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1.ファイラン浮遊都市 | |||
(2) | |||
「食事に行きます?」というハルヴァイトの問いかけに、青年…というより、まだどこか少年臭さを残したミナミは、「行かない」とぶっきらぼうに答えた。 青年の名前は、ミナミ・アイリー。十九歳。現在ハルヴァイトの「恋人」三週目に突入したばかり………なのだが? 二人は、ハルヴァイトの長身から考えれば少々ゆっくり、ミナミの背丈を見れば丁度よい速さで、肩を並べ大通りを歩いていた。腕を組む訳でも、顔を見合わせる訳でもなくただ黙々と、高級住宅街の一角にあるハルヴァイトの自宅を目指して進んでいるだけ。 「一応支度してきた。俺の料理に不安があんなら、なんか買ったら」 妙に事務的な言い方に、思わずハルヴァイトが失笑を漏らす。判ってはいるのだが、どうにも笑いが込み上げてしまう、といった風か。 「…笑うなよ。俺の手料理なんだから、「恋人」のアンタとしちゃ、喜ぶトコなんじゃねぇの?」 「そうでした、失礼」 通り名と見た目の割りに案外丁寧な物言いで、ハルヴァイトが気のない謝罪を口にする。しかし受け取るミナミも気がない風に小さく肩を竦めただけで、それ以上何も言うつもりはないようだった。 だから結局二人は肩を並べたまま、一キロ以上離れた自宅に到着するまで、それきり言葉を交わさなかった。その間、当たり前の沈黙を苦にする素振りもなく、だからといってその…非常に微妙な距離…より離れる事もなく、同じ歩調で…ただ、黙々と前進する。 それを、ミナミはなんとも感じていなかった。 そしてそれを、ハルヴァイトは……。
玄関を開け、先に入るのはミナミ。それから振り返って、唇の端にほんのちょっとだけ笑みを乗せて、「おかえり」と聞き取れないような小声で囁く。 ハルヴァイトは、一般的なファイラン国民の平均値よりも背が高い。そしてミナミは、その平均値より若干背が低く、かなり骨張った体型をしていた。まさに、痩せぎす。軍に属してそれなりの訓練を受けているハルヴァイトと並ぶと、本当に抱き締めたら折れてしまいそうな程、細い。 だから振り返ったミナミは、軽く顎を上げてハルヴァイトの瞳を下から覗き込むように、薄っすら…本当に笑っているのかどうか定かでないほど儚く…笑み、その曖昧な視線を受け取った恋人は、この奇妙な出迎えの儀式六度目にして急に、後ろ手にドアをばたりと閉めてから、再度、先程と同じような素っ気ないキスをミナミの唇に落とす。 往来のど真ん中で交わされる事務的な口づけは、二人の間にある奇妙な約束のうちだったから、ミナミは別になんとも思っていない。が、誰もいない室内…つまり純然たる「キス」は、始めてだった。 「ただいま」 「……………?」 予想外の事にミナミは、ぽかんとした顔を中空に向けたまま、彼を躱わしてさっさとリビングに向かって行くハルヴァイトを見送ってしまった。 「…………おい、アンタ…」 はっとして気を取り直し、いささかげんなりした声で、自分の「恋人」をアンタ呼ばわりする…。 「はー、すごい。部屋がキレイになってますね、感激だ」 「…つうか、おいってば」 「ここ、こんなに広かったのか。知らなかったな」 「だから…、そこの生活能力皆無軍人」 無遠慮に繰り返される衣擦れの音とブーツが床を叩く足音に、ミナミはとりあえず最初の質問を飲み込み、慌てて靴を脱ぎ捨て裸足でリビングに駆け込んだ。 「て? もしかしてその生活能力皆無軍人というのは、わたしの事ですか?」 「アンタ以外、どこに軍人がいるよ…、この家に」 「あ、そうか。それで、何か?」 と、すっとぼけた事を言いつつ、ハルヴァイトは今脱いだばかりのマントを、丸めてソファに放り出した。 「何か、じゃねぇ…」 外にいる間よりも和らいだ鉛色の瞳が、きょとんとミナミを見つめる中、がしがし金髪を掻きむしった青年はふーっと溜め息を吐いた。 「玄関で靴脱げつったろ。脱いだ服をその辺に放り出すのもやめろって言わなかったか? 俺。大体、着替えは二階の部屋で…」 小言じみたミナミの言葉を聞きながら、ハルヴァイトが髪を括っていた革紐を解いて、マントの上に落とす。と、肩より少し長い鋼色の髪に、大窓から差し込む夕暮れの光がきらきらと反射して跳ねた。 朱色の光を乱反射する、無機質な髪。金色のミナミの髪ならもっと暖かい印象を与えるだろう場面でも、そのひとは、スティールの輝きを失わない。 刃のひと。三週間前に出逢った瞬間は、本当に刃物のような冷たい表情で、道端に座り込んだミナミを…じっと見つめていたのに。 「……つうか、アンタほんとにあの電脳魔道師隊第七小隊の隊長なのかよ…。俺はもっと、すごく恐い人だって…ウワサに聴いてたんだけどな」 「ウワサと実態は噛み合わないものだという、いい勉強になったじゃないですか」 しれっとしてそう言ってのけ、ハルヴァイトは深緑色の上着から袖を抜き、そのままその衣服を…。 「だから、床に置くなつってんだろうが…」 ある意味「すごく恐い人」というのは合っているのかもしれない、とミナミは、生返事しながら平然と軍服を脱ぎ散らかすハルヴァイトを、げっそりした気持ちで見つめていた。 「…アンタの世話は、今回の「契約」に入ってなかったぞ…。確か」
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