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 これは犯罪か?

 いいや。これは、ただの恋愛だ。

 だからもう、邪魔をしないでくれないか?

……何より憎く愛しい天使を抱いた、悪魔…。

   
   
(12)アドオル・ウイン

  

 証言台から降りたミナミが、傍らのウォルにそっと頭を下げる。

 もう、言うべき事は言い切った。

 議事堂に居る、もしかしたらこの議会中継を見守っている全ての人間がミナミに注いでいるのは、驚愕か、憐憫か、それとも、単純に痛ましい視線なのか…。しかし今更それをどう受け取っていいのか、何の感慨もなく、ミナミ・アイリーは深いダークブルーの双眸でゆっくりとホールを観察し、最後に、アドオル・ウインのにやにや笑いに視線を据えた。

 凍り付いた空気。

 いくらか聞いてはいたものの、想像以上に酷い、むごい扱い。

 だがウォル…ファイラン国王はそれに顔色一つ変えず、佇むミナミを漆黒の瞳で見つめている。

 聞くに耐えない。とは誰も思わなかった。

 果たして、今話された「奴隷のように生かされていた少年」が目の前のミナミであると理解した人間がどのくらい居たのか、それは判らないが。

 当時、未成熟、と言って差し支えなかっただろう少年は、慮辱され、へとへとで意識を失い、気がついて、自らを悲観する間も与えられずにまた犯されて、振り出しに戻る。

 ミナミは言った。

 悪夢の中に生きていたのだ、と。

 ずっと、たった一日。という感覚だったと。

 目が覚めるのは、いつも同じ日の同じ時間。そこから「悪夢」が始まり、気を失って、目覚めればまた同じ日の同じ時間。

 徐々に自分の中で何かが崩壊し、泣く事も叫ぶ事も諦めてしまっても、ミナミには、それが永遠に続く「一日」だとしか思えなかった。

 髪が伸び、手足が伸び、背丈が伸び、それでどれいくらいの時間が経っているのか、ミナミは考えない。

 時間の流れなどというものを意識してしまったら、一秒も正気を保って要られなかった。とミナミは最後に呟く。いつも同じ日、同じ時間。だから毎日犯されて痴態を曝されても、それは…同じ一日のたった一度だけ。

 そう信じた。

 上手く行っていたかどうかは、判らないけれど。

 その均衡が破れたのは、あの日、ヘイルハム・ロッソーがミナミの喉にナイフを押し当てた瞬間だったのか……。

「……あれはね、裏切だったよ」

 それまでにやにやとミナミの告白に耳を傾けていたアドオルが、勝手に座席から立ち上がって議員どもを見回す。傍らに控えていた衛視は咄嗟にアドオルを引き戻そうとしたが、ウォルはなぜか小さく頷き、アドオルを自由にさせるよう眼で促がした。

 告白させるのだ。洗いざらい。何も望まないミナミのために、全てを明白にさせるのだ。アドオルの口から。

 建前はもうなくていい。とウォルは思う。

 全て、嘘だった。

 ミナミは本当に……………ただ、呆れるほど静かに、愛し尽くしてみたいだけなのだ。

 都市でなく。

 あの……悪魔を。

「裏切りだった、ヘスのね…。あれは凡百で芸術の頭文字さえ知らない浅はかな俗人だったから、途中で恐くなったのだよ。理解出来なかったのだね、私が議事堂の天使に抱いた恋慕も、憎しみも。だからあの日、あの男は自ら匿名で特務室に密告したのさ。愚かな事に、それを私が内々に処理してとりあえずあの廃屋を引き払い、その活動を地下深く、誰の目にも止まらぬ場所に隠匿して、まるでヤツと私の関係など無かったものにするだろうと思っていたのだろうか。

 正直、そうしたかった。しかし、出来なかった。

 なぜかしら、それについての王の対応は驚くほど早く、しかも、捜査の指揮をこの私でなく、あろう事か、クラバイン・フェロウなどという新参者の若造に任せた。

……新参者…。私が抑える前の、正義感溢れた迷惑な男だ。

 私はね、本当に落胆したよ。

 室長室で、人知れず泣いたものだ。

 ヘスに衛視団から捜査班が派遣されると情報を流し、それで……何より愛しく憎い「天使」まで殺してしまえと言わなければならなかったこの苦しみを、列席の諸君にはご理解頂けるかな? 今、最も愛しい恋人か、家族か、そういうものを思い浮べ給え、君ら。そして、それを…薄汚れた浮浪者にでも八つ裂きにされる幻想に身を沈めるのだ、諸君。苦痛だ。生き地獄だ。崇高な「愛」に傅かない虫ケラに何より愛しい者を殺されるなんて、屈辱だ。そうだろう? だってね、人よ。取り繕った上辺だけで愛と正義を声高に語る愚者どもよ、考えてもごらん。

