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ミナミ・アイリー(@) |
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世界はデータで出来ているらしい。 | |||
振り仰いだ天蓋の向こうは重い雨雲。驟雨(しゅうう)に分厚いガラスは曇り、まだ午前中だというのに、ファイラン浮遊都市の全てがなんだか薄暗く、冷たく見える。 灰色の空。あのひとには、あれから一度も会っていない。 あのひと。 重い雨雲と同じ目をした、煌くような白髪の…。 「特務室から臨時登城許可出てるはずなんだけど?」 「え? …あ………。ああああああああああーーーーーっ!」 「あ?」 通用門横にある小窓、門兵詰め所受け付け窓口のガラスを軽くノックしながらいかにも素っ気無く言い放ったミナミは、受け取った門番が盛大かつ驚愕の悲鳴を上げたのに、相変わらずの無表情を向けた。 「アイリー次長っ!」 「そうだけど…」 歪んだパイプ椅子を蹴倒して立ち上がった門番が、小窓を覗き込んだミナミの顔を見たまま口をぱくぱくさせる。 「いろんな反応覚悟してたけど、これは意外で面白かったな」 自宅を出る時、何かあったら即刻呼んでくださいね、と笑顔で言い残してくれたハルヴァイトに、とりあえず「驚愕された」と報告しよう、などと暢気に考えながらミナミは、開け放たれた詰め所の入り口から室内に入った。 詰め所は狭い。 「で? 臨時許可、出てねぇの? 俺…。室長からの登城命令で来たんだけど」 兵隊は身体が大きめ。 「出てます」 結果。ここは狭苦しいしうざったい。 「じゃ、行っていい?」 だからミナミは、ぽかんとする門番を「どいて」と手でうっちゃって、入って来たのとは反対側にある城内に続くドアを引き開けようとした。 見事なまでに統制の取れた動きでふたつに裂けた、数名の門番たち。 「これはあれか? 俺がどうこうってよりは…」 かなり複雑な視線を微かな苦笑いで受け流しつつ、青年がぽつりと呟く。 「あ! あの、ですから…、今日は、ガリュー小隊長とご一緒でないので?」 やっぱそれか。と思うも、ミナミは無表情を貫き通す。 「今日は一緒じゃねぇよ。俺だって、四六時中あのひとの面倒見てる訳じゃねぇし」 引きつってがちがちに固まった門兵たちの顔。 「ま、判らないでもねぇ…」 あれだけ人外な所を見せられたのだ、この程度の反応は、許せる範囲…。 「…いえ……。そうではなくて…ですね」 となぜか、見ず知らずの兵士がおどおどと何かを確かめるように同僚の顔を見回してから、意を決して、ミナミに顔を向け直した。 「ガリュー小隊長の除隊命令が出されるとか、なんだとか…、そういう噂があったものですから。それで…まさか本当にお辞めになるのでは…」 「? ……で。もしかして、俺がひとりだから、それ、訊きたかった?」 「そうです」 見上げるような門番たちが一斉に頷く。ここまで訓練されてると笑えるな、と青年は思ったが、笑う暇はなかった。 「ごめん。あのひと…気になんの? もしかして…」 すぐに出て行くのをやめたらしいミナミが、門番達に身体を向け直す。顔と名前は知っている。軍属名簿を丸暗記しているミナミなのだ、城内に知らない人は居ないといっても、過言ではない。 ただし、「知り合い」ではないと思うが…。 「アイリー次長もガリュー小隊長もご存知ないと思いますが」と前置きされて、ミナミは小さく頷いた。 「城門警護部では有名だったんですよ、おふたりとも。ガリュー小隊長が下城なされる時に、アイリー次長は決まって見えられておりましたから。それで、アイリー次長が衛視になられて、でも、やっぱりガリュー小隊長をお迎えに上がるのには変わりなくて…。…だから…、あの…臨時議会の後、ガリュー小隊長除隊の噂が出てすぐに、城門警備部は全隊一致で第七小隊の軍規違反不問願いを…魔導師隊に提出したんです」 「…なんで?」 