奇妙な人影。翔太は両親にも姉にも相談できないまま、友達になった幸平の協力を得て、家にまつわる忌まわしい秘密を探り始める。そこで出会ったのは、以前にその家に住んでいた少女が残した不気味な日記だった……。
[感想]
デビュー作の『忌館 ホラー作家の棲む家』、そして本書と同じく光文社文庫書き下ろしの『禍家』に続く、幽霊屋敷ものの系統に属する作品です。『禍家』と同様、シリーズものではない単発の作品ですが、舞台となっているのは〈三津田信三シリーズ〉でおなじみの(架空の)土地“杏羅”(*1)で、他の作品との微妙なリンク(*2)も盛り込まれています。
一連の作品においては、“少年の視点による幽霊屋敷もの”という趣向の枠内で目先を変えるためか、怪異に挑むのが少年一人(『忌館 ホラー作家の棲む家』の作中作「忌む家」)から、少年と少女(『禍家』)と続き、本書では主人公の翔太と友人の幸平という少年二人となっています。結果として本書は、いわゆる“バディもの”に通じる形となり、物語の吸引力が高まっているようにも思えます。
幽霊屋敷もののホラーとしては、家の中に現れる怪異――〈ヒヒノ〉と“人影”が、どちらも得体の知れない存在であるとはいえ、さほど怖いという印象を与えないのが難点といえるかもしれません。家が建っている“山”そのものの不気味さ(57頁~61頁など)はさておき、“廃墟屋敷”の住人である老婆や、幸平と同じアパートに住む女子大生など、狂気を帯びた(ように見える)人間の方がよほど怖いのは、悪くはないのですがどうもちぐはぐに感じられてしまうところではあります。
“ホラーとミステリの融合”を持ち味としている作者ですが、本書ではミステリ色は控えめ。ホラー的な“狂気の論理”によって“真相”が導き出される点が目を引いた『禍家』に対して、本書ではどちらかといえば、“真相”を隠蔽するために翔太を、ひいては読者をいかにミスリードするかという点に工夫が凝らされている感があります。手がかりが十分に示されているとはいえませんし、どちらかといえば脱力を招く部分もあるのですが、“真相”はまずまずといえるのではないでしょうか。
緊張感の高まったクライマックスに比して、「終章」に至る直前の部分がややあっけなく感じられてしまうのが少々残念ではありますが、“真相”をうまく生かして鮮やかに締めてみせる最後の一行はお見事です。
2008.09.14読了 [三津田信三]
【関連】 『禍家』 『災園』
容疑者Xの献身
[紹介]
仕事もせず暴力を振るう夫・富樫慎二と離婚した花岡靖子は、知り合いが経営する弁当屋で働きながら、中学生になる娘の美里と二人でようやく平穏な日々を送っていた。だがある日、二人の行方を突き止めた富樫が再び姿を現し、アパートの部屋まで押しかけてきたのだ。つきまとわれ続けることに恐怖した靖子と美里は、富樫を殺害してしまう。そこへ訪ねてきた隣人の高校教師・石神は、密かな思いを寄せていた靖子を救うために協力を申し出る。数学の天才である石神はその頭脳を駆使して完璧な偽装計画を立てるが、皮肉にもその前に立ちはだかるのは、石神の大学時代の友人である物理学者・湯川学だった……。
[感想]
『探偵ガリレオ』・『予知夢』に続く、天才物理学者・湯川学を探偵役とした〈探偵ガリレオ・シリーズ〉の第三作にして、シリーズ初の長編。各種ランキングの1位を独占し、第6回本格ミステリ大賞や第134回直木賞を受賞するなど、高く評価された作品です。が、しかし……。
『探偵ガリレオ』では捜査側の視点を中心としたオーソドックスなスタイルであったかと思います(*1)が、本書は殺人を犯した靖子と偽装工作を行う石神という“犯人”側からの描写に重点を置いた倒叙形式となっているのが異色です。とはいえ、“犯人”側の心理や行動を描いてサスペンスを高める倒叙形式ならではの効果を追求しつつも、偽装工作の枝葉の部分だけを小出しにして肝心な部分を伏せておくことで、シリーズで一貫して重視されているハウダニットを成立させているあたりには、作者の確かな手腕がうかがえます。
