眠れるスフィンクス/J.D.カー
The Sleeping Sphinx/J.D.Carr
封印された納骨所の中の棺が動かされた謎は、犯人が仕掛けたトリックでないどころか、“豆知識”めいた自然現象にすぎなかったわけですが、その真相を示唆する錠と蝶番の音という伏線(*1)が秀逸。しかもそれが、後にフェル博士からのヒントとしてわざわざ強調した形で示されている(240頁)のが心憎いところです。
この納骨所の謎は、物語の本筋であるマーゴットの死とは直接の関係がなく、やや強引に組み込まれた印象も拭えないところではありますが、シーリアが自身の主張――マーゴットの死の事件性を補強するためにトリックを仕掛けたというのは面白いと思いますし、毒薬の瓶が“瓢箪から駒”となってシーリアにマーゴット殺しの容疑がかかってしまう展開がよくできています。
本書でカーが仕掛けた重要なトリックの一つが、事件の大きな原因の一つであるマーゴットのヒステリーを隠蔽するための、“孫娘の一人はだいじょうぶだけど、もう一人が子供の頃から心配なんですよ。”
(26頁)というマミー・トゥーの言葉が指している人物の取り違えで、事件などについての証言の“怪しさ”によってシーリアが正気を疑われることで、トリックがより補強されているのが見事です。
もっとも、読者にとってはシーリアが正気であることは見え見えですし、そうだとすればマミー・トゥーが“心配”
していたのは当然マーゴットということになるわけですが、本書では事件当時のマーゴットの様子が関係者の語りの中でしか描かれないこともあって、その人物像がやや見えにくくなっている感があります。そして、占い師“マダム・バーニャ”の部屋にあった飾り額の、“これは眠れるスフィンクスである。(中略)彼女はまた二つの自己――全世界が見ることができる外側の自己と、ごく少数の者にしかわからない内側の自己を象徴している。”
(278頁)という暗示的な文章が、実にしゃれています。
マーゴットのヒステリーという事実が示されることで、ソーリイによる“虐待”が鮮やかに反転するところも見逃せませんし、ソーリイが隠された事実を語ろうとしない心理にも十分に説得力が感じられます。ただ、“若い愛人”に対してはマーゴットの態度ががらりと変わってしまったというのは、少々ご都合主義といわざるを得ないところがあるように思います。
その“若い愛人”については、当の本人――ロニーの“りっぱな中年男か?”
(209頁)というさりげない言葉が、巧みなミスディレクションとなっています。一方で、真相を示唆する伏線の一つ――“姉は一月には三十六になるはずでしたけれど、若い人たちが大好きでした。”
(88頁)というシーリアの言葉は、前後の文脈を考えると不自然きわまりないものですが、少なくともこの時点では何のことやらわからないのは確かで、ダグラス・G・グリーンによる評伝『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』で紹介されているカーの考え方(*2)にも一理あるといえるかもしれません。
いずれにしても、作中で描かれている“現在”においては、ロニーがドリスに惚れ込んでいることがしっかりと描かれており、それもまた真相を隠蔽するミスディレクションとして機能しているといえます(*3)。つまりマーゴットの場合と同様に、事件と“現在”との間にタイムラグがあること――“スリーピング・マーダー”であること自体が仕掛けの一部になっているといえるのではないでしょうか。
それにしても、フェル博士の巨体で尾行や盗み聞きというのは、いくら何でも無理があるかと……(苦笑)。
“新しい錠のカチリという、はっきりした音が聞こえた。”及び
“ドアがギーと音をたてた。”(191頁)。作られたばかりの新しい納骨所だというのも、見逃せないポイントでしょう。
*2:
“読者には、それが記憶に残るように、ここでつまずいてほしい。(中略)この「若い人たち」の件では、重要な手がかりではあるものの、ここでこう言ってもちっともぶっそうじゃない。それで、大声でこのせりふを打ち出したわけだ。”(ダグラス・G・グリーン『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』356頁)。
*3: 恋敵であるソーリイの前に敗北寸前という状況により、ミスディレクションがさらに補強されている感もあります。
2010.05.19再読了 (2010.08.24改稿)