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  4. ユダの窓

ユダの窓/C.ディクスン

The Judas Window/C.Dickson

1938年発表 高沢 治訳 創元推理文庫118-38/(砧 一郎訳 ハヤカワ文庫HM6-5(早川書房))

 現場の密室状況は非常に強固で、“犯行が可能なのは被告人だけだった”という訴追者側の推論をしっかりと補強しています。この点で、一般的な“内部に(死体となった)被害者しかいない密室”と本書の密室が大きく異なっていることを、見逃すべきではないでしょう。

 密室とは室内と室外とを隔てるものですから、一般的な密室では(表面上)すべての人物に関して等しく犯行の不可能性を高めることになります。これに対して本書の場合は、密室内部に容疑者(ダミーの犯人)が用意されているために、密室が強固であればあるほど内部の容疑者による犯行というシンプルな仮説が補強されていくことになります。

 そのために、被告人側の弁護人であるH.Mとしては“犯行が可能なのは被告人だけではなかった=被告人以外の人物にも犯行は可能だった”ことを示すだけでは不十分で、“被告人には犯行が不可能だった”ことを示す必要があります。結果として、不可能状況を打破する密室トリックをひねり出す*1だけではなく、実際にそのトリックが使われたことを証明しなければならなくなっているのです。

 H.Mはまず、凶器である矢の案内羽根{ガイド・フェザー}のちぎれた断片が現場の密室内部に見つからなかったことを指摘し、矢が密室の外部に持ち出された可能性を示します。また、羽根を人力で引きちぎることが不可能に近いことを指摘するとともに、“矢柄に沿って埃の付いていない細い筋が縦に続いておる”(157頁)*2とあわせて、矢がクロスボウで射られた可能性を示しています*3。このあたりはやや地味でもありますし、また訴追者側がやったように異なる解釈を引き出すことも可能ではあるのですが、解明の手順としては不可欠といえます。

 そして最終的には、案内羽根の断片がクロスボウと“ユダの窓”(ドアノブの穴)の中で発見されたことで、実際に矢がクロスボウで発射されて“ユダの窓”を通過したこと――H.Mが見抜いたトリックが実際に使われたことが証明されるのがお見事*4。そして、犯人が密室の外部にいたことが確実となるのはもちろんのこと、手がかりとなる羽根の断片がいずれもジムの手が届かない場所にあることで、ジムに罪をかぶせるために構成されたはずの密室が、その強固さゆえにジムを守る“シェルター”へと反転するのが鮮やかです。

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 密室トリックの中心となる“ユダの窓”という“出入口”は、やはり巧みに盲点を突いた、非常によくできたものだと思います。トリックのための特別な仕掛けではなく、H.Mの台詞にもあるように“どんなドアにもユダの窓がある”(360頁)*5ところをみても、着眼点に優れたアイデアだといえるでしょう。さらに副次的な効果として、ドアそのものが証拠として法廷に持ち出されることによる演出効果も見事です。

 ただし、“ユダの窓”を利用した本書の密室トリックの方には、実行するにあたっていくつかの難点があります。

 まず、密室を構成するのが犯人ではなく、殺されるべき被害者自身でなければならないのが苦しいところです。室外の人間が現場に侵入不可能だという状況を作り出すために、現場が内側から施錠される必要があるわけですから、どうしても被害者の“協力”が必要となります。
 本書では、被害者自身が立てた計画を犯人が乗っ取ったという形にすることで、一応はこの問題が解決されています。が、なかなかよく考えられているとはいえ、結果として事件全体が必要以上に複雑になっているのは否めないところです。

 また、ごく狭い“ユダの窓”を通して矢を射ることを考えると、ドアから離れたところにいる被害者を狙って命中させるのは不可能ですから、被害者をドアの近くに呼び寄せなければなりません。
 この点についてH.Mは、被害者がはずれたドアノブの様子を見に近づいてきたところを射殺したと説明しています(333頁~334頁;ハヤカワ文庫版も同頁)が、ドアノブがはずれるという怪現象に被害者が不審を抱いてしまう可能性も高く、確実に“ユダの窓”の前に立ってくれるとは限らないでしょう*6

