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最終更新日05/10/28

コラム

コラム224

システム

 あまりにも漠然とした事で誰も考えないような事ですが、人間が生活している環境を理解していないのに当たり前に生活していると言うよく分からない状況をこの頃、考えます。

人間が生きている生活環境って案外何も知らない、何も分からないのに疑問も持たない。

例えばガスでお湯を沸かすのはガスを着火して火でお湯を沸かすと言う事ぐらいであれば理屈も仕組みも分かりますが、TVとかビデオとか身の回りにある道具の仕組みは殆どの人が知らない。
ただ使い方を説明書にしたがって使用しているに過ぎないし理屈も仕組みも知らなくても大丈夫。
ただそれだけ・・・・・・。私もしらない事が多いし、興味を持っても理屈が理解できなくて断念したものもあります(笑)。

例えば車がどうして走るのか知らない人はまったく興味を持ちません。
でも運転免許を持っていれば車は運転できる。
自動車学校ではあくまで人間が決めた交通ルールを教わっただけに過ぎないと言う事。

人間が使用している道具に限らず生活そのものが一種のシステムみたいな形をしていて、通勤に車を使って、信号機で止まったり、買い物にコンビニよれば棚に品物があるし、携帯で連絡つなげるし・・・・・・ものの売買には紙幣を使用するような物々交換のルールがあって、これらすべてが大きなシステムとして成り立っています。
すべての便利さがシステムの上に乗っかっているもので何かが崩れればすべてが崩壊しそうな不安定さがあるような気がしています。

例えばクルマもそうで、普通に走っている分には便利ですが、ルールを破れば誰もが被害者にも加害者にもなりえるような状態。
便利になるにつれて人間社会のシステム自体が複雑化しており、何か起きれば全てが崩れてしまうような不安定さの上に生活している事って案外知られていない。
たまに停電とか電話不通で不便だと思うけど、便利さが当たり前なので使えない状況を普段は考えもしない。停電で真っ暗になるとロウソクも懐中電灯も「どこだ!!」と探してますから・・・。

多分、便利さを追求した結果が今の社会であり、それらに不具合が起きればたちまち崩れてしまうようなものなのかもしれません。

戦後は実家で水道が使えなくても裏の川(今ではドブ川)で野菜洗ったり、貝取ったり、蛍が居たり・・・生活習慣が今とは全然違う話を聞きました。
今では裏の川で洗う事なんで恐ろしくて出来ないし、蛍も居ません。
何だか便利さと環境の変化は相反するものかも知れないです。

便利になれば自然が無くなって自給自足と言う意味ではまったく成り立たなくなっています。
こんなことコラムでも書かなければ気にもしなかったわけで・・・・これから便利さが増していく中でどうなるんでしょうね。

交通手段として車を運転することが私の中でも当たり前ですが、それらを構成しているシステムを把握手しなくても誰でも利用できる・・・と言うことに今回、疑問を持っただけですけどね。

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