火よ燃えろ!/J.D.カー
Fire, Burn!/J.D.Carr
この作品の殺人トリックは、現代であればすぐに見破られてしまう可能性があります。また、この時代であっても気づく人はいるはずです(現に、検死にあたったスラーク医師は気づいているようです)。しかしながら、この作品ではタイムスリップというアイデアをうまく持ちこむことによって、ミステリとして成立させています。
1829年という時代は、私たち現代の読者にとって、さらに主人公のチェビアト警視にとっても、“遠い過去”として感じられます。そして、空気銃という装置が具体的にいつ頃発明されていたか知っている人は非常に少ないでしょう。したがって、遠い過去という固定観念にとらわれたチェビアト警視や読者にとっては、空気銃の存在が盲点になってしまっているのです。
すなわち、この作品ではタイムスリップというアイデア自体が読者を錯覚させる罠として機能しており、その罠によってこの作品がミステリとして成立しているわけです(だからこそ、カーはフェアであることを強調するために、わざわざあとがきで空気銃が存在した証拠を提示しているのでしょう)。実に巧妙だと思いますし、1957年という時代にこのアイデアを考えついたカーの先見の明は大したものだと思います。現代では西澤保彦の一連の作品に通じるところがあると思います。
さて、主人公のチェビアト警視ですが、ロンドン警視庁草創期にふさわしい、熱意あふれる人物として登場します。周囲、特に警官隊などが、チェビアト警視の熱意が伝染したかのように希望と自覚に満ちあふれていく様子がうまく描かれています。
ラスト近く、過去においてはホグベンの銃弾に倒れたチェビアトですが、やはりタイムスリップでやってきた彼は過去に存在することを許されなかったのでしょうか。その直前の、自嘲に満ちた台詞も、異邦人としての孤独感を強く表していると思います。そして現代に戻ってきたチェビアト、その目の前に現れ、優しくチェビアトを迎える妻、フローラ……すばらしいエンディングです。