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最終更新日03/04/11

コラム

コラム67

自分自身

今まで、私自身の考え方をずらずらと話してきましたが、自分を自分が理解しているかと言うと何も理解していません。

自分自身を構成しているのは、「自分が見ている自分自身」と「他人が見ている自分」とは食い違った別な人であるからです。
理由は、人は千差万別の考え方が在る以上、受け止め方が様々ですから人間それぞれの考えや見方は複雑なものだと思います。

人は価値観や他人の判断を自分を基準として無意思に判断しています。そしてその基準は曖昧なものである事を理解している人も少ないですが・・・・。
基準にしても人の経験と成長(逆も在りますが・・)に伴って変わってしまう曖昧な基準です。

そう考えると自分自身はこんな人間像だと判断しても、他人は違う人間像で見ている事があります。もし他人の人間像を聞いて、それは自分じゃないと本人が言っても、それもまた自分自身の一つの形です・・・・・。

結局、管理人である私自身も私が思っている「私」と友達が見ている「私」は違うものでしょうし、会社の人などが見ている「私」もまた違うものです。
でも、それぞれの「私」はすべて「私」を指す物です。
人の中の「私」と言うものは自分自身の他人への接し方で幾らでも変わってしまう不安定(曖昧な)な「私」でしかありません。
この事実を「難しい」と考えるか「なるほど」と考えるか、それもまた人の考え方次第です。
例ですと、私と直接会った事のある人ならば、このHPの見方は私を知っている上でHPを見ているので、そんなにHPに書かれている内容が影響しませんが、私に会った事が無い人ならばHPに書かれている事で私を想像するので実際に会った時の印象も違います。
これはHPを通じて会った人に「HPから想像していた私のイメージが違かった」と言われた事からも想像出来ます。
HPの私のイメージと実際の私のイメージの差は、これはどうしようも在りません。
実際、初対面の方にも言われましたが、
私自身が「めちゃくちゃ話す」とか「明るい」とか周りに言われるとしても、それはHPからは判断できませんものね(笑)
又、本当にそう思うかも人それぞれですから、だからこそ人に接してその都度判断していくしかないのでしょうね。
逆の例で考えるとコラムからは「私」と言う人間の本質が分からないと言う事にも繋がると思います。

そして、人(他人)への接し方も自分次第で相手への印象を変える事が出来ると言う事は、「悪くもなれるし」、「よくなる事も出来る」と言う事です。
この事は何が正しい、何が悪いと言う単純な話では判断できないですが、良い方に変わろうと言う意思表示と行動はすぐに結果にならなくても大切な事です。(多分)

当たり前の事ですが、自分自身を表すものは、鏡に映った自分ではなく、他人の中での自分のような気もします。
自分がどんなに主張しても他人が判断した結果がその人を決めている・・・人間社会の常識的な判断基準は、ある意味怖いですが、それが日常で当たり前になっていて、この事すら考える人も少ないのも何か悲しい話です。
もし、ここで書かれている事を読んでくれた方が、たった一人でも「なるほど」と共感を持ってくれれば、書いている意義があると判断していますし、そう考える人も又、沢山居ると思って書いています。

最後に『人が人であるい所以(ゆえん)は「考える事」にある』と何かの本で呼んだ事がありますが、私もそうだと思います。(少し哲学ぽくなってしまいました(笑))

写真の私自身も色んな「私」が居ます、そしてそれら全てが「私」を示すものです・・・・・。ごくごく当たり前の事なんですけどね・・・(笑)

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