■ 前に戻る   ■ 次へ進む

      
   
    1.ファイラン浮遊都市    
       
(3)

  

 最初にその疑問を抱いたのは、やはり、と言うべきか、王都警備軍電脳魔道師隊第七小隊副長の、ドレイク・ミラキだった。彼とハルヴァイトは入隊した直後からのつき合いで、外見だけは飛び抜けていいがどうにも人付き合いの悪いハルヴァイトを補佐…公私ともに…する、王都警備軍一奇特な人間と認識されている。

 隊長ほどではないがそこそこ長身で、彫りの深い派手な顔をした、なかなかの男前。むさ苦しいという印象ではないが、ややほっそりしたハルヴァイトと並べば、十分軍人らしい鍛えた体つきをしている。

「お前の…あの新しい、つか、俺が知る中じゃ唯一まともな恋人なんだがなぁ、ハル。なんつったっけ…」

「ミナミ」

 その時、今日は正式な警備任務ではなく警備任務に就いている小隊に何かあった場合の補佐、または交代要員として登城を義務付けられている「予備警備」の日だったため、二人は揃って第七小隊の執務室でただ時間を潰していた。何となく言葉を交わし、なんとなく話題が途切れて、なんとなくハルヴァイトが時計を見上げた途端、なぜか、ドレイクがいきなりそう切り出したのだ。

「ミナミ・アイリー」

 まずいな、とハルヴァイトは、平然とした表情を崩さないまま内心舌打ちしていた。相手がドレイクでなければ何とでも切り抜けられただろうが、彼に下手な言い逃れなど通用しないのを、ハルヴァイトは嫌と言うほど知っているのだから。

「そいつさ」

 ドレイクは、さり気なく視線を外してきたハルヴァイトの両耳をひっつかんで自分の方を向かせ、今にも雨が降り出しそうな空と同じ灰色の瞳で、似たような鉛色の目を覗き込んだ。

「痛いんですけど、ドレイク」

「俺の質問にちゃんと答えれば、放してやるよ」

 愛想のないスチール机を挟んで睨み合い、薄笑いを交わす。

「なんですか? 質問って」

「そいつ、ミナミとかいうあの無愛想なヤツ…。本当はなんなんだ?」

 ずばっと斬り込まれ、でもハルヴァイトは、凍えた美貌に似合いの迫力ある笑みでそれを切り返した。

「だから、恋人です」

「嘘言え」

 即答で否定。

「嘘じゃないですよ、恋人です。三週間とちょっと前に、居住区の外れで出逢いました」

「ほう、そんで?」

 まだ耳を引っ張り続けながら、ドレイクは嫌な笑いでハルヴァイトを睨んでいる。

「いろいろあって…、ちょっとそこはプライベートなのでお話しできませんが、とにかく、今は一緒に暮らしています」

「お前の、アノ、家で?」

「はい。ミナミは案外キレイ好きで、部屋を掃除してくれるんで助かってるんですよ。ほら、あなたも知ってる通り、わたしは掃除だとか好きじゃないですからね。別にやらなくても構わないと言っているのですが、どうせわたしが下城するまでの間暇だからとやっておいてくれるんです。ね、かわいいでしょ?」

「そんな事言ってんじゃねぇ。お前があの「家」に、俺とアリス以外の人間を入れてるのか? って訊いてんだろ!」

 だんだんと、ドレイクの語調がキツくなってくる。それに合わせて、髪と同じに真っ白い眉が吊り上がる。別に恐怖を感じる事はないが、どうあっても隠し通せないのかという落胆はあった。

 ヒミツ。抱えていたい内緒。ミナミはどう思っているのか知らないが、ハルヴァイトに関して言うならば、彼はこのささやかな秘密をあの「恋人」と共有している事を楽しんでいた。

「…いい加減放して貰えません? ドレイク。わたしは彼と一緒に暮らしている、と言ってるじゃないですか。彼は今もわたしの家で、明日の夕暮れ前に仕事を終えるわたしを……待っているんです」

 待っていないかもしれない。と少し思った。思わず、失笑が漏れた。

 それが、良くなかったのか?

「てめー、俺に嘘吐こうなんて百年早ぇぞ!」

 言うなり、ドレイクはいきなりハルヴァイトの耳を思い切りスチール机側に引っ張り寄せ、手を放すなり後頭部をひっぱたいた。

 ガン! とハルヴァイトの額が、机に激突する…。

「…………………」

「てめーの性格で、わざわざ見せつけるみたいに毎回出迎えさせる事自体おかしいんだよ、あぁ? 他の連中なら十分騙される三文芝居なんだろうが、この俺にゃ通用しねぇって、判ってやってんだろ! だったら今のうちに…」