そして、“犯人”側の動向の中で当初から示されている特異な共犯関係、さらには探偵役である湯川との友人関係を通じて、本書の主役となる石神という稀代の人物――その天才的な頭脳、冷静で論理的な思考、そして無私とも独善ともいえる独特の“愛情”――が余すところなく、しかも説得力をもって浮き彫りにされていく過程が圧巻。本書の倒叙形式というスタイルも、単にサスペンスを狙っただけではなく、石神の人物像を描き出すために最も効果的な手法として採用されたものといえるでしょう。
湯川と石神――“捜査”側と“犯人”側に分かれて相まみえることになった旧友同士が繰り広げる頭脳戦は、スリリングでありながらも静かで切ないものさえ感じさせ、本書の大きな見どころの一つとなっています。その一方で、石神と靖子の共犯関係には微妙なかげりが生じ、それが石神による完全犯罪計画にも影響を与えていくという展開が巧妙で、物語からはまったく目が離せなくなっていきます。
やがて訪れるクライマックスで明かされるのは、シンプルにして斬新なトリック。原理としてはある程度近い前例もないではないのですが、細部に至るまで考え抜かれた計画にしっかり支えられているところがよくできていますし、何より物語の中で説得力をもって使われ、また同時に物語に大きな効果をもたらしているところが非常に秀逸です。しかしその反面、物語の根幹に関わる要素の一つが原因で、トリックの要となる部分がかなり早い段階で見えやすくなるという、ミステリとしては大きな弱点を抱えている(*2)のが難しいところ。加えて本書の場合、トリックが明かされることによるサプライズが物語終盤の人間ドラマにがっちりと組み込まれているため、早すぎるタイミングでトリックが露見してしまうことはやはり、看過できない瑕疵というべきではないでしょうか。
最後に待ち受ける結末の重さは確かに強く心に残るものではあるのですが、そこへ持っていこうと作者が狙いすぎて終盤の展開がいびつなものになっている感があるのも残念なところです。例えば、ヒロインである靖子の態度や言動には釈然としないものを覚えますし、探偵役が湯川であること(*3)――草薙刑事がセットになってくること――の弊害も見受けられるように思います。また、事件の限られた部分にのみ焦点が当てられ、そこから漏れた部分についてのフォローがなさすぎるのもいただけないところです。
前述のようによくできている部分はありますし、何だかんだいっても終盤近くまではすっかり引き込まれたのですが、読み終えてみるとあまり評価できない作品です。もちろん、好みの問題もあるかもしれませんが……。
*2: したがって、本書が(直木賞はともかく)本格ミステリ大賞を受賞するなどミステリとして高く評価されている点には、個人的には大いに疑問を禁じ得ません(もちろん、本書が本格ミステリでないと主張しているわけではありません。念のため)。
*3: 探偵役が“石神と同レベルの頭脳を持つ友人”であるという設定は非常に効果的ですが、それが“物理学者・湯川学”である必要性は感じられません。すでに“実績”のある湯川を向こうに回して渡り合うことで、石神の頭の良さに多少の説得力が付与されるということはあるかもしれませんが、それは作中の描写だけで十分ではないでしょうか。
2008.09.22読了 [東野圭吾]
沈黙のフライバイ
[紹介と感想]
ハードSF作家・野尻抱介の第一短編集。現在(*1)から近未来にかけての(ある程度)“現実的な宇宙開発”を、実状を踏まえて描き出した作品が大半となっています。いずれ劣らぬ傑作揃い(中では「片道切符」がやや落ちるでしょうか)ですが、個人的ベストは、「大風呂敷と蜘蛛の糸」。
- 「沈黙のフライバイ」
