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皇帝のかぎ煙草入れ/J.D.カー

The Emperor's Snuff-Box/J.D.Carr

1942年発表 駒月雅子訳 創元推理文庫118-32(東京創元社)/(井上一夫訳 創元推理文庫118-11(東京創元社)/斎藤数衛訳 ハヤカワ文庫HM5-13(早川書房)/守屋陽一訳 角川文庫 赤574-1(角川書店))

 以下、本文からの引用箇所については、特に表記のない限り、現在最も入手しやすいと思われる創元推理文庫【新訳版】(駒月雅子訳)を引用元としています。

* * *

 本書の中心となっているのは、“あなたほど暗示にかかりやすい人も珍しい”(12頁)と評されるイヴの性質を利用したトリックです。イヴが実際に目撃したのはサー・モーリスが死んだ後、“そのドアを、誰かがそっと閉めようとするところ”(50頁)程度であるにもかかわらず、ネッドの暗示にかかってサー・モーリスが生きている姿を目撃したと思い込んでしまい、結果としてネッドのアリバイを保証することになっているのです。

「サー・モーリスはまだ起きてる? ねえ、どうなの?」
「起きてるよ。だがこっちのことにはさらさら興味がないらしい。拡大鏡を手に、かぎ煙草入れみたいなものを熱心にご鑑賞中だからね。おやっ!」
「どうしたの?」
「ほかにもう一人いるぞ。誰だかちょっとわからないが」
  (33頁~34頁)

 ここでネッドは、サー・モーリスがまだ生きているとイヴに印象づけています。また、“ほかにもう一人いる”というのもネッドの嘘なのですが、後に書斎に入ったトビイがそこから出て行く姿をイヴ自身も目撃することで、結果的にその言葉も事実であったかのように思えてしまうところがよくできています。

 だがトビイはごくりとなにか飲みこんでから、話を続けた。「(中略)そうそう、ところでね、父が今夜また骨董品を手に入れたんだ。おかげでものすごく上機嫌だよ」
(「見たよ、ぼくたち。ついさっき、お宅の欲張りじいさんがそのお宝をとくとご覧になってる姿をね」ネッドがせせら笑う。)
「見たわ、わたしたち……」イヴはうっかりつられた。口が滑っただけのどうということのない言いまちがいだったが、(後略)
  (42頁)

 そして、駄目押しとなるこの部分が非常に巧妙です*1。トビイとの電話の最中に横からネッドが“見たよ、ぼくたち。”と口を挟むことで、イヴもつられて“見たわ、わたしたち……”という言葉を口にしています。その後、イヴとしては必要に迫られて“嘘”をついているわけですが、その一つの“嘘”によって逆に、何とかごまかした“見たわ、わたしたち……”という言葉が事実だった、という思い込みが強まってしまったということでしょう。

*

 ネッドの計画は、作中で自身が言及している“ウィリアムなんとか卿”(63頁)の事件*2を下敷きにしたアリバイ工作――容疑がかかっても、イヴがアリバイを証言してくれる――だったわけですが、その思惑とは正反対にイヴの方が容疑者となり、スキャンダルと殺人罪の板挟みに追い込まれることで、物語がより面白いものになっているのは間違いありません。

 読者の視点ではイヴの無実は明らかなのですが、そこから絶体絶命の窮地へと追い込むために作者が用意した、やや強引ながらも周到な状況証拠がお見事。イヴの部屋着に血痕を残したネッドの鼻血――しかもイヴのアリバイを証言するはずのネッドが意識不明となる――もさることながら、ネッドから取り返した玄関の鍵が容疑を強めている*3ところもよくできています。そして、砕けたかぎ煙草入れの破片がイヴの部屋着に付着する経緯が秀逸。さらには、妹のためにイヴとトビイの仲を裂きたいメイドのイヴェットの悪意が大いに効果的です。

 追い詰められたイヴにとって、唯一、そして最も頼りになるのはネッドが保証してくれるアリバイであるわけで、そのイヴの視点に引きずられる読者としても、イヴが無実であることを“知っている”がゆえに、そのアリバイを介してネッドを容疑から外してしまうことになるのではないでしょうか*4

*

 本書のものすごいところは、終盤まで犯人を強固に守ってきたアリバイが、かぎ煙草入れみたいなもの”というただ一言によって瓦解してしまう点で、これ以上ないほど鮮やかな解決といえます。お分かりのように、この手がかりは終盤、イヴが逮捕される決め手にもなっており、それが“例のナポレオン皇帝のかぎ煙草入れのこと”(228頁)というところまでは解決よりも前に明かされています。

