エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件 The Murder of Sir Edmund Godfley
[紹介]
1678年、英国。国王チャールズ二世暗殺計画の噂が流れる中、失踪していた治安判事エドマンド・ゴドフリー卿が、首を絞められた上、胸を剣で貫かれた死体となって発見された。復讐か、それともカトリック教徒の陰謀か? 相次ぐ密告と、シャフツベリー伯爵率いる反国王派の暗躍の下、数人のカトリック教徒が逮捕され、裁判にかけられた。しかし、事件は疑惑に包まれたまま、永遠の謎として残った……。
[感想]
綿密に資料を調べ、丹念に書いてあるのはわかるのですが、なかば研究論文のようなこの作品はなかなか読み進めることができませんでした。史実の縛りのために、カーお得意の自由奔放なストーリー展開が見られないのもつらいところでした。
ジョセフィン・テイ『時の娘』などのような、現代の人間を主人公にして歴史上の謎を探らせる形式であれば、まだよかったのではないでしょうか(例えば、“フェル博士がエドマンド・ゴドフリー卿殺害の謎を探る”といった感じで)。実際には、歴史ミステリという形式の草分けであるこの作品を受けて、『時の娘』などが書かれたという事情を考えると、仕方のないところだと思いますが。
なお、この作品をあらかじめ読んでおくと、同じ時代を扱った『ビロードの悪魔』が読みやすくなるという利点があります。
ニューゲイトの花嫁 The Bride of Newgate
[紹介]
1815年、ロンドン。ニューゲイト監獄に、美貌の令嬢キャロラインが死刑囚のディックを訪ねてきた。彼女は、祖父の遺産を継ぐために形式だけの結婚をしようと、死刑を間近に控えた彼を夫に選んだのだった。だが、結婚式の直後に起こった情勢の変化で、ディックは突如釈放されることになった。身に覚えのない殺人罪で投獄されていた彼は、真犯人を追い求める……。
[感想]
一応は謎解きもあるものの、あくまでも中心となるのは恋愛あり決闘ありの冒険活劇で、自分に濡れ衣を着せた相手に復讐を誓う主人公・ディックの活躍は痛快です。そのヒーローぶりがやや強調されすぎているようにも思えますが、形だけの妻・キャロラインに対する屈折した心理は人間味を感じさせます。現代から離れた好みの舞台を得たカーが、思う存分に筆をふるって作り上げた傑作です。
ビロードの悪魔 The Devil in Velvet
[紹介]
歴史学者のフェントン教授は、過去に起きたある事件を調べるため、悪魔と契約を交わして1675年のロンドンへとタイムスリップする。当時の貴族ニコラス・フェントン卿に乗り移り、その妻が毒殺された事件の真相を解明しようというのだ。ところが、彼はいつしか宮廷を揺るがす陰謀、国王と反国王派の対立に巻き込まれていく。果たしてフェントンは毒殺事件を防ぎ、窮地を切り抜けることができるのか……?
[感想]
現代人が過去にタイプスリップする歴史ミステリ、という特殊な設定をうまく生かしきった作品で、事件の意外な真相は非常によくできています。さらに、歴史的事実をうまく取り込んだプロット、一つ一つが心に残るエピソード、そして迫力充分の活劇場面など、すべてがよくできた傑作です。かなり分量がありますが、ぜひご一読いただきたいところです。
喉切り隊長 Captain Cut-Throat
[紹介]
時は1805年、皇帝ナポレオン率いるフランス軍は、イギリス本土進攻を目指して英仏海峡に布陣していた。ところがその陣営内に、兵士たちを次々襲っては喉をかき切る正体不明の暗殺者“喉切り隊長”が出現し始めたのだ。警務大臣ジョゼフ・フーシェは、真犯人を究明するためにイギリスのスパイ、アラン・ヘッバーンを調査に当たらせたのだが……。
[感想]
英仏の諜報戦を背景に、主人公のアランとその敵であるフーシェ、そして正体不明の“喉切り隊長”が繰り広げる三つ巴の知恵比べは非常に見応えがあります。暗殺の実行犯は比較的早い段階で明らかになりますが、それを影で操る“喉切り隊長”は何者なのか? カーの目論見は必ずしも大成功とはいい難い部分もありますが、ストーリーテラーとしての本領が発揮されたスリリングな物語は見事です。
なお、本書はPIGGLE-WIGGLEさんよりお譲りいただきました。あらためて感謝いたします。
2000.02.07再読了火よ燃えろ! Fire, Burn!
