海外作品は読みにくいのか? |
2001.09.26 by SAKATAM |
はじめに |
読書が好きな方の中には、国内の作品は読むけれど海外の作品は苦手だ、という方が結構いらっしゃるのではないかと思います。私自身、ある時期から海外ミステリをほとんど読まなくなってしまいました。再び読むようになったのはここ2年ほどのことです(ところが、海外SFはそれなりに読み続けていたのでした。これについては後述します)。実際に読んでみると、特に古典作品などには非常に面白い作品がたくさんあり、今までほとんど読まずにいたのが非常にもったいなく思えました。そこで、海外作品に対する苦手意識について考えたことをあれこれ書いてみようと思います。皆様のお役に立てれば幸いです。 |
読みにくい理由 |
これについては、みけさん(「またたび横丁」)による「海外作品が苦手な方へ」にわかりやすくまとめられていますので、そちらを読んでいただければ済むのですが、私なりに気がついたことを記しておきます。
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海外作品を読む意義 |
私が海外作品を読む理由は、単純に面白いからです。面白くない作品を無理に読む必要はないと思いますし、それで得られるものもおそらく少ないでしょう。しかし、仮に1冊読んだ本が面白くなかったとしても、海外作品すべてが面白くないわけではありません。むしろ面白い作品がたくさん埋もれているのが実状で、海外作品だというだけでそれらを敬遠してしまうのは非常にもったいないと思います。 また、特にミステリの場合には科学技術などと同じく過去からの蓄積をもとに発展してきた側面があるわけで、最新の科学技術を理解するために基礎を学ぶ必要があるように、海外の古典を読むことで国内作品もより楽しめるようになるといえるのではないでしょうか。今でも読み継がれている古典などは、現在でもある程度通用する面白さを持っているのは間違いない、ということもあります。 少しでも興味のある方は、ぜひ一度海外作品を手にとってみて下さい。 |
おまけ:原書への挑戦 |
海外作品を読み慣れてくると、原書を読んでみたいという欲求に駆られる方も出てくるでしょう。私はまだ10冊ちょっとしか読んだことがありませんが、その経験からいえることをいくつか記しておきます。 まず、英語の勉強というよこしまな動機ではおそらく続かないでしょう。なぜなら、普通に勉強をした方が楽だからです。英語の勉強という目的だけで読み通すには、本1冊という分量は長すぎます。むしろ雑誌や新聞の方が役に立つでしょう。似たような理由で、邦訳が入手できる作品も難しいと思います。どちらも、どうしてもその原書でなければならないという切実な欲求が欠けてしまうのです。したがって、“読みたい”という動機が最も強くなる、好きな作家の未訳作品がいいでしょう。私の場合、最初に読んだ原書はR.J.ソウヤーの未訳作品(当時)である『さよならダイノサウルス』でした。 題材が決まったら次は実際に読むわけですが、できる限り辞書は引かないことをおすすめします。翻訳するわけではないので、いちいち日本語に置き換える必要はありません。前後のつながりである程度想像がつきますし、しばらく読み進んでからわかる場合もあります。むしろ、辞書を引くことによって読むリズムが乱されるという弊害を避けるべきではないかと思います。 それから、しおりは必須です。字面で内容を判断しにくいので、しおりがないとどこまで読んだのかがすぐにわからなくなってしまい、いたずらに何度もページをめくる羽目になります。 最後に、よほど英語に堪能な方以外は日本語の本を読むより時間がかかるのが当然です。私の場合、日本語よりも5倍ほどはかかります。決して焦らず、少しずつ読み進んでいくのがいいでしょう。 原書を読むのは決して楽ではありませんが、読む前に想像するほど難しくもありません。どうしても読みたい本であれば必ず読み通せると思います。怖がらずに、ぜひ一度挑戦してみてはいかがでしょうか。 |
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