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謎の館へようこそ 白/新本格30周年記念アンソロジー

2017年発表 講談社タイガ フC01(講談社)
「陽奇館(仮)の密室」 (東川篤哉)
 名探偵・四畳半一馬による密室トリックの“解決”は、掛け金にストッパーをかける部分こそ古典的ですが、氷などのようにストッパーが“消滅”して掛け金がかかるのではなく、外から扉を叩いて振動で掛け金を下ろす――その結果として、落ちて床に残ったストッパーの処理へとポイントがずらされているのが、まず面白いところです。実のところ、掛け金のストッパーを動物に食べさせるトリックにも前例があります*1が、そちらと違って施錠とストッパーの隠滅が二段階に分割されているのが効果的で、密室が破られた時点で外にいた氷室麗華の黒猫にも可能となっています*2

 一方、助手・間広大が思い至った建物を重機で持ち上げるトリックは、密室内の被害者を殺害する手段としての有名な前例はある*3ものの、この作品では“クルックル回転”(29頁)する掛け金を利用して施錠まで行っている――密室を構成する手段も兼ねているところがよく考えられています。しかも、トリックに不可欠な現場の構造を隠蔽しておきながら、〈陽奇館(仮)という館の名称によって“容器”かつ“仮設”であることを暗示してあるのがお見事です。

 ドタバタ劇を伴う密室トリックの実証はやはり面白いのですが、せっかく真相を見抜きながら、探偵と助手が犯人に殺害されてしまう結末はなかなかショッキング。そして、助手・間がリアルタイムで記録していくという物語の設定によって、その死を“最後の三文字(未満)”で確定させる演出が何とも印象的です。

「銀とクスノキ ~青髭館殺人事件~」 (一 肇)
 ある程度すれた読者であれば、楠乃季がかもし出す“信頼できない語り手”感を読み取ることはできるでしょうし、“七雲恋”の“不在”が学校で騒ぎになっている様子がない*4ことを考えても、“七雲殺し”が多重人格による〈被害者=犯人〉であることは予想できるのではないでしょうか。というわけで真相に驚きはありませんが、苦悩してきた楠が自力で真相に思い至ることが“救い”になる構成がよくできています。

 一方、〈青髭館〉での過去の人間消失についてはまず、“名探偵”罪善葦告が“七雲殺し”に触れることなく楠とともに〈青髭館〉で行動するための、一種の口実として機能しているのが見逃せないところです。そして、“青髭”こと今園愛国自身の変装による〈被害者=犯人〉という真相は、その原因となった“理想の友人を作る”という意図まで含めて“七雲殺し”の“変奏曲”といってもよく、それを知らされた楠は“自分だけではない”という安心感を得ることになったのではないかと思われます。

 さて、最後に楠は“自分の中に新たに作った友人に救われる”(139頁)と、すなわち罪善も自分の別人格だったと考えています。しかしそうだとすると、新本格初期の某作品(→(作家名)綾辻行人(ここまで)(作品名)『人形館の殺人』(ここまで))へのオマージュにしても“そのまま”にすぎるので、これは楠の解釈をそのまま受け取るのではなく、“信頼できない語り手”は最後まで信頼できない、と考えた方がいいのではないでしょうか。

 実際、〈青髭館〉で楠が罪善に気づいたきっかけが人が枝を踏む音(79頁)というのは、“非実在”にはかなりそぐわないように思われます。また、担任の粉村が説明した“学校で対応を協議した結果、みんなでなるべくおまえに合わせようということになった”(129頁)というのは、さすがに校内に限られた話でしょうから、罪善が楠木と会話するだけでなくパフェの注文までする喫茶店の場面(84頁~96頁)などは、周囲に不自然に思われることなく“一人芝居”でこなすのは無理でしょう。

 そう考えると、(一応は)実在するように見せかけていた“七雲”が非実在だと明かすことによって生じる“反転力”を利用して、実在する罪善までも非実在だと見せかける――そしてそれを“信頼できない語り手”による誤認*5で補強する、異色のトリックが仕掛けられた結末と考えていいように思います。

