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囁く影/J.D.カー

He Who Whispers/J.D.Carr

1946年発表 斎藤数衛訳 ハヤカワ文庫HM5-8(早川書房)

 まず過去の事件の密室トリックは、いわゆる“密室講義”の中の“殺人犯が部屋の中にいなかった場合”のうち、“五、(中略)被害者は、まだ生存していると思われるが、だれかがそのドアを見張っている部屋の中で、すでに殺害され倒れている。”『三つの棺』ハヤカワ文庫版279頁)に近いものだといえます。要するに、犯行時刻を実際より後に見せかけることで、犯行時には誰も被害者に近づくことができなかったという錯誤を生じるトリックです。

 この事件の場合、犯行時刻を実際より後に偽装しているのは犯人ではなく被害者自身であり、その意味ではいわゆる“内出血密室”に通じるところがありますが、本書の被害者ハワード・ブルックは犯人をかばうために積極的に偽装を行っているところがポイントで、現場の密室状況により不可能犯罪となってしまったのは本意ではなかったかもしれませんが、結果的にはハリーをかばうという目論見は成功しています。

 また、通常の密室とは違って現場から外部への“脱出”が不可能ではないために、決定的な証拠となるレインコート(を入れたブリーフケース)を容易に現場の外へ投棄することができたわけで、塔の頂上という一風変わった密室の構造が、非常にうまく生かされたトリックだといえるでしょう*1。そのブリーフケースを拾ったのがよりによってフェイだったために、またしても犯人がかばわれることになっているのが何ともいえません。

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 現在の事件では、地味ながら巧妙な犯行手段にも注目すべきところですが、それ以上に、標的の取り違えというアクシデントを盛り込んだプロットが秀逸です。寝室の場所・香水・暗闇といった条件の設定により、取り違えという結果にも不自然さは感じられませんし、マリオンの命が狙われる理由が浮かんでこない――動機が不明であるために、犯人の目星をつけることが非常に難しくなっています。

 本書の構成から、少なくとも読者は現在の事件と過去の事件とのつながりを予想してしかるべきところ、マリオンが過去の事件とまったく無関係であることで、二つの事件に共通する(表向き)唯一の関係者*2であるフェイに疑惑が向きやすくなっているのが巧妙です。

 ハリー・ブルックの“スチーヴ・カーチス”へのなりすましという真相は、二つの事件の間に挟まった戦争の影響の大きさを感じさせるもので、時代がうまく取り入れられていると思います。その“スチーヴ”がマリオンと婚約しているというのは、フェイとマイルズの出会いに勝るとも劣らないご都合主義ではありますが……。

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 なお、本書の結末でフェル博士は、フェイについて“彼女はよくてあと数ヵ月の命だ。”(333頁)と述べていますが、(一応伏せ字)後の『仮面劇場の殺人』にて健在であることが明らかになって(ここまで)います*3

*1: 実際には、証拠を隠滅する必要が先に生じ、それが可能な現場として塔の頂上が選ばれたのではないかと思いますが。
*2: 厳密にいえばリゴー教授も二つの事件の関係者となっていますが、マリオンが狙われた際にはフェル博士と同行しているので、容疑者から除外しやすくなっています。
*3: (一応伏せ字)“二十年前、ハモンドとフェル博士は、ある超常現象に見せかけたセンセーショナルな殺人事件、“囁く影”事件に、のちにハモンドと結婚するフェイ・シートンともども巻き込まれたことがあったのだが、現在、ハモンド夫妻はニースに住んでおり”(創元推理文庫版『仮面劇場の殺人』32頁~33頁)(ここまで)

2008.02.19再読了 (2008.03.01改稿)