[紹介]
ロンドン警視庁のチェビアト警視は、目を疑った。確かに乗っていたはずのタクシーが、いつのまにか二輪馬車に変貌していたのだ。1829年にタイムスリップしたチェビアトは、創設間もないスコットランド・ヤードの一員となり、やがて不可解な射殺事件に巻き込まれていく……。
[感想]
この作品も『ビロードの悪魔』と同様に、タイプスリップという特殊な設定をうまく生かした傑作です。事件の謎もさることながら、主人公を過去でも同じ警察官という立場に置くことで、現代と過去がうまく対比されて印象づけられています。そして、すべてが終わった後に待ち受けるラストが非常に鮮やかです。
なお、カー自身によるあとがきには、トリックのネタバレがあるのでご注意ください。
ハイチムニー荘の醜聞 Scandal at High Chimneys
[紹介]
1865年イギリス。妹二人を早く結婚させるように父を説得してほしいという、友人ヴィクターの奇妙な依頼を受けた作家クライヴだったが、訪れたハイチムニー荘で当の父親、マシュー弁護士から驚くべき話を聞かされた。三人の子供の中に、昔自ら死刑に追い込んだ殺人犯の忘れ形見がいるというのだ。クライヴがその名を尋ねたとき、銃弾がマシューの頭を貫いた。犯人は復讐に燃える死刑囚の遺児なのか……?
[感想]
カーのストーリーテリングの技術と、ミステリとしての叙述が見事に融合しています。ややあざとく感じられる部分もありますが、事件の真相が巧妙に隠される一方で、手がかりもさりげなく提示されていき、同時にサスペンスが次第に高まっていきます。派手な事件こそ起こりませんが、語りの技巧が最大限に発揮された佳作です。
なお、本書はPIGGLE-WIGGLEさんよりお譲りいただきました。あらためて感謝いたします。
2000.02.09再読了引き潮の魔女 The Witch of the Low-Tide
[紹介]
1907年イギリス。精神科医デイヴィッド・ガースは、ロンドンの診療所から愛するベティの待つフェアフィールドの別荘へと向かった。泳ぎに出ていたベティを探して、砂浜に立つ脱衣小屋にたどり着いたガースを待ちうけていたのは、ベティの水着を着た、ベティに瓜二つの女の絞殺死体だった。だが、死体を発見したときには脱衣小屋には他に誰も見当たらず、潮の引いた砂浜には足跡一つ残っていなかった……。
[感想]
“足跡のない殺人”。トリックはうまいと思いますが、状況の必然性がやや物足りないところ。ガースとトウィッグ警部の推理合戦がよかったと思います。終盤でガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』のネタバレがあるので、未読の方はご注意ください。
ロンドン橋が落ちる The Demoniacs
[紹介]
1757年、ジェフリー・ウィンはモーティマー・ラルストン卿の姪ペッグをロンドンに連れ戻してきた。だが、卿の愛妾ラヴィニアに受けた激しい憎悪の攻撃を避けるため、ペッグは屋敷を飛び出してしまった。ウィンは跡を追い、ロンドン橋をさまようペッグをつかまえることができたが、二人はそこで謎の老婆の奇怪な死に遭遇し、ペッグは殺人の容疑をかけられてしまう……。
[感想]
『ニューゲイトの花嫁』に近い雰囲気の作品ですが、今ひとつ盛り上がりに欠ける感じがします。
深夜の密使 Most Secret
[紹介]
時は1670年、ロデリック・キンズミアは遺産請求のためにロンドンにやって来た。ところが、早々に竜騎兵隊長にからまれ、これがもとで殺人事件、そして国家的陰謀に巻き込まれてゆく。チャールズ国王から、フランスへ密書を運ぶ任務を与えられたロデリックを待ち受けるものは? そして密書の行方は……?
