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 自分の取る行動はもっと違うのだと、さっきまでは思っていた。

 まさかここでありきたりに「怒って」しまえるとは、思ってもいなかった。

 でも、本当に怒っていた。というよりも、この盛大な暴挙を何もしないで見逃したらこれから先どうなるのか不安なので、何かしておこう、という所だろうか。

……ミナミは…、どんな気持ちで城詰めの衛視になったのか。

 どんな気持ちで議会の証言台に立ち、あの男の告白を聞いたのか。

 わたしはそれを「判ってやろう」とは思わないし、それが出来るなどと己惚れてもいない。ミナミはミナミで、わたしとは考え方も感じ方も違い、その上でわたしはミナミを必要としているのだから。

 だから、傍にいて欲しいと思う分だけ、傍にいてやろうとも思う。

 ミナミがそれでいいと言うなら。

 ウインが「天使」に抱いた歪んだ情欲の最終目的として「共に滅びる」ため、ミナミがファイランに降りたというならば、わたしは、ミナミをミナミとして「その時まで共に生きる」ために護り通そう。

 穏やかに生きられればそれでいい、などという甘い事はもう抜きで。

 傷付いても傷つけられても、全て許せるように。

      

      

 肝心な言葉が、データになってしまわないうちに…。

   
   
(15)ハルヴァイト・ガリュー(A)

  

 本丸王下特務衛視団詰所、通称「特務室」の中は、不思議な緊張と困惑に支配されていた。

「それで、レジー。お前、これからどうするつもりだ?」

 とはいえ、顔を引き攣らせて周囲の様子を窺っている、何がどうなっているのか判らない部外者ではない、騒ぎの渦中にいるヒュー・スレイサーには、室内の緊張も困惑もまるでお構いなしなのだが。

「どうって…、帰るよ、家に」

 それからもうひとり、あまりにも衛視の制服が似合い過ぎで、ヒューのデスクにやる気なく頬杖を突いている姿も様になり過ぎで、特務室勤務ならば違和感あるのに、本丸の誰も彼を「まさか部外者」だとは思っていないレジーナ・イエイガーが、どうでもいいように素っ気無く答える。

 結果、特務室の面々は、大いに困惑していた。

 昨日深夜に呼び出され、本日の臨時議会開催を室長に告げられて、そこで「特務室の華だ!」と誰もが信じて止まないアイリー次長の過去だとか、現在だとか、かなり衝撃的な内容を事前に教えられ、その上で、レジーナ・イエイガーという謎の元・衛視の指示に従えだとか言われ、…まぁ、それはいいとして…、とにかく、たった十二時間あまりでめまぐるしくいろんな事が起こってしまって、何をどう理解しふんぎりを付け、どうやら事態の推移を知っているらしいヒューにどうやって質問を繰り出せばいいのか、そもそも、この、室長の次くらいにキツい事を平気で言う警護班の班長に何かを問い掛けていいものかさえ、悩んでいたのだ。

 しかし、ヒュ―とレジーナは、そんな衛視質に注意も払っていないのだが。

「家って…どこの?」

「家だよ。工房付きの」

「……というかお前、この際だから一度クラバインときっちり話し合った方が…」

 かなり真剣にレジーナの眼を覗き込んだヒューに、彼は一瞬当惑したような顔を晒した。

「…それ、もういいんだ。もう判った。でも、なんだろうね、勢い? かな。ぼくがここを追い出されて、でも、もう判ったから帰って来ます、じゃ、追い出したクラバインだとか、黙って出て行ったぼくだとか、…ドレイクとか…ハルも含めて…、決まり悪いじゃないか」

 悪過ぎる。

 しかも、極めて。

 それに、恐ろしくて言えない。

 クラバインがレジーナを遠ざけてまで守ろうとした陛下の秘密を、ミナミがあっさりバラした、などと…。

 しかし、レジーナはそこで思った。

 もしかしたら、ミナミ「だから」それも許されるのではないだろうか。無表情に世界を観察し、秘密であるべき秘密を秘密として、明かされるべき秘密を公然の秘密として、それから、くだらないこだわりやわだかまりをくだらないと言って許されるのは、ミナミがミナミであるからなのだ、きっと。

