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 ワタシノナカ

 デ

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 ノコセルモノ

 ハ

 アクマダケ

      

 遺せるものは、悪魔だけ。

   
   
(13)「ディアボロ」

  

「なぜだ? こんなにも焦がれたのに、やっと手に入れたのに、どうして「天使」は脅えるのか! 私は失望した。王を欺いてまで死んでいた「超重筒」を稼動させたのに、「天使」はなぜ私に「愛している」と囁いてくれないのか! 私の苦悩が判るか? 苦しみと絶望の中でさえしかし私は「天使」を愛し続けたが、「天使」は私を目にするたび泣き叫び、誰かに、誰か………誰かだ! 認めるものか、それは陰も形もない誰かなのだ! その…誰かに助けを求めた!」

 蒼白な顔を上げたアドオルは、零れんばかりに見開いた目で天井の天使を睨んだ。

「天に腕を伸ばし、蒼い双眸で見えない誰かを抱き締めるように、甘く、切なく、ただ「助けて」と………………認めない…、なのに、認めざるを得ない! 「天使」は泣きながら、あの…あ………あの……憎い…あ…………」

 悪魔を!

「呼び続けた!」

 そんな記憶はミナミになかった。

 ただ、狂気に翻弄されたアドオルにはそう見えたのだろう。か弱い「天使」が「悪魔」に助けを求めているように、嫉妬に身を焦がした憐れな人間は、思ったのだろう。

 創世神話の時代から、天使は、悪魔を、待つものなのだ。

「……その間もここに来てあの天使を見なければならない私は、耐えられなくなったのだ。「天使」が私を愛してくれない事に、居たたまれなくなったのだ。だから…父の代から汚れた仕事を請負わせていたヘスに…「天使」を…引き取らせる事にした…」

 がっくりとうなだれたアドオルが、またもぼそぼそと口の中で呟き始める。

 貴族院オブザーバーとして貴族に傅かれて居るのとはまるで別人のような振る舞いに、議会はしんと静まり返ったきりだった。

「なぜ? 苦渋の決断だった。私はそれでも「天使」を愛していたし、信じていた。必ず、「天使」は私に微笑みかけて愛を語ってくれるのだと疑わなかった。だから…少しの間辛い思いをするかもしれないけれど、人間の薄汚れた様を突き付けられて、失望して、その上で私が差し伸べた手に縋ってくれるのだと…思った」

 だから。

「実験で生れた他の子供らと一緒に、あの廃屋に送った。欲望まみれの人間たちに散々抱かせた。淫猥に仕込まれても揺るがない蒼い目を、私はますます愛したが、「天使」は……私を見る度に……脅えた顔で……逃げようとばかりした…。それが恐くて、部屋の灯かりを落して、私は…「天使」がもっと堕落すればいいと…、何度も抱いたし、耳元で愛を囁いたが…「天使」は………一度も…答えてくれなかった…」

 恐怖しか、知らなかった。

 それだけか? と喉まで出掛かった台詞を、ウォルは最後に残った理性で飲み込んだ。

 たったのそれだけが理由なのか? と、許されるなら今すぐアドオル・ウインの横っ面を殴り飛ばし、空に放り出してやりたい気分だった。

 議会天井の「天使」に気も狂うほど恋をして、本当にその「天使」を造り上げ、手に入らないからと言って物のように扱う。

 それで愛して欲しいなど、よく恥ずかしげもなく言えたものだ! と噛み締めた奥歯で罵る言葉をすり潰し、ウォルはミナミに視線を転じた。

 ミナミは、いつも以上の無表情さでアドオルを観察している。

「愛していると言ってくれれば、何も起こらなかったのに…」

 呟いて、アドオルがふらふらと立ち上がった。

「それだけで、しあわせになれたのに…」

 それに、だろうか、ミナミがゆっくりと首を横に振る。

「私は、殺したいほど、お前を愛しているのに」

 懇願するようなアドオルの視線にも、ミナミは無表情なまま。

「愛していると言ってくれれば、私は……死んでもいいのに!」

「いやだ」

 ミナミが、小さく呟く。

「どんな理由があっても、絶対にそれだけは言わない。

 誰にも言わない。

 死ぬまで言わない。

 俺はお前の物じゃない。

 絶対にそうならない。

…死んでも俺は、誰のものにもならない」

 死んでも。

 生きても。

 もう、二度と、誰も、好きにならない。

「ファイランを愛してる。それで…手いっぱいだよ」

        