それにはミナミも驚いたのか、あのダークブルーの双眸を軽く見開き、困ったように苦笑いしている門番達を見つめてしまった。 「つか、そんな事したら警備部の司令に厳重注意されんだろって」 「されました。…というか、ガン大隊長とガラ総司令が、揃って城門警備部に見えられました」 「うわ、こえー。つうか怖過ぎ? てか、狭い、ここ」 まったくです。と、門番のひとりが笑う。 「それでおふたりについていろいろと…その…仰って…ですね」 そこだけ歯切れの悪い台詞に、ミナミが微かに苦笑いする。 なんとなく、何を言われたのか判りそうな気がしたのだ。 「それでも、ガリュー小隊長に辞められては困るのか、と訊ねられました」 ミナミは、それに答えなかった。 「…おふたりを見ていると、幸せな気持ちになります。一分早く、恋人や家族に会いたくなるような、そんな気持ちです。だからその…アイリー次長を守ろうとしたガリュー小隊長を処罰するのはおかしいと、答えました」 はにかんだ笑みが零れる。 「…ガン大隊長は笑っておられただけですが、ガラ総司令はなぜか「ありがとう」と仰いました」 フランチェスカは、総司令としてではなくハルヴァイトの叔父として、そう言ったのだろう。 「じゃぁ、俺からも…ありがとう」 言ってミナミは、丁寧にお辞儀した。 「まだはっきりは言えねぇけど、あのひとは辞めたりしねぇよ」 微かな笑顔にぶっきらぼうな口調。それにほっと安堵の吐息を漏らした門番たちに手を振ったミナミが、今度こそ詰め所を出て行こうと踵を返す。 「あ! それで、アイリー次長は!」 「? 俺? ああ…。うん、俺も………まだ居る」 まだ。 「これからも、よろしく」 見事な金髪にダークブルーの双眸の綺麗な青年は、儚い笑顔でそう言い残し、十日ぶりに城門をくぐった。
警備軍の施設横の細い通路を抜け、解放通路と呼ばれている備品倉庫の群を抜け、幾つか点在している建物を躱わして、保養施設になっている人工庭園を通り抜ける。 すれ違うとき声をかけて来る者、ただ黙って見送る者、それらの視線に晒されても尚、ミナミ・アイリーは無表情を貫き通した。 それでも一度だけ解放通路付近で足を停めたのは、そこに居たのが「知り合い」だったからなのだが、彼は大柄な体躯に似合いの豪快な笑みで「さっさと行きなさいって。後で顔出すわ」と言っただけで、ミナミを追い払ってしまう。 「引越し屋にでもなったのか? キース連隊長は」 倉庫群からデスクやら椅子やらを運び出していたのは一般警備部第三十六連隊で、何をしているのか、と呆気に取られたミナミに、その場にいた兵士たちが声援付きで手を振ってくれた。勢いそれに手を振り返し、ギイルに笑われてしまったりもしたが…。 とにかく、ミナミは殆ど歩みを止めることなく一直線に本丸特務室へと向かっていた。 さっき、クラバインが恐ろしく難しい顔で電信をよこしたのだ、ミナミ宛てに。
「申し訳ありませんが、ミナミさん。至急特務室に出頭願えませんか」
ただ事ではない。 ひきつったクラバインの顔つきに、ミナミは黙って頷き家を飛び出したのだ。 陛下…ウォルが大荒れなのは察しが付いた。それを責める気にはなれないし、していいとも思えないし、当然、クラバインもそう思っているだろう。 だからミナミは取るものもとりあえず、私服に真紅の腕章だけを付けて、城に飛び込んだ。 階段を駆け上がる。 見知った廊下を突っ走り、会釈してくる衛視には歩調を緩めて軽く挨拶し、ついに、特務室の前に立つ。 十日ぶりに。 あれ以来始めて。 なんとなく、緊張した。 「とかつってる暇もねぇし…」 と自分に突っ込んでからミナミは、勢いよく特務室のドアを開け放った。
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