…ハルヴァイト・ガリューの「ついで」に、ファイランを愛した、ミナミ・アイリーだから。

「でもやっぱり、ぼくは帰るよ…。ここはミナミくんの居ていい場所であって、今更、ぼくのしがみついていい場所ではないから」

 デスクを肘で押して身を起こし、レジーナは立ち上がった。

「ヒュー。陛下とクラバインに「お騒がせしました」って伝えて…」

 と、レジーナがそこまで言い、ヒューがそれに食い下がるべきかどうか迷った刹那、いきなり、特務室のドアが物凄い勢いで蹴り開けられた。

「?! …………ガリュー! お前…」

 一瞬ぎょっとしたものの、すぐに意識を取り戻したヒューが全身でハルヴァイトに向き直る。それこそ彼もドレイクやアリスと同じに、まさかまだハルヴァイトがここで躓いているとは思っていなかったのだ。

「何してる、ミナミなら…!」

「待て! ヒュー!!」

 命知らずにもハルヴァイトに詰め寄ろうとしたヒューを、俄に青ざめたレジーナが引き止めようとする。しかし、その手を振り払ったヒュー・スレイサーが入り口付近に佇むハルヴァイトの間合いに入った途端、今更ながら「城中のお節介に対して普通に腹を立てている」最悪最強の「悪魔」は、問答無用で、王下特務衛視団警護班班長の胴体を真横に…蹴り払った。

 一応、ヒュー・スレイサーの沽券に掛けて付け加えておくが、ヒューはハルヴァイトの重心が後ろに流れた瞬間、咄嗟に握った右の拳でボディをガードしていた。が、手加減なし、しかもヒューの予想より長いリーチと嘘みたいな速度に虚を衝かれて、身体ごと真横に吹っ飛ばされてしまったが。

 それで、特務室内は殆どパニック状態に陥った。

 あからさまに「機嫌の悪そうな」ハルヴァイトが警護班の班長を蹴飛ばし、その勢いのまま、唖然とする衛視たちを威圧しつつづかづかとレジーナに向かって突き進む。そして、当のレジーナはなぜか…呆気に取られたような顔でじっとハルヴァイトを見上げているばかりで、逃げようとか、話し掛けようとかさえしない。

 正直、レジーナは本当に驚いていた。

 何せ、彼の知るハルヴァイトは、つまり医療院でミナミを見かける「前」のハルヴァイトなのだ。その頃のハルヴァイトと来たら、何か気に入らない事があってもちょっと溜め息を吐くか、当事者を殴り倒して知らん顔しているか、という……究極に手の掛かる不良のお手本みたいな少年だった。今朝、自宅から拘置棟に連行してくる時は蒼い顔をして俯いた切り押し黙っていたので気付かなかったが、まさか、あのハルヴァイトがこうも明確に「怒ってる」と誰もが判るような顔つきで特務室に殴り込んで来るなど、レジーナには想像も出来なかった。

 呆気に取られているレジーナの正面に立ったハルヴァイトが、一度だけじろりと彼を見下す。

 なぜかその時レジーナは、ハル…また背が伸びたな。と、とんでもなく的外れな感想を抱いていた。

 判っていたのか。ハルヴァイトが、なんのためにここを訪れたのか。

 それが……ハルヴァイト・ガリューの「常識」なのだから。

 レジーナがそう思った途端、痛烈な一撃が頬で炸裂し、天地が引っくり返り、彼は壁際のソファに叩き付けられていた。

 身動き出来ない周囲を無視したハルヴァイトは大股で部屋を突っ切り、室長室のドアを乱暴に開け放って向こうへ消えてしまう。それを見送り、はっとして、今度はおろおろし始めた衛視たちにレジーナはなぜか、頬をさすりながら…くすくす笑って「いいよ。なんでもない」と告げた。

「…何がなんでもないんだ! レジー!」

 脇腹を抑えて苦しげに悲鳴を上げたヒューが、若い衛視に助け起こされて立ち上がる。それにちょっと困った笑いを向けてからハルヴァイトの消えたドアに視線を移し、レジーナは短い溜め息を漏らした。

「しょうがないじゃないか、ヒュー。ぼくらは、勝手な事をして…ハルを「怒らせて」しまったんだから…」

 怒らせてしまった。

 憎む事か、無視する事しかしなかったハルヴァイトを、怒らせてしまった。

 本当に。

 怒っているのだ、ハルヴァイトは。

         

 ミナミを、取り上げられそうになって。

       

 レジーナは、口の中でそう呟き、くすくすと笑った。

      

     

