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  4. かくして殺人へ

かくして殺人へ/C.ディクスン

And So to Murder/C.Dickson

1940年発表 白須清美訳 (新樹社)

 『かくして殺人へ』という題名の通り、“犯行以前”――殺人へと至る経緯が描かれている*1本書ですが、殺人未遂止まりで最後まで殺人が起こらないまま終わるという、人を食った“意外な展開”がお見事。全般的にコメディ色の強い内容だけに、死者の出ないハッピーエンドはふさわしいといえるでしょう。

 しかも、(当然ながら最後の毒入り煙草事件を除いて)“殺人未遂であること”が仕掛けの根幹となっているのが秀逸で、殺人未遂止まりであるがゆえに“犯行”を繰り返すことができ、それによって標的の誤認が補強されるところを見逃すべきではないでしょう。最初の硫酸の仕掛けは完全な人違いだったわけですが、それが逆に功を奏している――真の標的であるティリーがまだ到着していないため――のもうまいところです。

 この仕掛けは、霞流一氏による解説で示唆されているように(一応伏せ字)アーサー・コナン・ドイル『恐怖の谷』(ここまで)のネタ――いわゆる“バールストン先攻法”をひねったものととらえることもできるかもしれませんが、“真の標的以外の人物(偽の標的)を事件に組み込む”という点では、どちらかといえば別の古典ミステリ――(作家名)アガサ・クリスティ(ここまで)(作品名)『ABC殺人事件』(ここまで)に近いところがあるといえるのではないでしょうか。

(以下、上で伏せ字にした作品の仕掛けを本書と比較しますので、そちらを未読の方はご注意ください;一部伏せ字)
 前述のように、“偽の標的を事件に組み込む”という点で両作品は共通していますが、伏せ字にした作品では偽の標的と真の標的をすべて“真の標的”だと偽装し、“真の標的を〈(架空の)連続殺人計画〉の中に埋没させる”仕掛けであるのに対して、本書ではあくまでも偽の標的のみを“真の標的”だと偽装し、“真の標的を〈計画外の人違い〉として埋没させる”点で大きく異なっています。
(ここまで)

 毒入り煙草の仕掛けについては、ティリーが煙草に火をつけた後*2というきわどいタイミングの犯行で、ささやかながらも不可能状況が設定されているのが面白いところです。とはいえ、作中で提示されている手がかりからは、ティリーが吸いかけの煙草を灰皿に置いて離れたことを導き出すのは至難の業ですし、当のティリー自身がそれを忘れている(?)のもいただけません。

 また、犯人自身が毒煙を吸い込まないようにしながら、煙草にしっかりと火をつける*3手段が考慮されていないのも難点。これについては、例えばピペット用のゴム(あるいはスポイト)などを煙草に取り付けて、何度か空気を“出し入れ”すればうまくいくのではないかと思うのですが……。

 スパイ疑惑を引き起こしたフィルム盗難事件の、脱力ものの真相には唖然とさせられますが、それが序盤から事件をよそに終始マイペースを貫いていたミスター・アーロンスンの口から明かされているところが何ともいえません。なかなか味わい深いオチといえるのではないでしょうか。

*1: 一貫して“これからどうなるのか”に焦点が当てられていることが、サスペンスの醸成に一役買っているのはいうまでもないでしょう。
*2: “彼女は煙草を口にくわえ、火をつけた。”(215頁)
*3: 単純にマッチなどで火をつけただけではすぐに消えそうになり、ティリーがすり替えに気づいてしまう恐れがあります。

1999.12.10読了
2010.08.09再読了 (2010.11.08改稿)