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    1.ファイラン浮遊都市    
       
(5)

  

 周囲の心配をよそに、それからもミナミの出迎えは続いた。

 当初は難色を示したり泣き落としでハルヴァイトとミナミの関係を暴こうとしていたドレイクも、そのドレイクをなだめると見せかけてそれとなくミナミの事を聞き出そうとしていたアリスも、二ヶ月を過ぎた頃にはすっかり諦めたらしく、余計なちょっかいを出してこなくなっていた。

(…二ヶ月半ですか、もう……)

 予備警備の日は、城を囲む城壁外部に置かれた城外執務室に、二十四時間勤務する。それから一日空けて登城し、四日間はまったく城の内部からは出られない。勤務が終わり、下城時刻は夕方。それから二日は休暇になる。

 ということはつまり、ミナミと暮らし始めてから二ヶ月半経過しているにも関わらず、ハルヴァイトが彼と過ごしたのは実に三分の一程度の日数でしかないのだ。

 第七小隊、と銘打っているものの、電脳魔導師隊というのは元々人数が少ないから、執務室にも机はハルヴァイトのものを含めて五つしかなく、隊員も、攻撃系魔道師ハルヴァイト、制御系魔道師ドレイクの他に、アン・ルー・ダイという見習い電脳魔導師と、デリラ・コルソンという砲撃手、それに、事務官のアリスしかいない。

 電脳魔導師一人いれば、普通の軍人五十人分は賄える。大勢で「魔導機」の動きを制限するよりも少数精鋭、というのが部隊の特徴だった。

 登城四日目の夕方近く、もうすぐ下城時間になろうか、という頃、ハルヴァイト宛ての私信が飛び込んで来た執務室には、全隊員が控えていた。

「? あ…。少々お待ちください…」

 最初に電信を受け取ったアリスが、妙な顔でつかつかとハルヴァイトに歩み寄ってくる。

「小隊長…、自宅から電信ですが」

「? 自宅…って、ミナミ?」

 何を考えていたのか、卓上カレンダーを睨んで唸っていたハルヴァイトが、言われた途端にぎょっとしてアリスを見上げた。その表情は、まさか、とか、なぜ、とかいう類の、いわゆる「困惑」に見えて、アリスの方が首を傾げる。

「折り返しこちらから…」

「いえ。すいませんが、アリス。それ、そのままこっちに繋いで貰えますか?」

 机上の端末を操作して外部接続に切り替えるハルヴァイトは、なぜか少し慌てているように見えた。

「どうかしたんですか? ミナミ。急に連絡をよこすなんて」

 そう大きくない端末の画面に映し出されたのは、相変わらず何を考えているのか判らない無表情だったが、どこか少し、様子がおかしい。

『悪ぃけどさ、今日の迎え、行けそうにない…』

 弱々しい口調に、ハルヴァイトは青ざめた。

『昨日くらいからすげー調子悪くて、薬飲んでみたけどなんかダメで…。だから悪ぃけど……』

「ばっかやろう、そういう時は医者だろ、医者!」

 いつの間にかにじり寄って来て端末を覗き込んでいたドレイクが、思わず呟く。となぜか、ハルヴァイトは突き刺すようにドレイクを睨み、手で「あっちに行け」と彼を追い払おうとした。

(ここまでなんとか何も起こらずに来たのに!)

 内心悲鳴を上げつつも、ハルヴァイトは努めて冷静に、ミナミの様子を観察した。

 ダークブルーの瞳が所在なく揺らめいている。熱があるのだろう、いつもより乱れた金髪が額に貼り付いて、それが邪魔なのか、払い除けようと上げた手の指先が微かに震えていた。

「ミナミ…、もうすぐ下城時刻になります。城を出たらすぐに戻りますから、とりあえず暖かくして、もう少しだけ、がんばってください」

 ハルヴァイトは真剣に言ったはずなのに、なぜか端末の中のミナミが少しだけ笑う。

『アンタさ…、やっぱ変なヤツだよな。急いで戻ったってどうしようもないって、知ってんだろ?』

 その、まるでぶっきらぼうな物言いを咎めたのは、言われたハルヴァイトではなく、追い払われてもがんとして動こうとしなかったドレイクだった。

「…お前なぁ、それが心配してくれてる人間に対する言い方かぁ?!」

 抵抗するハルヴァイトを無理矢理押しのけて端末の前を占拠したドレイクを、モニターの中から見つめるミナミ。

『…………誰?』

 訝しそうな呟きに、ドレイクが真っ白い眉を吊り上げる。

「誰って、俺はドレイク・ミラキ。ハルの部下だが、友達だ」

 精一杯不愉快な顔を作って小さな端末を睨んだものの、実は、こんなに間近にミナミを目にしたのは始めて、というドレイクは、少々驚いていた。

 線の細い、色の白い、見事な金髪とダークブルーの目の、作り物みたいに綺麗な青年。熱っぽく潤んだ瞳を飾る先端の跳ね上がった長い睫が、二・三度ぱしぱしと瞬かれ、それから…。

『始めまして、こんにちは』

 薄紅を指したような唇が、いきなり丁寧に挨拶した。

 ドレイクが、がく、と拍子抜けする。

「ミナミ…、こんな礼儀知らずに挨拶してる暇じゃないでしょう? とにかく、もう少ししたら戻ります。あなたは休んでいてください。じゃぁ、切りますよ?」

『あぁ…』

 脱力したドレイクを椅子から叩き落として、ハルヴァイトは殆ど一方的にそう告げ、通信を切断してしまった。それから、余計なコトに首を突っ込んでくれそうになったドレイクをじろりと睨み、ふと、自分の横顔に注がれている別な視線に気付いて、正面に顔を向け直す。

「……ウワサでは知ってたけど、近くでみると綺麗なコねー」

「……アリス…」

「しかも小隊長が「すぐ戻ります」なんて必死になってる姿が、なんともさぁ」

「ボク、思わず目薬さしそうになっちゃいましたー。あんな慌てた小隊長の顔なんか、始めて見たし」

 アリスのセリフを受け取ったデリラとアンが、うんうん頷いている。

「アリス!」

 ガン! とデスクを握り拳でぶったたいた音に、アリスがわざとらしく「あら、なんですか? 小隊長」と驚いた声を上げて答えた。

 が、アリス以下、どの顔もにやにや笑っている…。

「あ、ちなみにわたしどもは小隊長への電信をこっそり盗み見たのではなく、こっちの公共端末がホスト状態だったため、切断してはいけない状況にあってですね…」

 などと白々しく説明し始めたアリスをこれまた剣のある目で睨んだハルヴァイトは、でも、すぐに諦めて盛大な溜め息を吐き、もういい、と手で示してどすんと椅子に腰を下ろした。

 …そんな事よりも、ミナミの方が気になる。

 椅子から叩き落とされて床に座り込んだまま、デスクの上で組み合わせた手をじっと見つめるハルヴァイトの横顔を見上げていたドレイクが、小声で問いかけて来る。

「身体でも弱いのか? あいつ…」

 無意識に首を横に振ってから、無意識に机上のカレンダーに視線を向け、ハルヴァイトは、ミナミの言葉を思い浮かべた。

(急いで戻ったってどうしようもないって、知ってんだろ?)

「ミナミは、何も悪くない…。ただ少し………脆いだけなんです…」

 その返答が奇妙に思えて、ドレイクは無言のままハルヴァイトを見つめ、小首を傾げた。

「……触れたら、壊れてしまうほど…」

  

   
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