 それどころか、その決定的な手がかりである“皇帝のかぎ煙草入れ”が、本書の題名にまで採用されているのが、実に大胆不敵。本来であれば、重要な手がかりを目立たせてしまうというのは致命的なはずなのですが、あえて“皇帝のかぎ煙草入れ”という言葉を読者の頭に強く刷り込んでおくことで、読者はネッドの“かぎ煙草入れみたいなもの”という言葉をすんなりと受け入れることになっているのです。

 実際のところ、それが時計型(155頁)であることが作中で明示されるのは物語半ばで、それまでは“ちょっと珍しい形をしている”(85頁)と言及されてはいるものの、具体的な形はしっかりと伏せてあります。そして、『皇帝のかぎ煙草入れ』という題名を通じて(“時計の形”という属性を切り離された)“かぎ煙草入れ”という言葉だけが一人歩きし続けることで、それが手がかりの意味を最後まで隠蔽する“呪文”として作用している、といえるのではないでしょうか。

 しかしながら、そのように考えてみると、“時計型のかぎ煙草入れ”をはっきり描いてしまっているカバーのイラスト――新訳版(磯良一氏のイラスト)のみならず、創元推理文庫旧訳版(40版*5)(→こちら)とハヤカワ文庫版(→こちら)(いずれも山田維史氏のイラスト;「山田維史の遊卵画廊」より)も――は、少々いただけません*6。それがはっきり“かぎ煙草入れ”だとわかるのはだいぶ後になってからだとしても、読者が「なぜカバーには(かぎ煙草入れではなく)“時計”が描かれているのか」と疑問を抱けば“時計”が強く印象づけられてしまうのですから、仕掛けの効果を減じることになる恐れがあるように思います。

*

 なお、戸川安宣氏の解説で言及されている、“巻末でゴロンがつぶやく一言――'zizi-pompom'をどう訳すか”(317頁)について、新訳版では目もあやな大輪の花(308頁)とされていますが、イヴが美しく華やかな女性であることがわかりやすく表現されてはいるものの、好みとしては旧訳版(井上一夫訳)の打ち上げ花火みたいな女”(同書290頁)に軍配を上げたいところです。

 角川文庫版(守屋陽一訳)でも“打ち上げ花火”(同書296頁)と訳されているこの“zizi-pompom”という言葉、ハヤカワ文庫版(斎藤数衛訳)の魔性の女{ジジポンポン}(同書291頁;{ジジポンポン}はルビ)ではいささか直接的にすぎる感はありますが、“美しいけれども近寄ると危険な女”というニュアンスが込められていると考えられます。というのも、(原書を読んではいないので確実ではありませんが)この“zizi-pompom”という言葉はそれ以前の箇所にも登場している節があるからです。

(前略)あの女は札つきの危険人物だぜ」
「私がいいたいのは――」
 博士(注:これはおそらく誤訳)はあわれむように相手を見た。
「おいおい博士、私は名探偵ではないよ。とんでもない! しかし、打ち上げ花火なら話は別だ。打ち上げ花火みたいなあぶない女がいることは、三キロも離れたところから、やみ夜にでも私は勘でわかるんだ」
  (井上一夫訳 創元推理文庫旧訳版139頁)

 これは第10章、イヴを無罪だと断じたキンロス博士に対するゴロン署長の台詞――というよりも忠告で、ハヤカワ文庫版でも角川文庫版でも同じ箇所が同じように、すなわち最後のつぶやきと同じ語句を使って訳されている*7ことから、原文でもここで“zizi-pompom”という言葉が出てきているのは間違いないと思われます。つまり、ここでのやり取りが最後のつぶやきにつながる伏線となっているのです。

 それに対して新訳版では、同じ箇所が以下のように訳されています。

(前略)あれは札付きの性悪女だぞ」
「いや、私は――」
 ゴロンは哀れみの目で友人を見た。
「なあ、博士、私は名探偵ではないよ。ああ、ちがうとも! しかしな、危険に関してはこう見えても詳しいんだ。どんな種類の危険であれ、三キロ離れた暗闇からでも嗅ぎ分けられる」
  (駒月雅子訳 創元推理文庫新訳版147頁)

 つまるところ新訳版では、“zizi-pompom”という言葉の意味合いを“美しい”と“危険”の二つに分けて、それぞれストレートに伝わりやすく訳してあると考えられます。その反面、いずれの箇所でも“残り半分”のニュアンスが抜け落ちていることになりますし、最後のつぶやきがやや唐突なものになっているのは否めません。ということで、全体的に読みやすくなっている新訳版ですが、この“zizi-pompom”の訳については個人的に残念。