 あのひとの護る、この都市を。

      

 冷え切った静寂が降りる。

 緊張かもしれない。

 議会は、アドオルに更なる告白を望むべきか、陛下に閉廷を促がすべきか、周囲を窺ってばかりで決断を下せないように見えた。

 まだ、アドオルの告白は続きそうに思える。実際、この告発でウォルとミナミが何をしたいのか、静寂ののし掛かる室内の誰も判ってはいないようだった。しかし、中には「超重筒」という短い単語で聡くも明かされるべき真相に近付いた者もいたようだが、それを問い詰めるには、何か、重大な何かが足りなかった。

 ざわめきはない。

 息の詰まるような濃密な重圧。

 ふと、気付く。

 それは………………………どこから来ている?

 最初は誰だったのか。

 議員のひとりが、正面大扉をぎくしゃくと振り向いた。それが感染してしまったかのような重い動作で、次々、執行部席の議員も、被疑者席の容疑者も、アドオルも、ウォルも、ぴったりと閉じているはずの扉に視線を移動させる中、ミナミだけがふと天井の天使と悪魔を見上げる。

 ファイランを抱いた、天使。しかし天使が見つめているのは、漆黒の羽根を広げファイランと天使を護るように腕を伸ばした、悪魔。

 間違っていたのかもしれない。

 それでも、後には退けない。

 だからミナミは静かに長い息を吐き、凍り付いてしまった議事堂の中でたったひとり、全身で、いつの間にか開け放たれていた大扉に向き直った。

 開け放たれている。

 そして。

 佇んでいる。

 足首を叩くような緋色のマントを羽織り、倣岸に腕を組んで全てを冷たく見下ろす鉛色の瞳の魔導師と、その背後には、膝まで届きそうな長い腕を器用に組んで胸を反らし、霊長類の長、人間どもさえ睥睨する、異質で異様な鋼色の悪魔が。

 佇んでいた。

……………………いつからか。

「……また………なのか? またお前なのか?! やはりお前なのか! どうして、いつもいつもお前なんだ!」

 それまで惚けていたアドオルが、急に叫びながら被疑者席を離れて飛び出してくる。即座に反応した衛視がアドオルを取り押さえ床に叩き付けようとする、刹那、ハルヴァイトの肩先を躱して議事堂に踏み込んだ「ディアボロ」が、ウォルとミナミの側まで来たところでぴたりと動きを停めた。

 今日まで、「ディアボロ」というのはもっと知能の低い生き物のように「振る舞って」いたはずだった。猿のように不格好にしゃがみ、背中を丸めて肩を揺らしながらひょこひょこと歩き…。なのに今はどうか。威風堂々と議会の中央に進み出た「ディアボロ」は、グロテスクな眼窩で衛視を睨んで退去させ、床に這いつくばったアドオルをさも「憐れなもの」を見るような無表情で、じっと見つめている。

「…ヘスの裏切り「天使」は私から遠ざかってしまった。しかし、そこにいる事は判っていたのだ。だから…安心していた。傷が癒えたら迎えに行こうと思っていたのに、「天使」は直前、私の目の前から消えてしまったのだ!

 私は探した!

 血眼になって探した!

 なのに、「天使」は見つからなかった! なぜだ? なぜかだ! 誰かが私の邪魔をしているのだ!

 それでも私は探し続けた!