「文化会館の殺人 ――Dのディスパリシオン」 (古野まほろ)
 まず、御殿山絵未が学校で転落死したにもかかわらず文化会館の殺人と題されているのは、手記にも記されている*6ように文化会館の時点で“死んだに等しい状態”だったことを表しているのでしょうが、同時に、学校での転落死は殺人ではないことをも示唆していると解釈できます。したがって、絵未の転落死に関わった“「犯人」が誰なのか”とともに、その人物が“なぜ犯人ではないのか”――“犯人でないとされる根拠は何なのか”が、読者への謎として暗示されているといってもいいでしょう。そしてそれは、三人の手記を読んだ本多唯花と友崎警視の会話を通じて明示されることになります。

 しかして、三人の手記の記述から[遺書の問題]・[鍵の問題]・[楽器の片付けの問題]・[楽譜と譜面台の片付けの問題]が導き出され、ごくシンプルな消去法によって緑町椎菜が「犯人」だと判明します*7が、そこから先がこの作品の真骨頂。「犯人」を特定するこれら四つの条件のうち三つまでが、「犯人」自身が犯した〈決定的な矛盾〉――絵未の楽器・楽譜・譜面台を音楽準備室に片付けるという、犯人としては不合理な行動によって生じたことに着目し、手記での“自白”と結びつけることで椎菜の心理を解き明かして“殺人ではない”と結論づける推理は、臨床心理士ならではといったところでしょうか。

 さらに、実に14頁にもわたる椎菜の手記の中に、“エ”と“ミ”が存在しないことが明かされるのに驚かされます。名前ではなく一貫して“彼女”で通してあることで、“絵未の消失”には気づきやすいと思いますが、他の二人が“ミ”と書いている冒頭の一音を“D{デー}と表記している*8のは不自然ではありませんし、普段は“ミチコ”“テルミ”と呼んでいる二人を“五日市さん”“境南さん”*9としているのも文章表現としては普通。決定的なのは、(あえて書きますが)作者にしては“不細工な”組み合わせのデスクとイス(179頁)*10で、“机{つくと椅子”でもなく“デスクとチア”でもない*11ことに気づけば、“エ”が使えない(ひいては“ミ”も)“縛り”が浮かび上がってくることになります。

「噤ヶ森の硝子屋敷」 (青崎有吾)
 どうしても密室からの犯人の脱出が注目されるところ、現場への犯人の侵入の方が犯人特定の糸口となっているところがまず巧妙。そして、被害者・佐竹が四号室に入った後はドアからの出入りはなく、着替えの最中に窓から侵入するのは不可能で、佐竹が服を脱いだ後にクローゼットの扉が開かれたことを示す手がかり*12が残されていたことから、犯人が事前に現場に隠れていたこと、そして唯一それが可能だった秘書の重松が犯人だと明らかにされる推理もよくできています。

 密室トリックについては、カーテンのロジック――犯人が左右両側のカーテンを全開にしていたのは、発見者たちを窓に近づけたくなかったからだ、とする推理が秀逸。最初はカーテンが閉じていたこと、佐竹が着替えの際にカーテンを開くはずがないこと、さらに犯人が靴を持っていて片手がふさがっていたこと、といった補強材料も抜かりなく考えられています。そして、発見者たちが窓に近づくと露見してしまうトリック、すなわち窓ガラスがないという豪快な“抜け穴”は何とも大胆です。

 事件直後の放火で証拠隠滅を図ったのも巧妙ですし、天候や気温、そして“ほとんど風が吹かない”(214頁)という環境がうまく利用されている*13のも見逃せないところです。とはいえ、ガラスがないことにはさすがに気づくのではないかと思われる向きもあるかもしれませんが、もう一つ注目すべきは探偵・薄気味良悪のそれを隠すなら硝子屋敷”(259頁)という言葉。思うに、〈硝子屋敷〉本体でさんざんガラスを目にした直後――これはビデオの映像を見返す際も同じでしょう――では、現場の窓に当然はまっているはずのガラスにわざわざ注意を払うのは、かなり難しいのではないでしょうか*14

「煙突館の実験的殺人」 (周木 律)
 まずはやはり、舞台となっている〈煙突館〉が人工衛星だったという真相が強烈。四条が列挙している(318頁~319頁)ように手がかりはありますし、その中でも“煙突館の外に出サれ、これにより被験者は死亡シまス”(309頁)というHALの言葉、さらに田原殺しの全体的な状況*15などは、〈煙突館〉外部の環境をかなり露骨に示唆しているのですが、それらの手がかりではなく振り子の等時性(→「振り子 - Wikipedia」)に基づいて、他の解釈の余地なく解き明かされるのが面白いところです。

