フレームシフト/R.J.ソウヤー
Frameshift/R.J.Sawyer
ソウヤー自身による"On Writing Frameshift"、"Structural Analysis"、"Readers' Group Guide"には、執筆の背景や、この作品に関するソウヤー自身の考えなどが掲載されています。興味のある方は、ぜひ一度お読みになってください。
"Structural Analysis"によれば、この作品の主要な要素としては以下の六つがあります。
- ハンチントン病
- 保険会社
- ナチズム
- ジャンクDNA
- テレパシー
- ネアンデルタール人のクローン
ソウヤーはこの六つの要素をうまく組み合わせています。
例えば、ハンチントン病、ジャンクDNA、そしてネアンデルタール人のクローンは遺伝学という観点で関連しています。
また、ハンチントン病と保険会社を組み合わせることで、社会福祉の方面へ物語を展開させています。
さらに、保険会社(この作品でのコンドル保険会社のような、普通でない会社)とナチズムは、優生学的な面で通じ合うことになり、これはもちろんハンチントン病にもスムーズにつながります。ネアンデルタール人のクローンのような反倫理的な実験も、言うまでもなくナチズムに通じるところがあるでしょう。
一方、この作品のジャンクDNA理論は人類の新たな進化を予感させますが、それは身体的なものではなく精神的なもの、例えばテレパシー能力につながるのではないかと考えられます。
ソウヤーはこの作品で、いくつかの要素をひねり出し、それらを組み合わせながら、パズルや方程式を解くように与えられた条件の中で解決を見いだすことで、複雑なストーリーを構成しているような印象を受けます。
もちろん、中にはうまくつながらない組み合わせもあります。例えば、ナチズム(による殺人事件)とジャンクDNA理論はまったく別個の物語になっていて、これをこの作品の弱点と考える人も多いと思います(この点は、前作『スタープレックス』にも通じるところがあります)。しかし、完璧ではないにしても、これだけの物語を作り上げたソウヤーの手腕は、認められてしかるべきでしょう。
ソウヤーがこの作品で構築した進化に関する理論はユニークです。ジャンクDNA部分にフレームシフトのためのプログラムを配置しておき、世代を経て蓄積された変異が引き金になってフレームシフトが起こるというもので、ある時期に一斉に進化が起こるわけですから、進化した個体が新たな種として固定するメカニズムをうまく構築しているといえます。
その反面、フレームシフトのためのプログラムを綿密に設計しておく必要があるので、どうしても“創造主”の存在が示唆されることになります。この場合、“創造主”自身の出自はどうなのか、という疑問が生じてきます。もちろん、(以下伏せ字)『さよならダイノサウルス』(ここまで)のような解決もありますが。
この作品におけるテレパシーは、1)言葉として形成された思考だけを受け取ることができる、2)“声”として聞こえる、3)強さは距離の2乗に反比例している、という風に描かれています。
言葉として形成された思考だけが受け取られるということは、おそらく受け手側の問題になると思いますが、受信機構の制限なのか、それとも受信後に脳内で情報を処理する際の問題なのか。受信の際に言葉と映像が区別されるとも考えにくいので、情報を処理する機構が聴覚をつかさどる部分にのみ存在するということでしょうか。特殊なタイプの神経細胞が、脳の特定の部分に形成されるということはあるかもしれません。
さて、受け手にはどのような“声”が聞こえるのでしょうか。送り手が無意識に自分の話し声に変換した音声情報として脳内に思考を形成し、受け手はその(発音されない)音声情報をそのまま受け取るのか。それとも、テキストリーダーのように、テキスト情報だけを受け取り、あとは受け手の脳内で音声に変換されるのか。
経験的には、文章を頭の中に構築する場合、音声情報を使用しているようです。そうなると、わざわざテキスト情報だけを受け取った後で音声に変換するよりは、最初から音声情報を受け取る方が自然ではないでしょうか。
ただこの場合、しゃべることができないアマンダはどうなのか、という問題もありますが、耳から聞こえる声、例えばモリーの声を使って思考しているとすれば、音声情報として受け取ることは十分可能です。
したがって、モリーは送り手が頭の中に思い浮かべた音声情報を、そのまま受け取っているのではないかと考えられます。みなさんはどうお考えでしょうか。
翻訳は読みやすく、よくできていると思いますが、個人的に一カ所残念なところがあります。クリマスが体外受精のための後処理をする場面で、
ピエールは一瞬、クリマスはその作業のためにどんなものを利用するのだろうと思いめぐらした。プレイボーイか? ペントハウスか? 全米アカデミーの会報か?となっています。プレイボーイ、ペントハウスと並んで「全米アカデミーの会報」が挙げられているところにクリマスの人柄がうかがわれますが、この箇所は原文では、
(ハヤカワ文庫版222頁)
Playboy? Penthouse? Proceedings of the National Academy?となっていて、"P"で韻を踏んでいます。逆に言えば韻を踏んでいるからこそ、ネイチャーでもサイエンスでもなくこの雑誌が登場しているわけで、翻訳ではいかんともしがたいとは思いますが、ちょっと残念です。
(ペーパーバック145頁)
#ちなみにこの雑誌、正式名称は "Proceedings of the National Academy of Science" なので、某研究室では「プロナス(Pro.N.A.S.)」という略称で呼ばれていましたが、これは業界で一般に通用するのでしょうか?
1999.11.27-1999.12.01読了2000.03.16読了(日本語版)