 そしてついに「天使」を城の通用門近くで見つけ、歓喜に全身を震わせた私を一瞬で失意のどん底に突き落としたのが、貴様だ! ハルヴァイト・ガリュー!!」

 跳ね起きてハルヴァイトに指を突き付ける、アドオル。しかしハルヴァイトは顔色ひとつどころか、表情さえも変えず、口角の泡を飛ばして喋るアドオルを見つめているだけ。

 無関心そうに。

「「天使」は私のものなのに、お前は勝手に攫って行った。しかも…しかも! 憎い事に。「天使」さえも憎い事に! 一度も私に微笑み掛けてくれようとしなかった「天使」が、お前にだけは…あの、脆く儚い笑顔を見せたのに、私は…気も狂わんばかりの怒りを憶えた!

 すぐにでもその場で縊(くび)り殺してやろうと思った。それで気が済むのか? いいや。私の落胆と失意はそんな生易しいものではない。だから、苦しめばいい。そのためには何が一番効果的か考えに考えて、そのうち、ヘスが0エリアから移送されて来ると聞き、それを利用する事にした。

 わざと防御システム接触騒ぎを起こして憎いガリューをおびき出し、その場でヘスを殺してガリューが容疑者として拘束されている間に「天使」を奪い返すつもりだった。

 なのに! だ。また貴様のせいで、「天使」は…事もあろうに登城させられてしまったのだ! 手も足も出ない私の苛立ちが判るか? 判っているのか?! だからだ…魔導師などみんな纏めて狂ってしまえばいいと、今度は「noise」を発生させたのに、それも…貴様だ…。お前だ、悪魔め! 私の造った魔導師を、簡単に、捻じ伏せてしまった! 

 何もかも上手く行かない。

 いつも邪魔をするのは、貴様だ…。

 だから私は…わたし……私は……………そう決まっていたから…、そうなのだから…「天使」を取り返すために………………ついに、姿を、現したのだ!」

 あはははははははははは!

 耳障りな哄笑とともに、アドオルは懐に手を突っ込んで何かを掴み出した。

「今度こそ邪魔させるものか! 誰にも、だぞ! 陛下にもだ! 私の望みが「天使」を手に入れて終わる思っている愚か者どもよ、私の本懐に巻き込まれる事を幸運だと思え!」

 アドオルが握っていたのは、何らかのスイッチらしい小箱だった。

「これを私が押せば、ファイラン中枢駆動系に仕込まれた爆薬が大爆発を起こす! それで…この都市は終わりだ…ひひひ。それで、私は「天使」と共に天上へ帰るのだ!」

 見せ付けるように突き出された小箱に視線を据えて、ハルヴァイトが、始めて表情らしい顔つきを見せ短く溜め息を吐く。それは、どうしようもなく呆れている、とか、付き合い切れない、だとか、ばかばかしい、だとか、そういう…つまり、そんなヤツを相手にしている自分に失笑しそうな顔つきだった。

 刹那。

 ハルヴァイトの左肩付近に小さな電脳陣が立ち上がり、ヒュン! と回転するなり爆散。散った青緑色の粒子が消えたのを確かめた「ディアボロ」が長い腕を伸ばすと、なぜか不意にその腕がぐにゃりと歪み、また刹那。伸ばした腕が元通り鋼の輝きを取り戻した時には、骨ばった手にいっぱいの…機械部品が握られていた。

 どこから取り出したのか。それは一体、何なのか。

「………………………雷管?」

 アドオルが中枢駆動系に仕掛けたのがいかなる装置なのかは定かでないが、「ディアボロ」は一瞬でその一部を外してしまったのだ。手の中の華奢な機械を砂糖菓子か何かのように握り潰し、関心なさそうに絨毯へ落とす、「ディアボロ」。実際それを「外し」「ここに持って来て見せた」ハルヴァイトはといえば、やはり、面白くなさそう、などという判り易い表情もなく、無言でアドオルを見つめている。

