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    1.ファイラン浮遊都市    
       
(10)

  

 それから十日ばかりして、ハルヴァイトが予備警備に出掛けた次の日。壊れたガラスもひっくり返ったソファも何もかも元通りになったリビングで本を読んでいたミナミは、ふと、卓上に置かれたカレンダーに視線を向けた。

「…………次の登城中に、三ヶ月なんだっけ…。そういやぁ」

 膝の上に本を広げ、ソファの背凭れに身体をぶつける。そのままぼんやりと天井を見上げ、ぼんやりと、ハルヴァイトとの「恋人」契約は三ヶ月だった、と改めて考えた。

 ミナミは、どうあっても王城エリアから出る事は出来ない。人口調整のための移住、という名目でなら、厳しい審査はあるものの、他の…王城エリアを囲む一から一〇エリアのどこかに行く事は可能だったが、ミナミには、それさえも出来ない理由があった。

「…………………。どうすりゃいいんだよ、って、好きにしていいのか…」

 いや、よくないのか? などととりとめもない事をうだうだと考えながら、背凭れをずるずる背中で滑って、そのままぱたりと座面に転がってみる。

 あれ以来特に、ミナミの過去だとか、ハルヴァイトの四年半だとかについて話したことはない。知らないフリをしたのでもなければ、言い出し難い、と思った訳でもなく、ただなんとなく、言いそびれたし訊きそびれた、という所か。

 話し合うべきだろうか。とも思った。でも、今更何を話していいのか、判らない。

 ミナミにとって、この家は居心地がよかった。人の気配が…しないからだ。

「……よく、ここで寝てたっけな、最初の頃…」

 たった三ヶ月前。最初の何度か、ハルヴァイトは家に戻ってくると真っ直ぐバスルームへ向かい、シャワーを浴びて出てくるなり、今ミナミの寝転んでいる窓を背にしたソファにごろりと横たわって、そのまま眠ってしまったものだ。

 そうなると、呼んでも起きない。余程疲れているのか、それとも他の理由があるのか、とにかく、耳元で叫んでみてもハルヴァイトは目を覚まさない。

 だから結局、ミナミは向かいのソファで膝を抱え、彼が目を覚ますのを待つしかなかった…。

「よく考えれば、そうだったのかな…。あのひとは、いっつもへとへとだったのかも。勝手に怯えられて…、何もしてないのにびくびくされて、そういう顔した奴らの中で……」

 疲れ切っていたのだろうか。

 ミナミは投げ出した自分の指先を見つめたまま、無意識に溜め息を吐いた。

「……………判んねぇよ…」

 呟いて、彼は震える瞼を閉じた。

   

   

 どこかで何か音がする。…鐘の音?

 ソファに転がったままうたた寝していたミナミは、はっとして跳ね起きた。

 一瞬、今が何日の何時なのか判らなかった。浅い夢の中で聞いた鐘の音が、実は玄関の呼び鈴だと判るまで瞬き二回以上の時間をかけ、ミナミが慌ててソファから降りる。

 まだハルヴァイトが城から戻るには早いし、第一彼は呼び鈴など鳴らさずにリビングへ入ってくるはずだ。ではお客? と思って、ミナミはようやく、この三ヶ月、ただの一度もその音を聞いた事がないのだと思い出した。

 つまり、この家を訪ねて来る人が皆無だったのだ。

「…? どうぞ?」

 玄関まで出て訝しそうに答えたミナミの声を受け、インターフォンの向こうから微かに苦笑いする声が聞こえる。

『こりゃぁあれか? 思い切り警戒されてんのか? 俺ぁ』

「……あ…。ミラキさん…?」

 意外な来訪者にミナミが当惑した顔で玄関を開け、出迎えられたドレイクも、少々困った顔で白髪をぽりぽりと掻きながらミナミを見つめ返す。

「…よう」

「どうも…。先日は………申し訳ありませんでした…」

 ぺこりと頭を下げたミナミに向かって、ドレイクはひらひらと手を振って見せた。

「いいって…。俺もよ、何も知らねぇで余計な事した訳だし、君も…、なんつうか、言っておきゃぁ良かった事を言いそびれてた訳だし、お互い様って事で、余計な気ぃ使うのやめようや」

 気さくな笑顔で言われて、ミナミもちょっと安心した顔を見せる。

「…て、肋骨折って自宅療養中って、聞いたんですけど…」

 どことなくぎこちないミナミの喋り方を、ドレイクが少し笑った。

「普通にしろよ、普通に。気ぃ遣うってのは、基本的に性に合わねぇんだよ、俺もさ」

 促されてリビングに向かいながら、ドレイクは屋内が妙に小綺麗な事に気を取られていた。彼の知る限り、ハルヴァイトというのはどうしようもなくだらしない男だったハズだから、三ヶ月も顔を出さなかったのに家が荒れていないのは、ミナミのおかげだろうと思う。

(……黙ってやらせてるって事なんだろなぁ…)

「ちょっといろいろあってよ、俺にも…。早いとこ登城しなきゃならねぇんで、とりあえず動ける程度まで「再生」して貰ったんだが…」

「?」

 そこまで言って何やら都合の悪そうな顔をしたドレイクに首を傾げて見せながら、ミナミはてきぱきとお茶の支度をし始めた。それがやけに手慣れているのに多少の疑問を感じたものの、それを問いただすようなマネは、もうしない。

「先謝っとく。すまん、俺が迂闊だった」

「何が?」

「ハル…あいつな、一週間は戻って来れねぇと思う」

「………………? なんで?」

 微かに見開かれたダークブルーの瞳に多少の罪悪感を抱きつつ、ドレイクはこう答えた。

「お前にも秘密があんだろ? それと同じで、俺にも秘密があってよ、詳しいことは話せねぇ…。ただ、昨日登城した時点でハルはある場所に呼びつけられてこっぴどく嫌味を垂れられてから、今は、このファイランの浮遊駆動系を制御してる主電脳のファイアウォールを書き換えてる最中だと…思う」

「……防御プログラム…だっけ? それ」

「侵入防止のな」

「そんな事、あのひとに出来んのかよ…」

 唖然としたミナミに苦笑いを向け、ドレイクは肩を竦めた。

「出来る。だから行かせられた…。つうかよ、ハルを足止めすんにゃぁ、そのくらい手強いプログラム組ませるしかねぇんだよ」

 ミナミはそれにどう答えていいのか判らず、じっとドレイクの顔を見つめていた。

「ミナミ」

 人形のように整った青年の顔から視線を外さずに、ドレイクは居住まいを正して座り直した。それにつられたミナミが座り直すと、ようやく、ドレイクが頷く。

「余計な事かもしれないが、ひとつだけ聞いて欲しい。ハルヴァイト・ガリューというのは、つまりそれだけとんでもない人間だ。電脳魔導師として今の大隊長より才能があるし、今後も、あいつほどの天才は二人と出てこないだろうと俺は思う」

 普段軽薄な物言いだからか、その時のドレイクは妙に威厳と迫力に満ちていて、ミナミは思わず頷いてしまった。

「…………だから、それなりの覚悟がないなら、あいつが戻って来る前にここを出ていけ」

「覚悟って…なんだよ」

 見つめてくる黒っぽい灰色の瞳を睨み返し、ミナミは押し出すように呟いていた。…無意識に…。

「あいつを、絶対に傷つけないって、それだけさ」

 そう言って、なぜかドレイクは、どうしよもなく呆れたように笑った。

  

   
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