[感想]
殺人事件は大したことがなく、ロデリックの冒険の方がメインです。ミステリ色がほとんどないせいか、なかなか乗れませんでしたが、少しずつ引き込まれていきました。1934年にロジャー・フェアベアーン名義で発表した作品を改題し、カー名義で再び発表した作品です。
ヴードゥーの悪魔 Papa La-bas
[紹介]
1858年、ニューオーリンズ。24年前に奴隷虐待疑惑で当地を追われたラローリー夫人と、“ヴードゥー・クイーン”として黒人たちの間に絶大な影響力を持つマリー・ラヴォー――二人のいわくつきの女性に対し、周囲の心配も顧みずなぜか強い関心を示す娘マーゴ・ド・サンセールは、ある夜、帰宅途中の馬車の中から忽然と姿を消してしまった。さらに同じ夜、ラローリー夫人追放の首謀者であったラザフォード判事が、ド・サンセール邸で奇妙な転落死を遂げる。そして、事件を予告するかのような、“パパ・ラ=バ”と署名されたカードの送り主は……?
[感想]
19世紀半ばのニューオーリンズを舞台にした、三部作の第一作です。様々な文化の入り混じるニューオーリンズを舞台に、密かに広まるヴードゥー教の影、過去の事件に由来する因縁、そしてお得意の(やや強引な)ロマンスを絡めたプロットは、十分にカーらしい雰囲気を備えています。
ただ、肝心の事件の方は物足りなく感じられます。監視されている馬車からの人間消失は、現象として非常に鮮やかなのは間違いありませんが、それに比して真相はあまりにもたわいないもので、力不足の感は否めません。また転落死の方は、途中まではうまく隠されているのですが、ある時点から真相がかなり見え見えになってしまうのがいただけないところです。とはいえ、いくつかの伏線やヴードゥー教の扱い、あるいは転落死が起きた時点での犯人の隠し方など、見るべきところがないわけではないのですが。
ミステリとしてはやや落ちる反面、ロマンスとサスペンス、そして若干の冒険が盛り込まれた物語そのものはなかなか面白いものになっています。探偵役がもったいぶりすぎて流れが滞っているところにやや難があるものの、この時点ではまださほどアメリカ的でない、エキゾティシズム漂う不思議な街を舞台とした歴史ロマンとしては、まずまずの出来といっていいのではないでしょうか。
2006.02.16読了
亡霊たちの真昼 The Ghost's High Noon
[紹介]
1912年10月、作家のジム・ブレイクは、下院議員候補のクレイ・ブレイクを取材するためニューオーリンズに向かった。だが、列車に乗ったときから身の回りに不可解な出来事が相次いで起こり始めた。当地ではクレイを陥れる企ても進行しているらしい。そして、ジムの旧友が自殺としか思えない状況で怪死した……。
[感想]
どうも印象が薄い作品です。登場人物では、トロウブリッジ警部補が印象に残りました。好人物です。
死の館の謎 Deadly Hall
[紹介]
1927年、ニューオーリンズ。久しぶりに故郷に戻ってきたジェフ・コールドウェルは、旧友デイヴの屋敷をめぐる事件に巻き込まれた。その屋敷には、秘密の隠し部屋にスペインの財宝が眠っているという伝説が残っており、さらに17年前に階段で謎の怪死事件が起こっていたのだ。そして今また、デイヴの妹サリーナが不可解な死を遂げた……。
[感想]
隠し財宝の伝説に怪死事件と、面白そうな要素を備えてはいますが、残念ながらいくつか気になる点が……。特に、犯人はこれでいいのでしょうか? どうしても疑問が残ります。
血に飢えた悪鬼 The Hungry Goblin
[紹介]
1869年、ロンドン。ニューヨークから戻ってきたばかりのキット・ファレルを待っていたのは、友人ジムや愛しいパットの奇妙な行動、そして謎の狙撃手だった。一方、キットの友人ナイジェルは、自分の妻が別人ではないか、という疑いを抱く。緊張が高まる中、ついにキットの目前の密室状況下でナイジェルが撃たれた……。事件の謎を解くのは、『月長石』の作者ウィルキー・コリンズ。
[感想]
カー最後の長編ですが、ウィルキー・コリンズを探偵役に持ってきたところは面白いと思うものの、プロットにはやや無理があります。また、密室トリックの使い方にも難があり、ミステリとしては今ひとつといわざるを得ません。