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11.ホリデー モード      

   
         
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 受け取りのサインをお願いします、と差し出されたディスクとボードから、それを差し出すにこにこ顔の衛視に視線を移し、王都警備軍一般警備部第三十六連隊ギイル・キース連隊長は、太い眉の下に居座る瞳を眇めた。

「アレか? 数日振りの特務室命令だってのに、スレイサーの野郎はおれ様の顔見んのをボイコットでもしやがったっての?」

「え? あぁ。班長は今日おやすみです。というか、…「あの騒ぎ」以降特務室も色々混乱してますし、貴族院再編絡みで陛下も城から頻繁に外出なされたりで、班長、しばらくまともなお休みを取ってなかったものですから、今朝方ついに眩暈を起こして室長に退室命令を食らったんですよ」

 あの騒ぎ。

 貴族院解散にまで及んだアドオル・ウイン事件から、既に四日。電脳魔導師隊第七小隊はまだ自宅謹慎を解かれず、しかしそれ以外の軍規違反者…当然、三十六連隊を含む…は、匿名の「王都警備軍最高決定機関第一位」によって軍規違反を不問に処され、結果、ギイルや、班長ことヒュー・スレイサー、電脳魔導師隊第九小隊のスーシェ・ゴッヘルは、通常任務で今日も城に詰めている。

「特務室ってのはさ、身体壊さねぇと休み貰えねぇの? 出世なんてするモンじゃないね」

 などと豪快に笑いつつ、ギイルは受け取りのボードにサインを書き殴り、ほれよ、と若い衛視にそれを投げ返した。

「今回の班長は特別ですよ。…次長は登城なされない、室長も貴族院再編人事で殆ど休みなく貴族の屋敷を訪ねたりしてますから、結局、陛下の護衛と細かい雑務を受ける席が…空いたままで」

 クラバイン・フェロウという衛視長が不在なら、特務室には次長…ミナミ・アイリーがおり、陛下のお供を勤めたり部下に指示を出したりするのだ。しかし…。

(…まぁ、今考えりゃぁさ、ミナミちゃんは陛下と一緒に居て、涼しい顔で突っ込んでただけなんだろうけどな)

 それでも、抜群の記憶力と意外に後先考えない判断力は特務室向きなのかもしれない、とギイルは、退室する衛視にひらひら手を振りながら思った。

 だから、ミナミは「自分の秘密」を晒されてもこのファイランを愛そうとしたのだ。

 短い溜め息で、早く戻って来ればいいのに、と言いたいのを抑え込んだギイルが、受け取ったばかりのディスクを端末のスロットに差し込む。

「つーか。おい、そこで中覗いてるウチの部下ども! 何か用事か?」

 細く隙間の作られた、連隊長室のドア。そこに見え隠れする無数の目が…ついに煩くなったギイルは、デスクに頬杖を突いてにやにやしながら「入れよ」と言い足した。

 で、てへへ、などと照れ笑いしつつ、何人もの部下が入室して来る。

「なんだ? 借金の申し込みならお断りだぞ。金絡むとロクな事ないからな。それ意外ならなんでも相談に乗るけどな、おれの人生経験じゃ「腹の立つやつぁ殴れ」程度しか…」

「………連隊長、アイリー次長だとか、第七小隊の連中だとかがどうなったか、ご存知ないんですか?」

「……やっぱそれなのね」

 モニターに映し出された命令書に視線だけを向け、ギイルが弱ったように呟く。

 あの騒ぎの折、三十六連隊が軍規違反をしでかしたのは、ひとえに、議会中継を見た部下がギイルに何の相談もなく勝手に司令の命令を蹴って執務室を飛び出し、第七小隊を逃がそうとした事にあるのだが、途中、イルシュ少年を連れて単独第七小隊に合流しようとしていたギイルを見つけた部下たちは、口々にこう言ったのだ。

       

 アイリー次長は笑ってなくてもいいけれど、ああいう風に、辛い顔だけはさせたくありません。

      

 デフォルトで無表情。突っ込みが厳しく、でも、誰よりも綺麗。滅多に笑いもしないが、怒ったりしても表情が大きく動くことはなく、つまり、無表情。

 でも、ミナミを知る者なら一度くらいは見た事があるはず。

 柔らかで穏やかな笑み。ふわりとした、溶けてしまいそうな儚い微笑み。誰も彼もそれに惚け、見とれ、それから、気付く。

 その笑みが、ハルヴァイト・ガリューという「恋人」に向けられているのだと。

「激務続きでスレイサーがダウンしたってぇからな、そろそろ何か動いても良さそうなモンだが、沙汰を下す陛下がまず貴族院の再編で忙しいと来てる。逆に、この忙しい最中ミナミちゃんを呼び戻さねぇってのも、ちょっと………」

 ねぇ。と最後を溜め息と一緒に吐き出して、ギイルはディスケットからディスクを抜き取り、それを懐に突っ込んだ。

「悪ぃ、急用で退室する。緊急ん時だけ呼び出せ、それ以外は邪魔すんなよ?」

 に。とわざと笑って見せたギイルに、部下達が剣呑な視線を向ける。

「どこ行くんですか? 連隊長」

「いひひひ。ビジンのひめさん口説きに行くんでしょ。邪魔なデリなんか自宅謹慎だし」

 チャンスだー。と意味不明のガッツポーズを取りながら、ギイルは執務室を後にした。

     

