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死者のノック/J.D.カー

The Dead Man's Knock/J.D.Carr

1958年発表 高橋 豊訳 ハヤカワ文庫HM5-11(早川書房)/(村崎敏郎訳 ハヤカワ・ミステリ463(早川書房))

・密室トリックについて

 まず、トリックの第一段階である鍵の加工に関しては、ハヤカワ文庫版とハヤカワ・ミステリ版ではそれぞれ以下のようになっています。

つまり、フランジの根元を切ればいいのだ。そしてフランジを切り落とし、残るのは鍵の柄とそのの部分だけになる。
(ハヤカワ文庫302頁)

「きみのすることは鍵軸を先端のすぐそばで切り落とすことだけだ。先端が取れて落ちる。あとに残つたのは軸についているだ。
(ハヤカワ・ミステリ234頁)

 ハヤカワ文庫版では、“フランジ”というなじみの薄い語句がそのまま使われているため、鍵の“頭”と“フランジ”がそれぞれどの部分を指しているのかよくわからなくなっているのが大きな難点。これに対してハヤカワ・ミステリ版では、“フランジ”が“先端”と訳されることでだいぶわかりやすくなっているように思います。

 ちなみに、二階堂黎人『名探偵の肖像』に収録された随筆「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」では、次のようによりはっきりと説明されています。

まず、鍵の軸を stem という。先端の鍵違いの部分を flange という。指でつまんで鍵を回す部分を head という。
(二階堂黎人『名探偵の肖像』講談社ノベルス296頁)
*

 次に、ドアを外側から施錠した後、加工した鍵を鍵穴に差し込む第二段階については、前述の二階堂黎人「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」では次のように説明されています。

 flange を stem の途中で切り落とした場合、ドアの鍵穴を通して、鍵を反対方向( head の方)から差し入れることが可能になるのである。
(二階堂黎人『名探偵の肖像』講談社ノベルス296頁)

 ところが、この“ドアの鍵穴を通して、鍵を反対方向( head の方)から差し入れる”点に関して、本書の記述はやや説明不足であるように思われます。

 それからの仕事はもっと簡単だ。寝室を出て、ドアをしめ、ほんものの鍵で外側から錠をかける。つぎに、にせものの鍵を鍵穴の中へ押しこんでおく。そうしておけば、外側から鍵穴をのぞいても、フランジがないことはわからないのだ。鍵の頭でほかの部分が隠れてしまうからね。
(ハヤカワ文庫302頁)

「それからはなおさら簡単だ。きみは部屋の外に出る……ドアを閉める。外から本物の鍵で錠をおろす。外から鍵穴を通して替玉の鍵を錠前に押しこんで、そのままにしておく。もし誰かが外から鍵穴をのぞけば、先端がなくなつているのは見えない……鍵の頭で向側が暗くなるからだ。
(ハヤカワ・ミステリ234頁)

 ハヤカワ文庫版、ハヤカワ・ミステリ版ともに該当箇所では、加工した鍵をどちら向きに差し込むかは明示されていません。もちろん、““外側から見ても、窓ごしに内側から見ても、見破られない”――もちろんそうだ。どっちから見てもほんものの鍵のように見える。”(ハヤカワ文庫302頁~303頁)ためには、鍵の“頭”が部屋の内側に出ていなければならないわけですが、鍵を反対向きに差し込むという肝心の部分が説明されていないのは少々不親切に感じられます。

 特にハヤカワ文庫版では、外側から鍵穴をのぞいても(中略)鍵の頭でほかの部分が隠れてしまうと、鍵の“頭”の方が外側に位置するかのように訳されており、読者を“ミスリード”するのに一役買っています。この部分、ハヤカワ・ミステリ版の“鍵の頭で向側(注:部屋の内側)が暗くなる”というのがおそらく原文に近いのでしょうが、やや意味のわかりにくい文章なのは確かで、高橋豊氏がトリックを十分に把握しないまま“わかりやすく”誤訳してしまったのではないでしょうか。

*

 ところで、“一九二〇年ごろの鍵はたいがいこんなふうにまっすぐな柄がついていて、こぶや出っぱりがない。頭はフランジとちょうど同じ大きさになっている。”(ハヤカワ文庫301頁)ということであれば、“頭”も“フランジ”も同様に鍵穴を通過できるわけですから、“フランジ”を切り落とすことなく鍵を逆向きに(頭から)鍵穴に差し込むことができるはずです。

 というわけで、“フランジ”を切り落とす必要性が今ひとつよくわからなかったのですが……恥ずかしながら、今回の再読でようやく疑問が解消しました。

彼はとっ手をねじってみてから、ひざまずいて鍵穴をのぞいた。内側から錠にさしこんで回してある鍵が見えた。
(ハヤカワ文庫71頁)

マークはノブをねじりまわしてから鍵穴にひざまずいた。錠前に中からまわした鍵がはいつているのが見えた。
(ハヤカワ・ミステリ57頁)