 そこまで一気に叫んで椅子を蹴倒し立ち上がろうとしたドレイクの側頭部に、ハルヴァイトは電光石火の勢いで掴みかかった。

 ドレイクが、やりすぎた、と感じた時にはもう遅い。左から真横に頭部を叩き払われバランスを崩して椅子に尻餅を着きそうになるが、その一瞬前、机の下で跳ね上がったハルヴァイトの爪先が椅子の脚を蹴り払い終えていて、結果、ドレイクの尻を受け止めてくれるハズのそれは真後ろにあった別の机にもの凄い勢いでブチ当たって跳ね返り、悲鳴を上げながら床に転がったドレイクの背中に、ドン! と激突した。

 まさに瞬く間。

 そこで不様に悲鳴を上げる訳にも行かないドレイクが、なんとかスチール机にしがみついて立ち上がった時には、ハルヴァイトもすでに立ち上がっていた。

 やや薄い唇に冷え切った笑みを貼り付け、鉛色の瞳でじっとドレイクを見つめたまま、傲岸に腕を組んでいる、ハルヴァイト…。

(………こえっ!)

 その表情に、思わずドレイクが鼻白む。

「そこまで判っているのに、わたしに何を言わせようというんです?」

 呟きと同時に、ハルヴァイトの頭上で、バシッ! と真っ白な荷電粒子が火花を散らした。

 電脳魔導師。それは少々特殊な人間にのみ与えられた称号。魔導師、と言うからには「魔法」に近いものを使うのだろうが、ファイラン浮遊都市に古くから生息し、「錬金術師」と呼ばれた科学者と「魔導師」と呼ばれた非科学的能力者の両方を起源に持つ。

「では、あなただからはっきり言わせて貰います。わたしは、何も言いたくないんです」

 ハルヴァイトの言葉を後押しするように、またも数回、上空で火花が煌めいた。しかし今度は爆裂した荷電粒子が空中に留まったままで、ゆっくりと光の螺旋模様を描き始める。

 それにますます青ざめたドレイクが、じりじり後退りした。

「落ち着けよ…ハル」

「? わたしは十分落ち着いてますよ、ドレイク」

「……嘘言うな! 後ろに電脳陣が立ち上がってんじゃねぇか!」

 ざ! と一気に背後のスチール机まで逃げ去ったドレイクが、ハルヴァイトに指を突きつける。と、つられて肩越しに軽く振り返った…電脳魔導師として王都で一番恐れられている男が、あぁ、と気の抜けた吐息を漏らす。

「これは通常の平面電脳陣ですから、展開前の余計な荷電粒子が飛び散ってるだけです。こんなの、模擬戦闘でも見てるじゃないですか。それにあなただって電脳魔導師の端くれなんですから、お判りになるでしょう? そのくらい」

 だから、何をそんな騒いでいるのか、とでも言いたげに、ハルヴァイトが乾いた笑いを中空に吐き出す。

「しかも、起動待機ですよ。まぁ、これが第二次立体電脳陣に書き換わって、臨界接触陣が出て、接続プログラムが構築され始めたら、全職員に緊急避難勧告を出すべきだとは思いますが」

「起動と同時に接続終了するくせに、んな暇あるか!」

 ハルヴァイトの、いわゆる「魔導機」稼働までの時間は、恐ろしく早い。

 簡単に説明するならば、電脳魔導師が使うのは、魔法ではない。彼らが自らの能力で構築するのは「臨界」と呼ばれる異空間にアクセスするゲートであり、使役するのは、その「臨界」で待機している「魔導機」と言われる手足なのだ。が、それは今は問題ではない。

 問題は、この狭い執務室にハルヴァイトの「魔導機」、「ディアボロ」が現れてしまったら、建物が崩壊してしまい兼ねない事の方だろう。だが別に、「ディアボロ」は巨大なものではない。ただし、他の電脳魔導師が扱うものとは、少々形が変わっているだけだ。

 今や皓々とした青白い円形の後光を従えて、ハルヴァイトが冷たく微笑む。

「だったら、ミナミの事をあれこれ詮索するのは止めてください。わたしは彼を「恋人」だと認めてるんですからね」

 守り通したい秘密。たったそれだけのために、自分は何をしているのだろう。と思いはしたが、ハルヴァイトはすぐにそれを忘れた。

 守りたいのは、秘密だけ、ではない。

 ふと、ハルヴァイトの顔を凝視していたドレイクが短い溜め息を吐いた。何を思ったのか、急に両手を肩まで上げて小さく万歳し、小首を傾げる。

「判ったよ、もう…今は訊かねぇ」

 諦めきれないらしいドレイクの顔つきに微か眉を吊り上げ、しかしハルヴァイトは、展開していた電脳陣を砕いて霧散させた。

「でも、お前も判ってんだろ? 俺が心配してんのは、あの…、お前言うところの「恋人」じゃなく、お前自身の方だよ」

 呟いて背を向けたドレイクの杞憂を知っているハルヴァイトが、目を伏せて小さく首を横に振る。これ以上何かを言う気もない。言い訳も謝罪も浮かばない。でも、ドレイクに心配を掛けている自覚だけはあった。

 不機嫌そうに執務室を出ていくドレイクの気配に、王都警備軍最強…かもしれない男は、小さく、本当に微かに「すいません」と囁いた。

  

   
 ■ 前に戻る   ■ 次へ進む