 ちなみに、熱川の“死体”が揺れる周期が“十二秒”(311頁)ならば、その位置での重力は“二十分の一G”(318頁)ではなく“三十六分の一G”*16で、煙突の高さが“ちょうど五十メートル”(275頁)ということですから、上端の金網から人工衛星の回転中心までは四十センチほどしかないことになります。そして、回転中心から廊下までの半径が五十メートルちょっとだとすると、各部屋から廊下へ上り下りするだけで体重が三、四キロ増減することになる*17ので、被験者たちに気づかれそうな気が……閑話休題。

 人工衛星が舞台となれば当然未来の話になるわけで、“五つの覇権国”(287頁)という記述には引っかかりを覚えました*18が、冒頭の'00/12/29(Wed)”(264頁)という日付の手がかり*19には完全にしてやられました。また、“四条和男{しじょう・かずお}”が“少し昔っぽいお名前”(265頁)というのも絶妙で、四条と美奈子を除く被験者たちの(下の)名前になぜか振り仮名がない(269頁~270頁)ところから、最後には――2100年には主流になっている可能性がある(という予測がSF的)――いわゆる“キラキラネーム”を伏せてあったという“小ネタ”が明かされるのが面白いところです。

 更科を実行犯とする“操り”がミスディレクションとなってはいるものの、〈煙突館〉の秘密がわかれば熱川の死んだふりも明らか。“彼の身に、何かが起こった――。”(279頁)という記述がややあざとく感じられます*20が、続く倍賞殺しの“シューッ”(284頁)が睡眠ガスのスプレーの音、次の田原殺しの“シューッ”(289頁)が部屋から空気の抜ける音、そして最後の筧殺しの“シュッ”(301頁)凶器を振るう音と、細かく使い分けられているのにニヤリとさせられます。

 結末は好みの分かれるところだと思いますが、無茶な秘密実験が行われるほど殺伐とした世界情勢が反映されていると考えれば、むしろ物語本篇に合致しているというべきではないでしょうか。

「わたしのミステリーパレス」 (澤村伊智)
 殿田の前に年老いた美紀が登場した時点で、デートの待ち合わせをしていた「一」カットバックなのは明らかですが、そのまま「三」以降の奇数章もカットバックだと思わされてしまうのが実に巧妙で、「七」の最後で美紀の前に“匡”が登場するにもかかわらず、「八」の最後では匡(と思しき人物)が死んだことがさらりと明かされるのが衝撃的です。

 もっとも、「八」の時点で美紀の説明によって、屋敷の敷地内に〈ミステリーパレス〉が建てられた理由が過去の“再現”であることは見当がつきますし、「十」では手がかり(376頁)という言葉も登場しているのですが、しかしそれが“真相”を見つけ出すためではなく、すべての可能性を網羅するために無数のシミュレーションを繰り返しているという、アンチミステリ的*21ともいえる真相が明かされるのが凄まじいところです。もちろん“結末”は確定している(398頁)わけですが、それだけに、そこに至る“過程”をすべて試そうとする美紀の執念には圧倒されます*22

 ところで、「一」から「三」以降の奇数章へと自然につながっているので目立ちませんが、“事故に遭ったと見せかけて美紀を驚かす”計画を立てていた匡が、よりによって計画実行当日に本当に事故に遭ったというのは、“真相”というにはとんでもない偶然にすぎる――“部屋にあった雑誌の記事”(397頁)という“手がかり”があったとしても――ので、今回演じられているシナリオの内容自体が、美紀が“真相”を求めてはいないことを示唆する手がかりといえるように思います。