 鍵穴に差し込んだ鍵を回すことでドアは施錠されますが、鍵を鍵穴から抜かない場合にはわざわざ戻さない――回したままにしておく――のが自然でしょう。そして鍵が回されていれば、ドアの中に入り込んだ“フランジ”は鍵穴から見えない――軸のみが見える状態となるはずですから、上に引用したようにマークに誤認させるためには鍵をただ差し込むだけでは不十分で、偽の鍵の“フランジ”を切り落としておく必要があることになります。

 言い訳めいてしまいますが、当然といえば当然のこの理屈に思い至らなかったのは、ハヤカワ文庫版の以下の文章にも原因があります。

マークはうなずいて腰をかがめた。そして鉛筆の消しゴムのついた方の端を鍵穴にさしこみ、鍵の突端をさぐってそれを向う側へ押した。
(ハヤカワ文庫73頁)

 この部分は実際には、鍵の“突端”*1に消しゴムを押しつけ、その摩擦を利用して鍵を(鍵穴から抜ける状態まで)回し、それから鍵を向こう側へ押し出すという手順になるはずですが、上のような文章では簡単に鍵を押し出したように読めるので、単純に鍵が差し込んであるだけのようにも思えてしまいます。その点、ハヤカワ・ミステリ版の以下の文章では、多少はそのあたりのニュアンスが出ています。

マークはうなずいて、腰をかがめた。鉛筆の消しゴムのついた先端を使つて、それを鍵に押しこむと、鍵の先端の突起を小突いたりさぐつたりした。それから鉛筆をスッと押しこんだ。
(ハヤカワ・ミステリ59頁)

 ただし本書では、密室トリックを仕掛けたトビーではなくマークがこの作業を行ったことになっているのが大きな問題です。というのは、鍵がうまく回ったかどうか、鉛筆を回したり押したりの手応えで判断しながらの作業になるはずのところ、“フランジ”を切り落とされた偽の鍵は回すまでもなく押し出すことができるからで、鍵が回されていないことをマークに気づかれてしまう――トビー自身が作業(の演技)をしなければトリックが成立しないおそれが多分にあります。この点は、カー自身のミスというべきでしょう。

 なお、ウィルキー・コリンズの覚え書きに“それは外側から、あるいは内側から窓ごしに見られても、見破られない。”(ハヤカワ文庫266頁)とあるにもかかわらず、本書では“窓をあけることもできず、カーテンにさえぎられて中のものは何も見えなかった。”(ハヤカワ文庫70頁)と、室内側からの“あらため”が行われていないのは、鍵の“頭”が回されていないことでトリックが露見してしまうからだと考えられます。

*

 さて、トリックの最終段階は鍵の回収とすり替えになりますが、ハヤカワ文庫版ではここにも問題があります。

それからきみは、こんなふうに、右手のこぶしを左手の手のひらの中へたたきつけた
(ハヤカワ文庫301頁)

 解決場面では、鍵のすり替えの機会について上のように説明されていますが、トビーが鍵を回収した場面の描写は次のようになっており、説明と矛盾しています。

トビーは立ちあがり、深く一呼吸してから、マークの手のひらにこぶしを軽くたたきつけた。
(ハヤカワ文庫73頁)

 この部分、直訳調で知られる村崎敏郎氏が“トビイはシャンと立ち上がつた。深い息を吸い込んで、拳骨を手のひらに叩きつけた。”(ハヤカワ・ミステリ59頁)と訳しているところをみると、原文に“マークの”と書かれていたわけではなく、高橋豊氏による誤訳と考えて間違いないのではないでしょうか。

* * *

・事件全体について

 事件の中で重要な要素となっているローズの正体については、“多情な女”から“無情な女”への反転は面白いと思えるものの、トラブルメーカーであることには変わりがないわけで、さほど鮮やかに感じられないのが残念*2。加えて、痴情のもつれから脅迫に対する口封じへと動機が変わっても、想定される容疑者があまり変わらない――事件の構図も大きく変わるものではないように感じられます。

 一方、密室トリックを弄して犯人をかばったトビーについては、友人の妻(ブレンダ)ではなく自身の婚約者が犯人だったということで、これ以上ないほど皮肉な立場に追い込まれているのが何ともいえません。しかし、カーの考える“正義”――騎士道精神――によって、(現実離れしているとはいえ)救いのある結末*3となっているのは心情的には納得できるものです。

*1: “フランジ”ではなく切断された“軸”の先端部分。
*2: ディクスン名義の某作品のような反転であればまた話は違いますが……。
*3: 解決場面に犯人が(自殺したわけでもないのに)登場しないという、ミステリではあまり例を見ない展開も、このような決着であれば妥当なものだといえます。

2000.01.24再読了
2009.08.21再読了 (2009.09.05改稿)