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11.ホリデー モード      

   
         
(2)

  

 スーシェと別れて、頼んでいた荷物を受け取り七号官舎へ戻る。ここは貴族用ではなく、一般兵も暮らす独身者用だった。

 受付で職員に挨拶し、エレベーターではなく階段に爪先を向ける。

 正直、あの狭い箱の中で誰かに会うのが面倒だったのだ、アンは。

 彼は……………。

 謹慎になってからはある意味スーシェよりも風当たりが強かった。何せ、ダイ系第八位の三流貴族、と言われているのに、先日の騒ぎで事もあろうかダイ家の長子を医務室送りにしてしまったのだ。どこにでもいる貴族の取り巻き連中は、鬼の首を取ったような勢いでアンを眼の敵にし始めた。

 別に、それにはどうとも思わない。

 ちょっと不快ではあるが、そんな細かい事を気にしていては強くなれないし。

 外で暮らす手もあったが、電脳魔導師準修士という見習い階級のアン少年の収入は、彼の同僚であるデリラよりも少ない。その中から家に仕送りし、家賃を払って生活する、となると楽ではないし、まず官舎は城から近い。ルー・ダイ家唯一の魔導師としてみっともない生活だけはするな、と兄に言われているので、だったら、官舎にいて普通に暮らした方がいいだろう、というのが、アンの出した結果だった。

 楽ではない。この生活だって。

 今回の一件で、ますます自宅は居心地が悪くなった。

 どこに行っても、何か……冷たい視線に………。

 はぁ。と短い溜め息を吐いて階段室から廊下に出た途端、三つばかり向こうに見えるドアが急に開き、中から、ジョイス・エルノという若い警備兵が顔を出した。

「おや。……大魔導師のルー卿がいるぜ、みんな」

 にやにやと口元にイヤな感じの笑いを貼り付けた細面のジョイスが、今出て来たばかりの室内にいるだろう仲間に手招きしながら、アンの前に立ちはだかる。

「…イヤならほっといてくれればいいのに…」と思わず舌打ちしそうになりつつも、アンは涼しい顔でその前を横切ろうとした。

 すると、室内から出てきた数人が、更にアンの行く手を阻む。

「おいおい、そんなに急がなくてもいいじゃないか、ルー卿」

「………。急いでるんです、通して貰えませんか?」

 腰に手を当てて身を屈め、小粒なアンの顔を覗き込む、ジョイス。微かに眉を寄せてそのジョイスから視線だけを逸らしたアンがぎくりと背筋を凍らせたのは、少年を囲んだ警備兵の向こうに、見知った…………従兄弟の顔を見つけたからだった。

「タイス…」

 タイス・ダイ。自身は一般警備部勤務の警備兵だが、彼の兄こそが……先日アンを見くびって大恥をかいた、マイクス・ダイなのだ。

 マズイ所でマズイ相手に出くわした、とアン少年は、奥歯を噛み締めた。

「お前が謝りに来ないから、おれが来てやったぜ、アン」

 さも面白くなさそうなタイスの声にも、アンは答えない。

 あの騒ぎの後、マイクス自身からは何のアクションもなく、ダイ家に執事として仕えているアンの長兄からも、何か問題が起こった…率直に言うなら、クビになった、という連絡もない。なのに、この、自分には才能がなく魔導師になれなかった弟だけが、兄に対する行為を許せない、とアンの所に電信を入れて来て、許して欲しかったらおれの所に来て土下座しろ…と、横柄に言ったのだ。

 当然。アンはそれを無視。

 彼は、悪い事をした、などとこれっぽっちも思っていないのだ。なぜ土下座する必要がある?

 で。これだ。

「粘着質だなぁ…意外に。ダイの家系って、割と根が暗いのかな」

 思わず口の中でぼそぼそ呟き、アンは溜め息を吐いた。

「ぼくは謝らなくちゃならないょうな事、してない。しかも、相手がマイクスなら少しは考えるけど、君には、本当に何もしてないじゃないか」

「にいさんを辱めたろ!」

「ぼくは、やめてくださいって警告したよ」

 した。まさか、ドレイクが攻撃する、とまでは言わなかったが。

「うるさい! 三流で、無能で、どうやってミラキ卿に取り入ったのか知らないけどな、お前がにいさんに勝てる訳なんかないんだ!」

「……。貧乏貴族まではいいよ、本当の事だから。見栄張る気もないし。でも、ぼくを…三流だとか無能だとか言うな。ぼくは……………三流でも無能でもない!」

 アンは、腕に抱えていた荷物を床に投げ捨て、タイスを睨み返した。

「ガリュー小隊長とドレイク副長がそう言ってくれた。あのひとたちは、嘘を言わない。だからぼくは、何があっても、三流で無能のままいちゃダメないんだ。そのままだったら、小隊長や副長が嘘を言った事になる。…だから、それだけは、絶対に出来ない!」