*1: ……といいつつ、思い出せるのは(新本格ミステリよりは前ですが)だいぶ後の作品のみで、おそらく古典だと思われる初出の作品はわかりません。
 ちなみに、現実的に考えてみると、掛け金の周辺に脂の跡が歴然と残ってしまうのは避けられないでしょう。
*2: 助手の間広大が“うっかり躓いた”(36頁)ことが、現場に黒猫が侵入したことを示唆する(→“そいつは君の足許にまとわりついて、君を無様に転倒させたりもした。”(45頁))……はずが、助手でさえ容赦なく容疑者扱いされるギャグの一環に見せかけてあるのが巧妙です。
*3: 国内の長編(作家名)赤川次郎(ここまで)(作品名)『三毛猫ホームズの推理』(ここまで)と、短編((作家名)泡坂妻夫(ここまで)(作品名)「球形の楽園」(『亜愛一郎の逃亡』収録)(ここまで))。
*4: 担任の粉村が(“欠席”初日に)“何か知らないか?”(97頁)と楠に尋ねてはいますが、その後も連絡なしの欠席が続けば、その程度ではすまない大事になるはずでしょう。
*5: “別人格を別人格だと思っていない”(130頁)がそのまま“反転”してしまった、といってもいいかもしれません。
*6: 緑町椎菜の“文化会館の舞台袖で、彼女を殺してしまったんです。”(176頁)という記述など。
*7: 作中でも指摘されている(195頁~196頁)ように、三人の中で最も早く学校に戻った人物ですから、あからさまに疑わしい――となれば、「犯人」探しがこの作品の眼目でないことは明らかでしょう。
*8: 手記に振り仮名が振ってあるわけではないでしょうが、唯花の一人称による地の文でそうなっている(147頁~148頁ように、“D”は“デー”と読むのが普通ということでしょう(最後のところで唯花の言葉が“そのD{ミ}も”(207頁)という表記になっているのは、台詞としては“ミ”と発音されたものを、それが“D”の音を指していると読者に明示するためではないでしょうか)。
*9: “きょうなん”であって“さかい”ではないことに注意。
*10: “イス”を片仮名で表記してあるのは、“デスク”に合わせることで一見目立たなくさせる狙いでしょうが、丁寧に読めばその狙いにまで気づくことができるように書かれている……ようにも思われます。
*11: そもそも、高校の教室では“デスクとチェア”という表現は似つかわしくありませんが。
*12: 文章でもある程度は書かれていますが、壁に押し付けられたベストやパンツと畳まれたままのシャツの、クローゼットの扉との位置関係が、[四号室 現場図](230頁)で読み取れるように描かれているのが周到です。
*13: 唯一、現場の“電気が点いていた”(231頁)のが少々気になるところですが、現場の扉と窓の位置関係をみると、おそらく中央にあるはずの照明の反射(の有無)は、目に入らないようにも思われます。
*14: ついでにいえば、仮に〈硝子屋敷〉本体の方が現場だった場合はむしろ成立しない――比較対象となるガラスがいくらでもあるのでガラスの有無に気づきやすいと思われます。
*15: 四条は“バルブを開け閉めしただけで簡単に部屋を〇気圧にできる”(319頁)ことを挙げていますが、当然ながらその前段階としての“五号室が〇気圧になった”という田原の死因、さらにそれにつながる手がかり――油粘土で鼻と口をふさがれて窒息死した倍賞との違いや、筧が五号室のハッチを(一時的に)開けられなかったこと(291頁)なども、真空が利用しやすい環境であることを示唆しています。
*16: “T=2πルートg分のl”(311頁)から、“支点から重心までの長さがほぼ一メートルで同じ”(317頁)だとすれば、重力の平方根が周期に反比例するので、周期が六倍ならば重力は三十六分の一となります。
*17: “天井が低い小さな部屋”(264頁)とあるので天井の高さを三メートルと見積もると、(遠心力による)重力の差が六パーセントほどになるはずです。
*18: 現在の情勢で五つ挙げるとすれば、アメリカ、中国、EU、ロシア、日本(?)あたりになるかもしれませんが、“覇権国”といえそうなのはアメリカと中国くらいでしょうか。
*19: 2000年12月29日は水曜日ではなく金曜日(→「2000年カレンダー」)で、「月・日・曜日から年を割り出す 年サーチカレンダー」で調べてみると、“'00年”で12月29日が水曜日になる(最も現代に近い)年は、2100年となります。
*20: “熱川殺し”に関しては、“これは、殺人事件なのね(中略)だからこそ推理すべき犯人もいる”という田原の言葉に対して、HALが“ソのとおりでス”(いずれも282頁)と答えている箇所の方が気になります。田原が一旦言葉を切っているので、HALは後半のみに対して返答したということなのでしょうが……。
*21: 美紀が収集し続ける“手がかり”も可能性を限定する材料ではなく、むしろ可能性を広げるためのものである――というあたりもアンチミステリ的です。
*22: しかし、(当然ながら)“種明かし”の後に殿田が協力する流れになっていることもあって、最後の一行が“ボタンには「2F ネズミ」と書かれていた。”(398頁)で終わっているところが、何ともいえない奇妙な味わいとなっています。

2017.10.27読了