 クラバインに呼ばれた衛視がひとり、何か耳打ちされ陛下退室用通用口から急ぎ出て行く。それがきっと中枢駆動系を封鎖し仕掛けられているのだろう爆弾と思しき物を捜索に行ったと安堵して、議員どもは、背中を丸めてがくがく震えるアドオルに視線を戻した。

「天使……天使を殺すのだ…。そうすれば、天使は……他の誰の目にも触れられなくなるのだ…。だからだ。だから……殺す…。私がこの手で。至福の時を迎える。私だけの天使に…」

 両手で顔を覆い、ぎょろりと見開いた目で指の隙間から足下を凝視したままぶつぶつと繰り返していたアドオルが顔を上げ、胡乱な眼で左右を不安げに見回す。

「私の邪魔する悪魔をなぜお前らは許しておく? 無能な衛視どもめ! 取り押さえろ、それは悪魔だ! 悪魔だ! 悪魔だ!!」

 ハルヴァイトに指を突きつけたアドオルが、狂ったように喚き始めた。

「悪魔だ! 人殺しだ! 盗人だ! なのにどうして野放しにしている?! なぜ投獄しない?! どうして私の邪魔をさせる?

 平気なのか?!

 この都市の、この時に、あんな悪魔が、存在して、のうのうと、闊歩して、当たり前のように、暮らしてるのに、貴様等は、耐えられるのか!」

「……………お前は決定的に間違っている、ウイン」

 それまで…多分、ミナミやハルヴァイトよりも必死の思いでアドオルの暴言に耐えていた国王陛下が、ふと背後の「ディアボロ」を振り返って呟いた。

「創世神話の時代から、「悪魔」は最強の守護者だったはずだよ」

      

      

 刹那、議事堂天井いっぱいに巨大な電脳陣が浮かび上がる。青緑色に発光するそれは通常の電脳陣に比べ複雑で、円と、三角形だとか八角形だとか様々な図形の組み合わせだけで構成されており、しかも、回転しなかった。

 誰もが、恐怖に全身を竦ませて頭上を見上げる。弱々しく輝き続ける陣が何をしようというのか、元・電脳魔導師隊に所属していた議員さえ、見当も付かなかったのだ。

 判っているのはたったひとり、この陣を展開しているハルヴァイトだけなのか。

 ハルヴァイトが、歩き出す。注がれる恐怖の視線も驚愕の表情も全て緋色のマントで捌きながら、まるでそれらが到達出来ない場所にでも居るように、無関心に、ミナミとウォル、その背後に控えた「ディアボロ」を躱し、驚嘆し悲鳴を上げそうな顔でハルヴァイトを見ているアドオルに向かって…。

 彼が一歩進むたび、天井付近で展開されている巨大電脳陣の周囲に、真白い荷電粒子を纏った小さな(…と言っても、直径一メートルはあろうか)陣が次々出現しては、こちらは通常と同じに高速回転を始める。その数、数十。普段ならば現実面への干渉現象が極めて少ないはずの電脳陣が密集して稼動しているからなのか、議事堂の内部には地の底から滲み出してくるような薄気味の悪い唸りが鳴り響いていた。

 空気が振動している。

 肌の表面で陣の稼動を感じる。

 ひりひりするような緊張も。

 冷たい汗が刹那で蒸発し、気化熱で身体が震える。

 恐ろしいだけではない。

 畏れ敬い貴び忌むべき、鋼の悪魔、ハルヴァイト・ガリュー。

 最強、最悪の…。

 守護者だ、とファイラン国王は、言った。

 アドオルまで後数メートルという所まで進んだ時、緋色のマントを左手で跳ね上げたハルヴァイトが、踏み込んだ右足で絨毯を掴む。

 マントを跳ね除けた左手は、固く握り締められている。肩よりも後ろに流していた拳を、青ざめて後退りするアドオルを無関心そうに見つめてから、開く。…………途端、上空に鎮座していた巨大な陣が一瞬で爆縮し、他の小さな陣を巻き込んで突如消えてしまったのだ。