 議事堂へ続く廊下の途中、陛下控え室にドレイクたちが駆け込んだ時、そこでは、呆気に取られて床に尻餅を突いているウォルと、その傍らに膝を突いたクラバイン、それから、レジーナとヒュー、ギイル、グラン、ローエンスが……一様に頬を腫れ上がらせ顔を見合わせていた。

「てか、俺たちが最後か。スレイサー衛視が無傷に見えんだけどよ、それって…不公平じゃねぇのか?」

 にやにやしながら飄々と言うドレイクに剣呑な視線を突き刺し、すぐに溜め息を吐いたヒューが、しきりに脇腹をさする。

「俺だけが中段食らって吐きそうなのは、不公平じゃないのか?」

 それを聞いて、アリスが吹き出した。

「まさか僕まで殴られるとは思ってなかったよ…。ガリューめ。後で酷い目に合わせてやる」

 ぶつぶつ言いながら頬に手を当てるウォルに視線を向けていたドレイクが、クラバインに手で、下がれ、と短く命令。それを多少不思議そうな顔で受け取ったものの、陛下に仕えるのと同じにドレイクに接している衛視長は、黙ってウォルから離れた。

「もういいだろ。俺たちゃぁやり過ぎるくれぇやった。それでハルは腹を立てた。それだけだろうよ」

 それだけ。

 後は、ミナミがどうにかする。

 城中を巻き込んだこの騒ぎにミナミがどういう決着を付けるのか興味はあったが、邪魔をしてはいけないのだと自分に言い聞かせて、ドレイクは床に座り込んだウォルに手を差し伸べた。

 一瞬黒い瞳でドレイクを見上げ、それから、自然に手を重ねて立ち上がったウォルが玉座に戻る。黒を銀糸で飾った議会出席用の衣装に身を包んだ国王陛下は、赤い唇に苦笑を浮べ、事情を知る者とそうでない者が入り混じった室内をゆっくりと見回し、その終わりを、玉座の傍らに立ったまま自分の手を握っているドレイク・ミラキ卿で締めくくった。

 何か言いたげな漆黒の瞳。

 何が言いたいのか判っている上で向けてはくれない、灰色の瞳。

 判っている。

 ここで、ウォルは陛下として、ドレイクに何かを問い掛ける事は出来ない。

 だから彼は冷然とした美貌に微かな落胆の色を落し、ドレイクの手を放そうとした。

「クラバイン。俺に、衛視の人事に干渉する権限はねぇ。ただし、そいつが…魔導師隊に絡んでくるとなりゃぁ、話は別か?」

 と、ドレイクは、ウォルの手を放さずに握り返し、背後に控えたクラバインを軽く見遣って…薄く笑ったのだ。

 自信たっぷりに。堂々と。……上に立つ者の余裕を見せて。

「事と次第によっては」

 答えて、クラバインも薄っすらと笑みを零す。

「判った。じゃぁ、命令だ。電脳魔導師隊大隊長グラン・ガン、及び、一般警備連隊代表ギイル・キース。

 本日の臨時議会における、ミナミ・アイリーによるアドオル・ウイン告発に関連して動員された全ての魔導師隊小隊、一般警備連隊に適用される「軍規」違反は、王都警備軍最高決定機関第一位ドレイク・ミラキの名において、不問。

 当事者として拘束されていたハルヴァイト・ガリュー及び電脳魔導師隊第七小隊、予備魔導師であるイルシュ・サーンスについては、議会におけるミナミ・アイリーの告発に関係するものとし、一時活動停止を命令。追って処分の通達があるまで、自宅謹慎。

 以上が、本日この場で………………俺と陛下の共犯になっちまったおめーらに俺が…つまりよ…」

 で、ドレイクは、ぽかんとするギイルやスーシェ、ヒューなどの、ドレイクが何を言っているのかさっぱり判らない連中を見回しながらにやにや笑い、こう、付け足した。

「幸運にも惚れた相手が陛下だったってそれだけで、警備軍で一番偉そうにしていいつわれちまった俺かれあの、ささやかな命令なんだがな?」

 王都警備軍最高決定機関第一位とはつまり、王都民と陛下を護り通す警備軍で、一番偉い人の持つ称号なのである。

「………………というか、ドレイク…。ここで騒ぎを増やしてどうするんだ? お前…」

 ウォルは呆れて、少し困ったように眉を寄せ、ぎゅっと…ドレイクの手を握り締めた。

  

   
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