 そして最大の障害が、凶器となる矢をいかにして室外へ持ち出すか、という点です。この矢は“レジナルド”(ジム)が被害者を襲った証拠として使われるはずだったものですから、それをわざわざ室外へ持ち出すのは不自然きわまりない行為といえます。たとえ(何らかの口実を設けて、あるいは被害者に気づかれないように)矢を持ち出すことができたとしても、そのまま――矢を室外に持ち出したまま――被害者にドアを施錠させなければならないという難関があり、被害者の並はずれた不注意を期待するより他はないように思います。犯人の告白の中では、“私はダイアーが戻ってきた音を聞きつけたふりをして、矢の先をつかんで部屋を飛び出し、差し錠を掛けるよう部屋の外から叫んだのです。”(375頁)*7と怪しげな説明がされていますが、これがぎりぎりのところでしょうか。

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 シンプルで豪快な密室トリックに対して事件全体の真相は、犯人による殺人計画の基礎となった被害者自身の計画に加えて、ジムとレジナルドの取り違えまで起きたことで、やや煩雑になっている感もあります。が、犯人のみならず被害者からして悪意をもってジムを罠にかけることで密室トリックが成立する中、H.Mの弁護を受けるジムは潔白でなければならない一方で、その婚約者の父親である被害者を悪人にするわけにもいかない――といった状況ゆえの苦肉の策ではあるものの、なかなかよく考えられていると思います。

 取り違えの結果としての、“アンズウェル”(ジム)に対する被害者の敵意むき出しの態度が、ジムの容疑をより濃厚にしているのはもちろんのこと、ジム自身にも心当たりのない不可解な謎となっているのが面白いところです。そして、ジムが到着しているはずのない早い時刻から、被害者が何度もジムのフラットに電話をかけていたという手がかりもよくできています。

 取り違えが法廷で明るみに出た後、証人として召喚されたメアリが落とす“爆弾”も強烈ですが、H.Mに召喚されたレジナルドが弁護側の主張を否定する思わぬ目撃証言をするや否や、“以前はドアにガラスが嵌まっていたが(中略)窓のないドアに替えた。”(81頁)*8という地味な証言*9をもとにそれが突き崩される、鮮やかな逆転がお見事です。しかして「エピローグ」で、レジナルドが実際に核心の場面を目撃したことされているのは、少々やりすぎの感がないでもないですが、それが“スーツケースを受け取りに現れた謎の人物”につながるところは、やはり巧妙というべきでしょうか。

* * *

*1: 一般的な密室の解明では、不可能状況を打破し得る一つの“解決”以外に有力な仮説が構築できないという理由で、その“解決”が真相とみなされる場合がしばしば見受けられます。
*2: ハヤカワ文庫版では、“矢の軸に沿って縦に細くほこりのついておらない筋”(155頁)
*3: この時点ではまだ、実際に使用されたものとは別のクロスボウを使って説明しているところが、何ともH.Mらしいというか。
*4: 「エピローグ」で明かされているように、そこに羽根の断片があることを、事前にこっそり確認してあるのも食えないところです(苦笑)。
*5: ハヤカワ文庫版では、“そのユダの窓なるものが、どこのどんなドアにもある”(364頁)
*6: 類似の密室トリックを使った某海外作品(1960年代発表)では、この問題がうまく解決されています。
*7: ハヤカワ文庫版では、“わたくしは、ダイアーのもどってきた気配がしたようなふりをして、矢の先をつかんだまま、大急ぎで部屋から駆け出しながら、大声で早くドアのボールトをかけるようにと叫びました。”(379頁)
*8: ハヤカワ文庫版では、“そのドアは、以前にはガラスが入っていたが(中略)板張りのドアに代えさせた。”(79頁)
*9: 印象に残りにくい手がかりだと思いますが、ハヤカワ文庫版では巻頭の見取図に窓のないドアが描かれているので、多少は読者も気づきやすくなっている……かもしれません。

2008.01.27再読了 (2008.02.06改稿)
2015.07.31創元推理文庫版読了 (2015.08.08一部改稿)