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白い僧院の殺人/C.ディクスン

The White Priory Murders/C.Dickson

1934年発表 厚木 淳訳 創元推理文庫119-03(東京創元社)

 “足跡のない殺人”の場合、普通に現場に出入りすれば足跡が残ってしまうのがネックなのですから、一般的にはそれをいかにしてごまかすかということに力点が置かれることになります。本書においても、(ジョンを犯人とする)レインジャーによる“解決”と(レインジャーを犯人とする)モーリスによる“解決”の双方ともに、別館から脱出する際の足跡を隠蔽するトリックを中心に据えたものになっています。

 このように、徹底して足跡の隠蔽に読者の注意を向けておきながら、表面的な現象そのままに“犯人は別館から脱出していない”という意表を突いた真相が用意されているところが非常に秀逸で、死体の移動、すなわち現場の移動という逆転の発想が実に見事です。

 雪が降り止んだ後に別館に入ったのがジョンだけであることから、疑惑が向けられてしまうのは致し方ないところですが、その足跡が“ほんのちょっと前につけられたもの”(50頁)であり、なおかつ死体が“石のようにつめたくなっていた”(54頁)ことで、“第一発見者”のジョンによる“早業殺人”がしっかり否定されているのがうまいところです。

 ジョンの帰りを待つマーシャの心理を考えれば、別館から本館への移動も十分に納得できるものですし、犬の吠え声などの手がかりが(当初の推理とは逆の方向で)生かされているところも巧妙です。一方、帰宅してマーシャの死体を発見したジョンが、死体を別館へ移動させようと考えるところにも説得力がありますし、自身が犯人でないために――マーシャが殺されたのが雪が止んだ後だと知らない*1ために、足跡のことを気にしなかったというところもよくできていると思います。

 そして何より、H.M自身が“犯人が足跡一つ残さずに犯行現場へ行ったりもどったりしたのは偶然のせいだったか? そしてわしは間抜けにもくすくす笑った。ところが、それなのだ、(中略)まさにそういう事態が発生しとるのだ”(225頁)と述懐する、大いなる皮肉が印象的です。

* * *

 ただし、この“足跡のない殺人”という不可能状況が、犯人の意図と無関係に発生したものであるところが残念。犯人自身が驚いていた*2というのは見方によっては“笑いどころ”といえるかもしれませんが、しかし犯人自身の存在感の薄さ*3と相まって、何ともいえない卑小な印象が残ってしまうのがいただけません。

 また、真相が簡単に露見してしまうのを避けるために、ジョンが事実を告白しないような理由付けがなされているのですが、カニフェストを殴り倒して殺してしまったと思い込むのは、いくら何でも強引にすぎるでしょう。さらに、自殺未遂を起こした際の遺書の中で、カニフェストを“殺した”と告白するとともに、マーシャを殺してはいないと主張までしていながら、その死体を移動したことのみ伏せるというのは、さすがにご都合主義といわざるを得ないところです。

* * *

*1: “ジョンが三時といったのは、その時間にここへ帰ったと認めても安全だ、と考えたからだ。実際はそれから一時間か二時間あとまで、ここへ帰って来なかった――”(325頁)とあるように、ジョンが帰った時には死体はある程度冷えていたでしょうし、三時よりもだいぶ前にマーシャが死んだと考えていたことがわかります。
*2: “関係者全体の中で、エマリーだけは、テートが別館で殺されたことを信じようとしなかったのだ。”(335頁)
*3: もちろん意図的なものでしょうが。

1999.12.23読了
2008.04.10再読了 (2008.04.27改稿)