     

 外出していたアン・ルー・ダイが、城に隣接する官舎に戻ろうと通用門の前を横切る。

「アンくん!」

 丁度、おかしな時間に通用門が開いた、と少年がなんとなく首を巡らせた刹那、そこから出て来た人影に声を掛けられて、アンは立ち止まった。

「あれ? スゥさん、今から…どっか行くんですか?」

 少年に声を掛けたのは、青い制服も眩しい魔導師隊の事務官、スーシェ・ゴッヘル。彼はいつもと同じ穏やかな笑みを浮かべて軽く手を挙げてから少年に近寄り、小さく首を横に振った。

「帰るんだ。さっき特務室から自宅に戻るよう指示が出てね。詳しい事は、家に帰ってデリに聞け…って、妙な命令だったけど」

「? それは…確かに妙ですね」

「君は?」

 不思議顔で問われて、あ。とアンが、ちょっとはにかんだように笑う。

「お買い物です」

 てへへ。

「自宅謹慎じゃなかったの?」

 色の薄い金髪をぱりぱり掻くアンに含み笑いを向け、スーシェがわざとのように言った。

「不足してた食料品の買い出ししとかないと、餓死します」

 その割に手ぶらなのは、品物を官舎の受け取りに配達させたからだろう。別にアンの外出を本気で咎めようと思った訳ではないので、スーシェもそれには頷き返しただけだった。

「それにしても、なんなんでしょう、家に帰れ、なんて」

「……それなんだけどね、アンくん…。もしかして、君のところにも何か指示が行ってるんじゃないの? ……そろそろ、呼ばれてもおかしくないだろう?」

 言われて、一瞬アンが緊張したように顔を強張らせる。

「そうですね。じゃぁ、急いで戻らないと」

 すぐに相好を崩した少年が、いつもと変わらぬ屈託ない笑みでスーシェに答えた。

 その笑みを、スーシェは少年の健やかな気持ちの現れだと思った。スーシェはドレイクの厚情で軍規違反を不問にされたものの、彼の伴侶であるデリラ・コルソンは第七小隊所属で、今回、何らかの処分を下されるらしいのだ。今は自宅謹慎中だが、最悪、一般の警備兵に降格されるかもしれない。

 そうなればきっとデリラは、…一般警備部で問題を起こし、「居られなくなって」電脳魔導師隊に拾われた彼は、警備兵で居る事を辞めるだろう。

 それを気にしているのだ、少年は。

「……………スーシェさん」

 じっと見つめてくるライトベージュの瞳に居心地が悪くなったのか、アンはもじもじと俯いてスーシェの名を呟いてから、ぺこりと頭を下げた。

「いろいろ、すいませんでした。

 あれから少し考えて…、…ぼくらは…、騒ぎを起こした張本人だし、それなりの覚悟もあったけど、スゥさんは…」

 階級を返上し、魔導機に稼動制限があるにも関わらず、攻撃系魔導師不在の第七小隊のために、かの「スペクター」を顕現させたスーシェ。それについて処分はなかったが、謹慎で自宅に引きこもるより、風当たりは強い。

 何せ、あってないような事態だったのだ。あの不可視の魔導機が動くなどというのは。

「「スペクター」を出したのは、デリのためというか、ミナミくんのためというか……本当は、自分のためだったんじゃないかって思うよ。僕は、ね。

 過分な魔導機を怖がっていたのは僕で、でもあの時、それまで遠ざけようとしていたのに、「スペクター」は僕の頼みを聞いてくれた。恥ずかしい話、そういう風にちゃんと意思を持って接すれば、彼らは誠意を持って答えてくれるんだって、やっと判った気がする。

 ヘイズ小隊長はさすがに拗ねてて、僕が魔導師に復帰したら模擬戦闘一番乗りだって息巻いてるけどね」

 気楽に笑って見せたスーシェだったが、アン少年は不安げな表情のまま。

「…………誰かに「やらされた」なら君の申し訳ない気持ちは当然だし、僕だってこう晴れやかな気持ちにはならなかっただろうけど、あの時は、みんな自分でそう決めて行動したんだから、気にしなくていいよ。

 それで、ミナミさんがガリューのところに戻って、………君たちには悪いけど、デリが降格にでもなったら、僕としては万々歳だしね」

 スーシェはそこで、いたずらっこみたいに口の端を引き上げた。

「一般警備兵は二十四時間交替なんだ。一日おきに家に居てくれるなんて、夢のようだよ」

 一日勤務。一日休日。四日勤務。二日休日。魔導師隊のシフトでは、すれ違い始めたらなかなか同じ休日がやって来ず、第七小隊は…シフト無視の筆頭だったのだ。

「少し幸せ、なんてレベルじゃない」

 大いに幸せだ、スーシェの場合。

 やっと、アン少年が吹き出す。

「ずっと訊いてみたいと思ってたんですけど、スゥさん……なんで、デリだったんです?」

 アンは水色の瞳をきらきらさせて、いきなりそんな事を言った.

「なんでって……なんでだろうね。僕にも判らないよ。ただ、気がついたら、…デリがいない自分の人生なんてないんだな、と思ってた」

 そう言って、スーシェはほんのりと微笑んだ。

  

   
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