 嘘と体裁では付き合えない。

 アン少年は、そこでふと思った。

「……始めは、ぼくを見下す連中を見返してやろうと思って、強くなりたくて、無理だって言われたのに頭を下げてまで第七小隊に編成願いを出した。ガリュー小隊長の噂は知ってたけど、間違いなく、あのひとが一番強いと思ったからだ。

 でも、違うよ。違う…。

 プログラムの稼働テストさえしてない命令を絶対に出せると思ったのも、ドレイク副長の電速に追いつくアクセラレーターを仕込むのに六億電素も裂いたのも、ぼくより絶対に強いと判ってる相手のプログラムにワームを撒いたのだって、単純に、ぼくだって第七小隊のひとりなんだって思ったからだ!」

 ただ、好きだと思う場所を、黙って手放したくなかった。

 噛みつくように叫んだアンに一瞬惚け、それからタイスはふんと鼻を鳴らした。

「何言ってんだよ、ばかみてぇ。第七小隊なんか解散だって、ウチの連隊長だって言ってたぞ」

 あははははは。と周りから蔑むような笑い。それに俯き、ぎゅっと唇を噛んだアンの視界が…ゆらゆらと陽炎のように歪み出す。

「謝れなんて優しく言ってやったのに、お前ほんとバカだよな」

 陽炎。淡く黄色に発行する数字を含む、透明な炎。

 このままでは、崩壊する。

 その時のアン少年は、疲れていたのか……。

 精神状態が不安定だった。勝手に一次電脳陣が立ち上がりそうになったのをなんとか抑え込んだアンが、両手で顔を覆う。

 少年の陣は平面。直径約二メートル。この狭い廊下で感情の制御が利かないそれが立ち上がったら、周囲の人間は、間違いなく吹っ飛ぶ。

「おれはにーさんと違って、泣いたって許さないからな! 生意気言った事、今すぐ後悔させてやる!」

 叫んだタイスの声を合図にアンの背後にふたりが回り込み、彼の腕を押さえ付けようとした。

 刹那。

 そのふたりがなんの前触れもなく左右の壁に肩から突っ込み、ぎゃっと呻く。何が起こったのか考える暇もなく、アン少年は背中を掴まれて引っ張られ、後ろにひっくり返りそうになった。

「……………何やってる、貴様ら」

 頭上から降りる冷え切った声と、背中から誰かに抱きとめられた感覚。アンはそれに戸惑って、未だ陽炎のように揺らめく視界を振り上げた。

 目に入ったのは、凍えた銀色。

 それで一気に頭が冴え、崩壊しかけていた世界が正常に戻る。

「誰だ、お前は! おれがダイ家の…」

「………スレイサー衛視…」

 呆気に取られたアンの呟きに、一般警備兵どもが青ざめた。

「? ダイ家? あぁ、貴族のな…。それがどうした?」

 凭れかかってくるアン少年を支えたまま、ヒュー・スレイサーがいかにも興味なさそうに吐き捨てる。

 金属質な光沢の銀髪に、サファイア色の瞳。普段からハルヴァイトで「端正な顔立ち」というのに慣れているアンでさえ見とれてしまうような完璧な二枚目なのだが、実はこの男、とんでもなくキツい性格、と評判なのだ。

「貴族連中が意味もなく持ち出す「家名」とかいうヤツにいちいち付き合っていたら、衛視なんて勤まらない。悪いが俺の「保護基準」は、個人的趣味に限定している。そう言う訳で、アンくんひとりを囲んで眉を吊り上げてるガキどもなど二秒で叩き伏せる自信があるが、それでもまだ何か言うか?」

 衛視。

 警備軍の上位に位置する機関の、最上級クラス。

 更に。

「地位をひけらかすのが趣味なら、それに合わせてやってもいいぞ。

 俺はヒュー・スレイサー。王下特務衛視団警護班班長だ」

 格闘家の最高峰である。

 悲鳴を飲み込んで後退さる警備兵どもを冷たく見下ろすヒューの、いつにない座った目つきに何を思ったのか、アン少年は彼の胸に寄りかかったまま緊張感なく問いかけた。

「…機嫌悪いんですか? スレイサー衛視」

「眠いんだよ。やっと四日ぶりにベッドに入ったと思ったら、三時間もしないうちにミラキからの電信で叩き起こされ、晩餐に招待してやるからアンくんを連れて夕方までに屋敷に来いと抜かしやがる。……まさか断る訳にも行かないから…、とりあえず君に電信を入れたが応答がないんでね。この前の騒ぎで無理しただろうから、ひとりで官舎に置くのはどうか、とゴッヘル卿にも言われていたし。というか、あれは多分コルソンの意見がゴッヘル卿を経由して俺に、あぁ、本当に他意なく俺が官舎に住んでるからで…、それで…なんだ? そう。