……欲望が、継続される歴史の一端を担い尽くす人間などというものはね、つまり、愛しい者の全てを奪い貪る事こそ、至上の幸福だと感じるのだよ?」

 殆ど唇を動かさずにごもごもと演説する、アドオル。

 その、今日、この瞬間まで隠されていた狂気は沸騰する程に熱を帯び、まるで、回りを巻き込もうとしているかのようだった。

「だから私は、あの……天上の天使を…この世に引きずり下ろした」

 アドオルの上げた腕に引き寄せられて、誰もが天井を見上げる。

 そこには、クリスタルに輝くファイランを愛おしむように腕を伸ばした、蒼い眼の天使がいた。

「何度も実験したよ、私は。幾つかの成功例の後、ついにその時、わたしは天使を手に入れるに至った。…しかし、普通に生み出されたのでは天使が育つのを待たなければならない。だから私は先に、実験で生まれ適当に大きくなった子供を、普通の子供にね……」

 臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)を焼き込んで、人工的に「電脳魔導師」を……造った。

 にーーーー。と口元を歪めたアドオルの顔を、誰もが愕然と凝視する。

「出来ないと思うかい? 君たち。浅はかだね、まったくもって馬鹿ばっかりだ。どうして? 君たちは何も知らないのだね。憐れだ、大いに憐れだ!」

「電脳魔導師の始祖と言われる最初のひとりは、錬金術師が途絶えかけの魔導師を救うために「造った」、人造人間(ホムンクルス)だった」

 議会に冷え切った声が響き、アドオルは目を見開いた。

「それが創世神話の大本にもなっている。当時、人の住めなくなった地表を逃れて巨大な円盤を空に浮かせようとしていた錬金術師たちは、恒常的エネルギー供給という問題に直面。燃料を使用すれば当然限界が来る。その燃料を浮遊都市内部で精製するにしても、何らかの材料がなければならない。そこで彼らが目を付けたのが、つまり……「魔力」という「対価を必要としない莫大なエネルギー」を体内で造り上げて使役していた、魔導師たちだった。錬金術師たちはそれこそ「物」のように魔導師たちを浮遊都市中枢部に「組み込み」、その能力を「解析」し「魔力の働き」をデータとして収蔵、活用する事によって、巨大な円盤に「浮力」を与え、人類を空に逃がした。

 どうだ? ウイン。僕は憐れでもなければ、愚かでもないだろう。

 まだ聞きたいならいくらでも教えてやる。

 人類を救った「天使」こそ「魔導師」であり、その「魔導師」を絶滅寸前まで「システム」として利用した「悪魔」が科学者という「錬金術師」であり、…最初の「電脳魔導師」…侵蝕されデータ化された「魔力圏」へのアクセス能力を持った「人工魔導師」を造った「悪魔」は、造反した「錬金術師」だった。

 そんなものは数百年前の愚行だ。今更秘密だと言う価値もない」

 唖然とする議会をよそに、浮遊都市を預る「システム」である国王……正真正銘の「魔導師」は、まるでつまらない些事を一蹴するようにそう吐き捨てた。

「そう! さすがは陛下。それさえ知り得ていれば、電脳魔導師など「造る」になんの障害があろうか。ただコピーし、焼き付ければいい。能力を。あまりに簡単で呆れるような作業だった」

 大袈裟に拍手しながらアドオルは、その過去の事実には関心を示さず、話し続ける。

「それで私は、私だけの「電脳魔導師」を造ってね、「超重筒」に干渉させたのだよ。精製課程の細胞に始めから「年齢」をデータとして刷り込ませ、普段よりも時間を掛けて細胞の増長を促がし、やっと……念願の「天使」を……手に入れた」

 いひひひひひひひひひひひひ。

 誰もが、ミナミを、見つめた。

「十年前に、十歳の天使を、私は、手に入れた……………はずだったのに!」

       

      

 だから、子供の頃の記憶がないのか。と、ミナミは思った。

      

      

「生まれ落ちて私の顔を見た瞬間、「天使」は悲鳴を上げたのだ! 恐ろしいものでも見るように脅え切った顔で、獣のように床を這い逃げ惑い、私を遠ざけようとしたのだ。私は傷付いた、大いに! きっと生れて間もないからだと研究者は言ったが、そんな訳などないだろう? その「天使」は私のためにだけこの世にやって来たというのに、なぜそれが判らないのか! 私は研究者を罵り、ひとり残らずその場で撃ち殺した! するとどうだ? 「天使」はますます脅え、泣き叫び、私に…………」

 アドオルは辛い記憶に顔を歪め、ついにはその場に泣き崩れた。

「来るなとさえ言い放った!」

 背中を丸めたアドオルを静謐に見つめ、ミナミは呟く。

「…………………今でも、そう思ってる…」

 ちょっと、可笑しくなった。

  

   
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