「? あ…………あははは! 何をふざけ…!!!!!!!!!!!!!!」

 あはは。と笑いながらハルヴァイトを指差したアドオルの表情が凍り付く。

 見つめる、鉛色の瞳。無関心に。しかし「悪魔」は、これ以上ない程にお怒りだった。

 ハルヴァイトの握った左の拳が、漆黒に青緑を混ぜた炎を纏っている。轟々と燃え上がるそれに潜在的な恐怖を掻き立てられたのか、アドオルは笑い顔のまま悲鳴を上げようと、大きく息を吸い込んだ。

 それは、まるで「ディアボロ」と同じ。

 後ろに引き付けていた掌を、身体を沈めて自分の足下に叩き付ける。

 それで、炎は消えて議事堂に安堵の溜め息が洩れかけ、ミナミを含む一部だけが、呼吸も忘れてハルヴァイトの背中を凝視していた。

 アドオルが、やっと悲鳴を上げた。

 真っ黒な…………………数字の羅列で。

 大きく手を広げたアドオル・ウインの耳から、眼から、鼻から、口から、煤のように真っ黒な炎が猛烈な勢いで吹き出してくる。ともすれば滑稽になりそうな姿だったが、声のない非現実さがあまりにも異様過ぎたのか、誰も、悲鳴も笑いも漏らせなかった。

 いや。アドオルは喉も張り裂けろと悲鳴を上げていたのだ、その時。しかしそれさえ結局「データ」であって、だから、口から吹き出す炎から火の粉のようにぽろぽろと床に落ち、滲むように消えて、音声としては捉えられない。

 炎は、尚もアドオルを「分解」しようとしている。いつの間にか毛穴からも細く漏れ出し、衣服を通り抜けて、アドオルの全身が黒く発光している錯覚さえ起こさせた。

 燃え尽きる。のではない。「消去」でも…ない。

 ハルヴァイトは、忘れていなかった。判ってもいた。ミナミがハルヴァイトを拘置棟に拘束させた理由を。…誰も殺して欲しくない、と懇願し、細い腕に抱き締められたのを。

 ついに、アドオル・ウインの天を突くように伸ばされていた腕、その先端が漆黒の文字列になってもろもろと崩れ始めた。その文字列は、足下から立ち登る渦巻くような風に巻き上げられて、頭上にひとつだけ出現した青緑色の電脳陣にはらはらと吸い込まれて行く。

 議事堂の中を、今度こそ本物の「畏怖」が占める。

 ハルヴァイトが本当は何をしているか、理解している議員はひとりもいないだろう。それでも、例えば電脳魔導師でなくても、今ハルヴァイトのしている事が常識の範疇どころか、非常識の範疇にさえ入らないのではないか、というのだけは、誰にも解った。

 固唾を飲んでアドオル崩壊の様子を凝視している議員どもを一度見回し、それから、被疑者席でがくがく震え蒼白になっている矮小な人間どもを睥睨したハルヴァイトが、踵を返し大扉に向かって歩き出す。その背後で、最早原形を留めていない元・アドオル・ウインであった黒い文字列、最後の一個が青緑色の陣に吸い込まれ、一呼吸、その中心からエメラルドグリーンに煌く一枚の「臨界式ディスク」が吐き出されて、ぱさ、と…毛足の長い絨毯に抱き留められた。

 ハルヴァイトが、無言でミナミの肩先を躱し歩き去る。それを停めるでもなく、振り返るでもないミナミが微かに溜め息を漏らした時には既に、ハルヴァイトの後ろ姿は回廊の暗がりに消えていた。