 倒れたりしてるくらいならまだいいが、部屋ごとふっ飛ばしてるなんて考えたくないから、様子を見に来た」

「そんな、何を言いたいのか判らないような状況でぼくの心配してる暇ですか!」

 ヒューが最後に言い置いた言葉の意味が判らなかったのか、周囲の警備兵どもがしきりに小首を傾げる。それをさも小ばかにしたように鼻で笑い、ヒューはアン少年を抱きかかえたまま、床に散らばった荷物に視線を落とした。

「いいか? ここで今一番怖いのは、アンくんが接続不良とやらで意識不明のまま足元に電脳陣を張り貴様らをキレイに消し飛ばす事じゃなく、これ以上俺の機嫌を損ねて肋骨の数を倍に増やされる事か、手足の間接が倍に増える事のほうだ。

 判ったら荷物を拾って、そこを空けろ!」

 ひー! と、声にならない悲鳴を上げたうら若い警備兵どもは、あたふたと床に散らばったアンの荷物を拾い、廊下の左右に退去した。

「寝起き悪いでしょ、スレイサー衛視!」

「寝てないんだ、起きられる訳ないだろう。おい、そこのお前、荷物を持って黙って付いて来い。それから、何だか知らないが今後アンくんにおかしな言いがかりでもつけてみろ、職権濫用して警備部の司令に呼び出させるから、覚悟しておけ」

「というか、あからさまに職権濫用ですっ!」

「だからそうだと言ってる」

「あ、そっか」

 ポン。と暢気に手を打ち鳴らしたアンを、荷物を持たされているダイ家の次男が恐々と見つめる。

 虫の居所が悪いらしいヒュー・スレイサー衛視は、とんでもなく無茶苦茶な事を平然と言い、しかも………怖い。のに、アンはそのヒューにぽんぽん突っ込むのだ。まるでそんな、衛視、しかも警護班班長という、陛下のおそばに控える栄誉を有したヒューに、何の気負いも感じていないように。

……感じてどうする? アンくんは、陛下にさえ「アンくん」と…呼ぶ事に決められたのだから…。

       

「? ダイ家の今の当主は性格悪いのに、お前はかわいいな。じゃぁ、僕もお前をアンくんと呼ぼう。そのほうが、ペットみたいでいいや」

        

……………陛下、暴君である。

「部屋…突き当たりですけど、ぼく」

「あぁ、そう。じゃぁ、お前は荷物を置いて帰ってよし。

…………アンくんの事情に勝手に首を突っ込んだのは悪かったが、ケンカするつもりなら取り巻きも家名も置いて、ひとりでやれ。それなら俺だって文句は言わない」

 勢いそれまで抱きかかえていたアンを放し、ヒューはタイスを振り返って冷たく言い放った。

「もしお前がまだ「おれはダイ家の次男なのに、この衛視は威張り腐って」なんて思ってるなら、衛視か陛下にでもなってみろ。そしたら、言いたい事くらいいくらでも聞いてやる。それが出来ないなら、黙っていろ。判るな。お前が今までアンくんにして来たのも、つまり、そういう事だ」

 ただし。とヒューは、タイスから荷物を奪い取って、面倒そうに銀色の髪を掻きあげた。

「アンくんは、お前より確実に階級が高いぞ。よかったな、アンくんが職権濫用の仕方を知らなくて」

「……今知っちゃいましたけどね」

「でも、君は使わないように。嫌われるからな」

「自分は使ってるじゃないですか!」

「? あいつに好かれなくても俺の人生に支障はない」

 真顔で頷いたヒューをげんなりと見上げ、アン少年は嘆息した。

「一生友達でいましょうね、スレイサー衛視。もしかしたら、小隊長よりも敵に回したくないです」

 タイスを廊下に取り残し、アンとヒューは少年の部屋に入りドアを後ろ手に閉じた。

「友達でいいのか? 残念だな。俺は割と、健気な君が好きなんだが?」

「……誉められたと思って喜んでおきます」

 ぷい。とヒューから顔を背けたアンが、どうぞ、と乱暴に室内に彼を促す。

「ところで、悪いが……二時間寝かせてくれ。俺は、四日で六時間しか寝てないんだ…」

 言ってヒューは、疲れたように苦笑いした。

  

   
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