- 電波天文台がとらえた謎の有意信号。それは、探査機が自分の位置を知るための電波の灯台――恒星間測位システムの信号だった。発信源である赤色矮星から異星人の探査機が送り出され、地球に向かっているのだ。無数の、しかし一つ一つが極小の探査機は、地球人に対して沈黙を保ったまま太陽系に接近して……。
- 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の野田篤司氏による恒星探査構想「鮭の卵計画」(*2)にヒントを得たという、探査機に関する設定が非常に秀逸。また、探査機の“送り手”を異星人側とすることで、題名そのままの“沈黙のフライバイ”という異色のファーストコンタクトが描き出されているのも興味深いところです。そして、有志による同好会という小スケール(?)の発端から、(受け身とはいえ)壮大さを感じさせる結末へとつながっていく展開が何ともいえません。
- 「轍の先にあるもの」
- 小惑星エロスに着陸したNASAの探査機が送信してきた画像には、地表面に残された蛇行する轍のような跡が映っていた。画像の端で途切れたその“轍”の先にあるのは何なのか――その謎にすっかり取りつかれてしまったSF作家の“私”は、しかし、後に自分がエロスの表面に降り立つことになるとは夢にも思わなかった……。
- 実際に小惑星エロスに着陸した探査機が送信してきた画像(*3)をもとに、作者自身をモデルにしたと思しきSF作家を主役に据えて書かれたメタフィクショナルなSFです。軌道エレベーターの建設(*4)を足がかりにした宇宙開発など、技術的側面がしっかり描かれているのはもちろんのことですが、(擬似私小説であるせいか)作者にしてはいつになく人間ドラマに力が入っている感があり、恐ろしく前向きな結末はまさに圧巻です。
- 「片道切符」
- NASAによる有人火星飛行計画は、再三にわたりテロリストの妨害を受けて停滞し、緊迫する世界情勢からみて今回が最初で最後と目されていた。二組の夫婦が飛行士として着陸船に乗り込み、同時に打ち上げられる無人の帰還船とともに火星へ赴く――はずだった。だが、メインエンジンの始動準備中に帰還船が爆発し……。
- 同じく有人火星飛行計画を扱ったジェフリー・A・ランディス『火星縦断』でも描かれていた、火星までの旅程の長さとさらにそれ以上の準備期間――つまりは一生に一度のチャンスであることを考えると、飛行士の身の安全を考慮した中止命令を拒否し、題名通りの“片道切符”を選ぶというエゴイスティックな行為が何とも痛快なものに思えてきます。
- 「ゆりかごから墓場まで」
- タイでエビの養殖池を営んでいた男は、とある科学記事をヒントに携帯用の閉鎖生態系の開発を思い立つ。それから年月を経て完成した“C2Gスーツ”は、太陽電池を電源として、全身を覆った気密服の内部で人体からの排出物を完全にリサイクルできる、まさに携帯用の閉鎖生態系だった。この画期的な技術は、やがて……。
- 外部からの物質の補給なしで生きていくことができるという、魔法のようなテクノロジーを題材とした作品。作者の資質からしてそれが宇宙開発に適用されるのは明らかですが、その前に試作~普及段階あたりのエピソードが盛り込まれているのが珍しいところでしょうか。本題の宇宙開発がまた、“C2Gスーツ”頼みの凄まじく乱暴(ただし低コスト)なものになっているのが異色ですが、さらにそこから思わぬ方向へ転じるラストが見事です。
- 「大風呂敷と蜘蛛の糸」
- 高度40キロに浮かぶ成層圏プラットホーム。格安で借りた中古の軽量宇宙服に身を包み、地上から気球でここまで上ってきた大学生の榎木沙絵は、次に〈大風呂敷1号〉と名づけられた巨大なパラグライダー式の凧で、高度80キロの高み――宇宙まではあとわずか――を目指す。〈大風呂敷1号〉は予定通り高度を上げていくが……。
- 小型ロケットを使った弾道飛行実験のアイデアコンテストに投じた奇抜なアイデアが、
“できっこないですか?”