 そして、開け放たれている大扉を「ディアボロ」が恭しい手つきで閉じ、議事堂にはまた、重苦しい沈黙が降りる。

「……ああ…かわいそうにね、ウインも。もうちょっと言葉遣いに注意していれば、こんな…情けない姿にされなくて済んだのに」

 被疑者席に近寄りつつ、ウォルが溜め息のように呟く。

「信じられる? お前たち。ウインは「生きてる」んだよ、この中でね。悪魔の怒りを買ってしまったから、こんな姿にされたけれど生きてるんだ。例えば、僕に記憶の一片まで閲覧され笑われても、ウインにはどうする事も出来ないけれどね。

……僕の言いたい事、判るかい?」

 拾い上げたエメラルドグリーンのディスクを顔の前に翳したままでウォルは、被疑者席の前を行ったり来たりした。

「ガリューには、いつでも出来るんだ、このくらい。ただ、面倒だからやらないだけ。…普段は命令なんて利きもしないヤツだけれど、今なら、喜んでお前たちの事も「ディスク」に焼き付けてくれると思うよ?」

 酸欠の魚みたいに口をぱくつかせる被疑者席を漆黒の瞳で見回してから、ウォルはクラバインを寄せて全員を一旦拘置棟に移すよう指示し、かなり乱暴な手つきで「アドオル」を衛視長に渡した。

「さて、予想外のオチで僕もかなり驚いたが、この議会をどうにかしないといけない。

 まず、アイリー。ウインはあの通り、全ての記憶と情報を「解析」されるしかない「囚人」になった。これでいい?」

 ミナミはウォルの問いかけに、小さく「はい」と答えた。

「正直、ウインの「扱い」には僕も満足だよ。だって、いちいち事情聴取のたびにあの耳障りな声で演説されて、それに耐えなければ知りたい事も聞けない、なんて、どっちが取り調べされているのか判ったもんじゃない」

 やれやれ、と肩を竦めたウォルの言い方に、微か、議員席から笑いが洩れる。

「議会議員に名を連ねる貴族たちに、国王として宣言する。

 本日この場を持って貴族院を解散。アドオル・ウインに通じていた者は、潔く僕の元へ直々に出頭すべし。

 次期貴族院議員の指名は四十日以内に行い、新体制の発足は本日より四十五日後と決める。……以上が、本日の議会議事の全てだ」

 いきなり始ったウォルの宣言に、議員の誰もが呆気に取られた。

「安心するといいよ、お前たち。いくら僕でも、貴族院議員全員を総入れ替えするほど己惚れてはいないから。ウインの件で今後貴族院が荒れないとも限らないからね、とりあえずは解散する。…次期貴族院には、不祥…………王位返上以降消息不明の先王を探し出して参加させるから、そのつもりでいろ。アドオル・ウインの犯した罪は明らかな罪だが、それを防げなかった我が父君にも罪はあり、地位と責任を継続した僕にも等しく、償わなければならない罪がある」

 きっぱりとそう言って一度言葉を切り、ウォルは議事堂中央に据えていた中継カメラに向き直った。

「…本日、議会傍聴という形で参加した王城に居る全ての者に、ウォラート・ウォルステイン・ファイランW世より、一言申し述べる。

 何もしなかった者どもは、だったら、最後まで絶対に何もするな。流言蜚語に惑わされず、自らの眼で見て耳で聞き、確かめた上で、何もするな。それが、「何もしなかった」者の勤めだ。

 そして、図らずも自ら軍規さえ振り切って何かしてしまった者どもは、最後までこの騒ぎに付き合え。どんな結末になろうとも、それが「何かしてしまった」者の勤めだ。

 僕は全ての王都民を誇りに思う。

 今この時このファイランに於いて生きる全ての「ひと」を誇りに思う。

 だから、判って欲しい。

………………浮遊都市とは、空を漂うものなのだ…。創世神話の時代から、天使と悪魔に護られて、ね」

 言ってなぜか国王陛下は、茶目っ気たっぷりにウインクして見せた。

  

   
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