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  4. 騎士の盃

騎士の盃/C.ディクスン

The Cavalier's Cup/C.Dickson

1953年発表 島田三蔵訳 ハヤカワ文庫HM6-10(1511)(早川書房)

 この作品で使われた密室トリックは、『白い僧院の殺人』の中で例示されたもののバリエーションです。そちらはパテで固定された窓ガラスの場合ですが、この作品では鉛で固定してあり、登場人物の鉛管工としての経験と組み合わせてあるところがうまいとは思いますが、簡単に見破られてもおかしくない感じがします。この作品がまずまず成功しているのは、相変わらずドタバタ劇をミスディレクションとしてうまく利用しているということもありますが、事件の特殊性によるところが大きいのではないでしょうか。

 通常の密室事件であれば、密室の内部でどのような事件が起こったかはわかっているので、密室への出入りの手段だけに思考を集中することも可能でしょう。ところがこの作品では、密室に誰かが出入りしたと思われるにもかかわらず、騎士の盃が盗まれていないために、密室の内部で何が起こったのかというところから検討せざるを得ません。実際、マスターズは当初、トムの頭がおかしくなったのではないかとも考えています。このように、密室の謎以前に、事件性の有無が問題になってくるのです。

 また、マスターズがトムの正気を疑ったことによって、ハーヴィ氏が二度目の犯行に及ぶ動機が生じます。通常の盗難事件であれば、犯行は一度限りです。ハーヴィ氏自身、盗みは一度目で断念しています。ところがここで、トムの正気を証明するためという新たな動機が生じることによって、二度目の犯行が行われることとなり、ますます不可解性が高まると同時に、長編としての長さを支えることができるだけの謎が構築されていくのです。

 それでも通常の探偵であれば、もっと早く真相を明らかにすることになるでしょう。この事件の手がかりは、その性質上、比較的早い段階でそろってしまいます。したがって、これでもたもたしているようであれば、探偵役としての資質を疑わざるを得なくなってしまいます。何といっても、マスターズが密室の謎を解明しているくらいですから(失礼)。

 しかし、H.Mが探偵役の場合には、早い段階で真相を見破りながら口をつぐんでいても、必然性が感じられます。特にこの作品の場合、事件そっちのけで歌の練習に励んでいたり、旧友の性格から動機までも見破ってしまい、みんなのために黙っていたりします。このような、探偵役の特殊なキャラクターのために、解決を最後まで引っ張ることについても説得力が感じられるのだと思います。

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 さて、この作品では動機もよかったと思います。騎士の盃が動かされただけで盗まれなかった理由、そして密室を構成する理由は、犯人自身のミスディレクションということで、面白いと思いますし、二度目の犯行の動機もいいと思います。表面的にはあれこれ言いながらも、ハーヴィ氏が内心ではトムのことを気に入っている、ということをうまく描いたエピソードで、これによってハーヴィ氏の人物像に奥行きが出ています。