(215頁)の一言をきっかけに現実味を帯びていくあたりのテンポのいい展開、さらにはその裏に透けて見えるクールな情熱は、見ごたえがあります。しかし何といっても、宇宙服を着ただけで“大風呂敷”にぶら下がって“宇宙の玄関口”まで上っていくという奇想天外な情景が秀逸です。そして、さらに“そこから先”を予感させる結末の鮮やかなイメージが印象に残ります。
*2: 野田篤司氏のサイト内の「研究報告2 恒星間 鮭の卵計画」を参照。
*3: 本書59頁にも引用されているこの画像は、「NEAR image of the day for 2001 Feb 12 (F)」に掲載されています。
*4: 同じく軌道エレベーターを扱ったアーサー・C・クラーク『楽園の泉』に言及しつつ、
“みんなクラークに騙されていたのだと思う。”(71頁)と大胆なことが書かれているのが印象的です。
2008.09.24読了 [野尻抱介]
バベル消滅
[紹介]
新潟の離島にある小さな版画館で警備員として働く風見国彦は、毎日決まった時間に来館する中学生の少女・藤川志乃と少しずつ言葉を交わすようになっていく。志乃が閉館までじっと眺め続けているのは、『バベルの塔の崩壊』だった……。
島の中学校の教師である田村正義は、美術準備室で美術教師の伊庭が頭を割られて殺されているのを発見する。傍らのイーゼルには伊庭自身が描いた絵が立てかけられていたが、そのモチーフとなっていたのは“バベルの塔”だった……。
[感想]
鮎川哲也賞を受賞したデビュー作『殉教カテリナ車輪』に続く第二長編で、作中の美術教師が描いたという設定の、作者自身による絵画が巻頭に配されているのは前作と同様です。“バベルの塔”というキーワードで貫かれた物語には、後のいくつかの作品にも見受けられる要素がちりばめられ、デビュー作以上に作者の“原点”という印象を与えています。
島の小さな版画館を舞台とした「序章」では、コルネリス・アントニスゾーンの版画『バベルの塔の崩壊』を間に挟み、警備員・風見国彦と不思議系美少女・藤川志乃がかみ合わない会話を続け、読者としても“当惑”を余儀なくされます。続く「一章」では舞台が島の中学校へと移りますが、荒れた学校をはじめとする周囲の環境に苛立つ教師・田村正義の、少しずつ歪みを生じていく心理(*1)を克明に描いた物語は、こちらも読んでいて少々辛いものがあります。
殺された美術教師の死体を発見し、さらに続く事件でも第一発見者となった田村正義は、自身が推理小説マニアだということもあり、現場に見出した“バベルの塔”というミッシングリンクをきっかけに事件の真相を推理し始めますが、その推理を含めた内面描写が中心となった本書の前半は、かなり異様な雰囲気に満ちています。“探偵役”が頭の中で行う推理の試行錯誤が読者に披露されること自体が異色だと思いますが、その推理がともすれば“現実を推理小説に当てはめる”方向へ進んでいくことで、事件の様相が一層混沌としたものになっているところが何ともいえません。
それでも、「バベル陶酔――殺人犯人の告白」と題されたいわくありげな「間章」を挟み、本書の主役である風見国彦、藤川志乃、田村正義が版画館主催の陶芸教室という場で一堂に会する物語後半になると、ようやくオーソドックスなミステリらしい展開がみられます。少しずつ心を開いていく藤川志乃の姿にほっとさせられつつも、新たな事件の発生を示唆する田村正義の推理が物語に不吉な影を落とし、ついにはカタストロフともいうべき事件が起きるべくして起きることになります。
もともと“狂気”の方向に流れやすいミッシングリンク・テーマ(*2)だけに、解決で明らかにされる犯人の心理はなかなか強烈ですが、さらに強烈なのが「終章」で明らかになる『バベル消滅』という題名に込められた意味。このあたりになってくるともはや面白いといえるのかどうか微妙なところで、狙いすぎて外している感がないでもないのですが、少なくとも人を食った企みであることは間違いありません。そしてまた、フェアであるように気を配られた記述や、細かい手がかりの配置なども見逃せないところです。
個人的には、後の作品を先に読んで作者の“作風”が多少はわかっていたことで、作者の企みのある程度まで読めたのが残念でもあるのですが、逆にそれを受け入れる心の準備ができていたという風にも思えます。というわけで本書は、かなり好みの分かれそうな作品であり、比較的心の広い方にのみおすすめしておきます。
2008.10.02読了 [飛鳥部勝則]