幽女の如き怨むもの/三津田信三
何を解決の足がかりにしていいのかわからない、何ともとらえどころのない謎に対して、刀城言耶による“解釈”はまず半藤優子が遭遇した“偽の幽女”から始まります。特に「第一部」と「第二部」で、遊郭が一種のクローズドサークルのような印象を与えていることもあって、脱走兵という解釈は盲点でしたが、若い兵士に対する遊女たちの同情的な心情には作中でも言及されていますし、浮牡丹と紅千鳥が共謀して嘘をつく――“消失”の合理的な説明としてはそれしかない――理由としても納得できるところです。
続いて示される、三代の“緋桜”が同一人物だったという“たった一つの事実”
(523頁)は、本書における最大の衝撃といっていいでしょう。さすがに少々無理があるようにも思われますが、戦中・戦後のどさくさに紛れて別人の戸籍まで用意されているところは周到ですし、あえて二代目“緋桜”を名乗ることで“二代目だから似ていても問題はない、むしろ好都合である”
(535頁)との思い込みが生じる(*1)あたりもよくできています。さらに、初代“緋桜”が太ももに入れられた“吉”の字の刺青を、“周作”に変えるトリック(*2)も――半藤周作の意味ありげな態度も相まって――効果的なものになっています。
実際のところ、刀城言耶が着目した二代目“緋桜”の言動――渡り廊下に入ろうとして止められ、狼狽を見せたこと(281頁~282頁)――は、典型的な“知るはずのない事実”を示唆するあからさまな手がかりとなっており、私自身もここで二人の“緋桜”が同一人物であることを一度は疑ったのですが……「第一部」でハッピーエンドを迎えた初代“緋桜”こと小畠桜子が、再び苦界に身を沈める憂き目に遭ったとは考えたくないという心情的な理由もさることながら、それが少なくともこの段階ではメインであるはずの連続身投げ事件とまったく結びつかないために、そこで疑念を捨て去ってしまったというのが正直なところです。つまり、(作者の意図がどうであったかはさておき)連続身投げ事件が“緋桜”の正体を隠蔽する巨大なレッドへリングとして機能している、といえるのではないでしょうか。
また、連続身投げ事件そのものも、大半が発作的な自殺(未遂)か事故死というのはややすっきりしないところもありますが、二件の殺人(雛雲と漆田大吉)と一件の狂言自殺(“二代目”緋桜)をそこに紛れ込ませて“一連の事件”と見せかける仕掛けが大きな効果を上げているのは確かでしょう。これ自体は某海外ミステリ(*3)の仕掛け――殺人でないものを取り込んで連続殺人事件と見せかける――に通じるところがありますが、本書では“幽女”という怪異の助けを借りていわば逆方向へ持っていってあるのが秀逸です。
“本当の初代緋桜”の存在がほのめかされている「追記」(*4)を待たずとも、発作的な自殺(未遂)の不気味な連続や、日記に綴られている初代“緋桜”が身投げを図った際の様子、さらには佐古荘介の“都合のいい”事故死(*5)など、随所に“幽女”の気配が色濃く残っているのが目を引きます。しかし、最も強く印象に残るのはやはり“緋桜”=桜子の人生で、運命に翻弄されて苦労を重ねた末にようやく穏やかな暮らしを手に入れた(であろう)ことを考えると、胸を打たれずにはいられません。
*2: これも、上と同じ作家の短編((作家名)泡坂妻夫(ここまで)の(作品名)「鬼女の鱗」(『鬼女の鱗』収録)(ここまで))を思い起こさせるものですが、(“吉”の字が)
“ちょっと小さかったかもしれんが”(247頁)というのが周到です。
*3: 複数の例がありますが、有名なのは(作家名)ウィリアム・L・デアンドリア(ここまで)の(作品名)『ホッグ連続殺人』(ここまで)。
*4:
“僕が「ヒサクラ」と言わずに「ヒザクラ」と尋ねたため、誰もが首を振ったのだろうか。”(561頁)という解釈は、発音が似すぎていて無理があるように思われますが……。
*5: 夫の死を受けて自殺を図った“三代目”緋桜がそれ以上の偽装を行うとは考えにくい一方で、“三人目”の身投げが起きなければ帳尻が合わなかったわけで、事故死だと結論づける刀城言耶の
“口調には、何処か自信のなさがあった。”(556頁)のもうなずけるところです。
2012.04.22読了