* * *

*1: ちなみに、手持ちの他の訳では以下のようになっています。
 しかし、トビイはまたごくんと何かを飲みこむと、話をつづけた。「(中略)それはそうと、父は今夜また新しい骨董品を手に入れてね。すっかり悦にいってた」
「そうだ。じいさんがそいつをながめてるのをぼくたちもつい今しがた見たよ」ネッドがせせら笑った。
「ええ、トビイ。私たちも見……」イヴも相づちを打ってしまった。
 軽く口をすべらしてしまっただけだし、大したことはないほんの間違いだった。(後略)
  (井上一夫訳 創元推理文庫旧訳版38頁~39頁)
 井上一夫による創元推理文庫旧訳版では、他の訳と違ってネッドに関する部分が()で括られていませんが、イヴとトビイの会話は電話によるものなので、さほどまぎらわしくなることはないでしょう。
 だが、トビーはつばをのみこむようにして別の話をもちだした。「(中略)ああ、そうだ。父がまた新しい骨董品を手に入れてね。ごきげんなんだ」
「そのとおり」とネッドはせせら笑った。「いましがた、じいさんが悦にいってるところを見たばかりさ」
「ええ、トビー、わたしたちも見てよ――」と、イヴは相づちをうった。
 うかつにも口をすべらしてしまった。だが、それだけのことで、べつにどうということもなかったのだが(後略)
  (斎藤数衛訳 ハヤカワ文庫版37頁~38頁)
 斎藤数衛訳のハヤカワ文庫版では、創元推理文庫新訳版と同じくネッドに関する部分が()で括られることで、イヴとトビイの会話に対する横からの口出しであることが表されています。
 トビーはつばをごくりとのみこむと、話題を変えた。「(中略)ところで、話はちがうけど、うちのおやじは、今夜新しい骨董を手に入れて、たいへんなご機嫌なんです」
たしかに、その通りだ――ネッドは心の中で、あざ笑うようにいった。――あのじいさんが、うれしそうに見ているのを、たった今見たばかりだ
「ええ、トビー、私たちも見たわ――」
 イヴはうっかり口をすべらせ、もう少しで相手にさとられるところだった。(後略)
  (守屋陽一訳 角川文庫版38頁)
 対して守屋陽一訳の角川文庫版では、同じく該当箇所が()で括られているのはいいとしても、さらに“心の中で”という語句が加わっているのが問題です。ネッドが口に出さなければ、イヴの“私たちも”という台詞がやや唐突に感じられますし、何よりモーリス卿がすでに死んでいることを知っているネッドが内心で嘘をついていることになるので、アンフェア気味になってしまいます。

*2: 後に、“一八四〇年にロンドンで起きたウィリアム・ラッセル卿の事件”(280頁)と説明されています。
*3: とはいえ、二つの家で鍵が共通だというのは、さすがに無理があるようにも思われます。
*4: もちろん、(見かけ上)ネッドに動機が見当たらないということもあるでしょう。
*5: 創元推理文庫旧訳版のカバーにはいくつかのバージョンがあり、21版の松田正久氏による抽象的なカバーイラストには“時計型のかぎ煙草入れ”は描かれていません。
*6: 創元推理文庫新訳版の解説(314頁)をみると、海外ではもっと露骨なイラストもあるようですが……。
*7: せっかくなので、ハヤカワ文庫版と角川文庫版も引用しておきます。
(前略)あの手の女は、社会にとっての脅威だよ!」
「いいかね、わたしは――」
 署長はあわれむように博士を見た。
「ねえきみ、わしは探偵じゃない。ぜったいにそうじゃない! しかし、“魔性の女{ジジポンポン}”となれば話は別だ。三キロはなれていようが、闇夜だろうが、わしにはかぎつける自信がある」
  (斎藤数衛訳 ハヤカワ文庫版138頁)
(前略)あれはね、全く危険な女なんだ!」
「ぼくのいってるのはね――」
 署長はあわれむような眼で博士を見た。
「博士、ぼくはね、探偵なんてものじゃない。とてもそんな柄じゃない。だが、打ち上げ花火となると、また別問題だ。打ち上げ花火ならどんなやつでも、三キロはなれたところから、暗闇の中でさぐり出すことができる」
  (守屋陽一訳 角川文庫版142頁)

2008.03.18再読了 (2008.03.30改稿)
2013.02.15【新訳版】読了 (2013.02.21改稿)